働くあなたに燃料を
「イ級ちゃんが配属されたのってオリョール海だったんですけど、やっぱりそれがまずかったみたいで」
「あー、オリョクルね」
「そうそう、それです。鎮守府側から潜水艦が来ると深海棲艦としてもそれに対応しなきゃいけないんで大変なんですよ」
「お待たせしましたー生中とカシスオレンジ、だし巻き卵と鳥の軟骨揚げでーす。ごゆっくりどうぞー」
しかも昼夜も曜日もおかまいなしにオリョクルは行われるし、そのたびに呼び出されるので休日なんてあってないようなものだ。
「私も入社してすぐにオリョール海に配属されましたけど、あのときが一番きつかったですね……思い出したくもないです」
「なんか悪いね、うちが迷惑かけて」
「いや、これも仕事ですからね。そっちだって仕事でやってるわけですし、仕方ないですよ」
鳥の軟骨揚げを一つつまむ。コリコリとした食感がたまらない。酒が進む。
「ここ、だし巻き卵がおいしいんだよ。ヘ級も食べてみ?」
「へぇ、んじゃいただきます」
だし巻き卵を一切れ口に運ぶ。
……こ、これはっ!
「うまい!」
「でしょー?」
噛むたびに卵の甘みと出汁のうま味が口の中に広がっていく! うまい、うますぎる!
なかなかやるじゃないか、ブラック居酒屋のくせに。業界大手にのし上がれたのは経営手法がえげつないだけじゃないということか……なんだか悔しい。
「っぷはー! もう一杯いっちゃお!」
夕張さんが呼び出しボタンを押した。その頬は赤く染まりつつあった。
「早っ! もう飲んだんですか!?」
この人もう何杯目だ? かなりハイペースで飲んでるような気がする。
「大丈夫ですか? そんなに飲んで」
「へーきへーき、あたし昔から酒は強いから!」
「お待たせしましたー」
「生中と揚げ出し豆腐とチーズ春巻き!」
「かしこまりましたー。空いてるグラスお下げしまーす」
「んなこと言って、調子に乗って飲み過ぎてル級さんの足にゲロぶっかけたことあったじゃないですか」
「えー? そんなことあったっけ?」
「ありましたよ。覚えてないんですか?」
「まあいいじゃん、過去のことはさ! 未来に向かって歩いて行こうよ! 未来に! ぶふっ、み、未来、あっはっは!」
夕張さんは唐突に笑い始めた。いったいどこがツボに入ったのかさっぱりわからない。
ダメだこいつ……早くなんとかしないと。
「お待たせしましたー生中でーす。ごゆっくりどうぞー」
「あーっはっはっはっは、はぁ……未来ね……明るい未来なんてあるのかな……?」
大笑いしたかと思ったら今度は落ち込み始めた。情緒不安定すぎる。
「毎日毎日仕事に追われて、家に帰ったら寝るだけで、朝になったらまた仕事場に向かって、気づけば来年でもう三十だよ……私、このままなのかな……独り身でずっと……」
うつむいて力なく呟く夕張さん。
重い……空気が重すぎる。
「ま、まだチャンスはありますって! 周りの男どもが夕張さんの魅力に気づかないだけで、わかってくれる人はきっといますよ! ほら、男なんて星の数ほどいるって言うじゃないですか、ね?」
「星の数ほど男がいても、星には手が届かないんだよ……どうせ私なんて地面を這いつくばるダンゴ虫なんだよ……」
めんどくせえな、こいつ!
ジョッキを傾けつつ、夕張さんは続ける。
「ちっちゃい頃はさ、二十歳は立派な大人だと思ってたし、三十には結婚して子供もいると思ってたよ……でも実際になってみると、ちょっと図体がでかくなっただけで中身は子供のまま……きっと四十になっても五十になっても変わらないんだろうなぁ」
夕張さんの気持ちはわかる。私自身もそう思っている部分はある。
でも、良くも悪くも、子供の頃から変わった部分だってある。
「中身は変わらないでしょうけど、未来は変わっていきますよ。どうすれば明るい未来になるのか、どうしたら暗い未来になってしまうのか、それはわかりませんけど」
私たち次第で、きっとこれからも色々なものが変わっていく。私も夕張さんも、周りの人や物も、変えたい部分や変えたくない部分も。
変わり続けていくことは良いことなのか悪いことなのか、私にはまだわからない。でも人生ってそういうものだと思う。
「お待たせしましたー揚げ出し豆腐とチーズ春巻きでーす。ごゆっくりどうぞー」
「ほら、暗い気分になってても仕方ないですよ。つまみでも食べて元気出しましょう。夕張さん、チーズ好きでしょ?」
「うん……ありがと」
私がチーズ春巻きが載っている皿を夕張さんの方に寄せると、夕張さんはそれを箸で掴み、思いっきりかじった。
「あっづぅ! 揚げたてぇ!」
「あっはっはっはっは! ぶっさ! 顔、今の顔! ぶっさいく! あはははは!」
「笑うな! バーカバーカ!」
「だぁーっはっはっはっはっは!」
「あーもーいいわ! 何もかも馬鹿馬鹿しいわ! 飲むぞ! 今日はもうとことん飲んでやる!」
で、とことん飲んだ結果。
「ヘきゅーもう一軒いこーよぉーもう一軒ー!」
やけくそになって飲みまくったせいで、夕張さんは店から出る頃にはまともに歩けないほど酔っぱらってしまった。今は私が肩を貸してなんとか立っている状態だ。
「ねーえー聞いてるぅー?」
「はいはい、聞いてますって」
「じゃあ行こうよぉーもう一軒ー!」
「ダメですって、夕張さんだって明日仕事でしょ?」
「そんなのどうだっていいってぇーなんとかなるなるぅー! あっはっはっはっは!」
どう見てもなんとかなりません。本当にありがとうございました。
まいったなぁ……ここから鎮守府の寮がある横須賀まで夕張さんを送っていったら私が終電に間に合わない。でもこの状態の夕張さんが一人で無事に帰れるとは思えないからほっとくわけにもいかない。どうすればいいんだ。
「おー木曾ー! 木曾だー! あっはっは!」
「んもー夕張さん暴れない……で……」
夕張さんが向いている方に私も視線を向けると。
「よう、夕張。奇遇だな、こんなところで会うなんて」
そこには木曾さんがいた。
「き、木曾さん!?」
どうしてここに木曾さんが!? ゆ、夢? じゃないよね……本物だ! 本物の木曾さんが目の前にいる!
「ん? お前、どうして俺の名前を? どっかで会ったことがあるのか?」
「あっ、す、すみません! 私、夕張さんの大学時代の後輩で、軽巡ヘ級です。今は深海棲艦に勤めてます」
「ああ、それでか。どっかで見たことがある顔だとは思ってたんだ。悪いな、覚えてなくて」
「い、いえ! とんでもないです!」
「あっるぇー? なんかヘ級ちゃん緊張してなーい? どしたのー?」
「うるさい、ほっといてください」
そのだらしねぇ面ひっぱたいて目を覚まさせてやろうか。
「んで、お前らはここで何をやって……なんて聞くまでもないか。いかにも酔っ払いってやつが一人いるもんな」
「酔ってませーん! まだまだ飲めまーす!」
「ああ、ダメだこりゃ。完璧に飲み過ぎてるな」
呆れる木曾さん。
そりゃそうだ。こんな夕張さんを見て呆れない方がおかしい。職場ではそれなりにきちんとしているはずなのに……あっ、そうだ!
「あの、木曾さん」
「ん、なんだ?」