働くあなたに燃料を
「いきなりこんなこと頼むのは申し訳ないんですが、夕張さんを寮まで送っていっていただけませんか? 私が送っていくべきなのはわかってますが、終電が……」
職場が同じなら寮も同じのはず。こんなことをあの木曾さんに頼むなんて本当に申し訳ないけど、私だって明日は仕事だ。背に腹は代えられない。
「終電なんて、朝まで飲めば問題ないって! そうでしょ木曾!」
「いいぜ、こいつを送るくらいお安いご用だ。どうせ俺だって帰る場所は一緒だしな」
「あっるぇー? スルー? 木曾ちゃんスルー? 無視されるとお姉ちゃん悲しいなぁ」
「姉はもう間に合ってるよ。ほら夕張、俺につかまれ。肩を貸してやる」
「やだーもっと飲むー!」
「このだだっ子め……いいからつかまれよ、っと!」
木曾さんは夕張さんを私から引きはがすかのように、半ば無理やり夕張さんを肩に担いだ。
「あぁん、木曾ったら強引なんだから……でもそういうところが、ス・テ・キ♪」
「気持ち悪い声を出すな。それじゃヘ級さん、こいつは俺が責任を持って送り届ける」
「すみません、よろしくお願いします」
「気にするな。じゃあ、またな」
「へきゅーまたねー」
「はい、また飲みましょう」
私に背を向けて、二人は歩き出した。
一歩、二歩と少しずつ遠ざかっていく。
「き、木曾さん!」
私は思わずその背中を呼び止めてしまった。
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「えっと……木曾さんのこと、尊敬してます! これからも頑張ってください!」
こんなことを言ったら後で問題になるかも知れないけど、それでも本人を目の前にしたら言わずにはいられなかった。
「おいおい、深海棲艦が艦娘にそんなこと言っていいのか?」
「でも、元は軽巡だったのに雷巡になるなんて、同じ軽巡として、本当にすごいなって……いつか私も木曾さんのように出世して、開幕雷撃したいって思ってます」
「……ふふっ、そうか」
くすぐったそうに微笑みながら、木曾さん。
「立場上、俺もお前を応援してやることは出来ないが、もし仕事場で会うことがあったら全力で来い。胸を貸してやるよ」
「はい、よろしくお願いします!」
私は木曾さんに向かって深々と頭を下げた。
やった……あの木曾さんに『胸を貸してやる』なんて言われちゃった! どうしよう、すごく嬉しい!
「ねえヘきゅー私はー? 私のことは尊敬してないのー?」
「はいはい、夕張さんのことも尊敬してますよ」
「ちょっとぉーなにその棒読みぃー!」
「日頃の行いが悪いからな、夕張は」
「なによ木曾までぇー! もういいもん! 一人で飲むもん!」
木曾さんから離れようと、夕張さんは腕を振り回し始めた。
「うわっ、暴れるなって! おとなしくしてろよ、まったく」
暴れる夕張さんをなんとかなだめて、木曾さんは夕張さんを担ぎ直した。
「じゃあ俺たちはもう行くけど、お前も気をつけて帰れよ」
「ヘきゅーじゃあねー」
「ありがとうございます。お二人もお気を付けて」
遠ざかっていく二人の背中を、私は手を振って今度こそ見送った。
二人の姿が見えなくなってから、私はふと空を見上げた。
空では雲の影から月がほんの少しだけ顔を出して輝いていた。
私は大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。
仕事はブラックだし、恋人もいないし、世間を見回せば嫌なところばかり目に付く。将来も不安だし、このままでいいのかと焦るときもある。なんのために生きているのか迷ったり自分に生きる価値があるのかわからなくなったりしてひどく落ち込むことだってある。世の中はうまくいかないことだらけだ。
でも、まあ、それだけじゃないよね。つい忘れてしまいがちだけど。
そういうものを大切にしていけばなんとかなる。今はそんな気がする。
「……よし」
帰ろう、私の家に。明日が待ってる。