あゆと当麻~真夏のファントム後編~
真夏のファントム 後編
今朝も早朝の剣道につきあわされてやや不機嫌な当麻は亜由美の泣きはらした目を見てぎょっとしたと同時に極度に不機嫌になった。
「目」
とすごみのある声で当麻が亜由美に尋ねる。
「なんか、かゆくってかいてたらこうなっちゃった」
てへっ、と亜由美は悪びれもなくうそをつく。なんと言われても泣いていたと言う気はなかった。昨夜、ようやく気持ちを納めて五月の部屋に戻ると五月は何も言わず、目薬を取りに行き、冷やしたタオルを持ってきてくれた。
それでかなりましになったのだが、つき合いの深い当麻のこと、すぐにその異変に気がついていた。平然とうそをつかれて当麻はなんともいえない気持ちになる。以前から亜由美が泣くのは自分の前だった。誰よりも最初に涙を拭いてやるのは自分だった。その亜由美が自分一人で泣いていた。彼女は今一番つらい想いをしているのだろう。一番辛いときに限って誰にも甘えない。そういう性格なのだ。何もしてやれなかったいらだち感、信頼してもらえていないと言う失望感、そして亜由美が本当に離れようとしているという恐怖が当麻の胸で渦巻いた。近い内に話をつけないといけない。
亜由美を一人きりには出来ない。きっと今度こそ、本当に消えてしまう。初めて亜由美が戦いに赴いたときの事がありありと思い出される。亜由美はその直前とても明るかった。いつも以上に明るく元気だった。今もそうでないとは言えない。何でもないようなふりをしている。泣いていても泣いていないと嘘をつく。
よくない前触れだと当麻は思った。嫌われているならまだいい。だが、嫌われているわけではない。手を伸ばせば手を取るし、抱きしめてもあらがわない。キスさえ拒まない。何度も嫌いではない、とも聞いている。一度、嫌いなのか? と聞こうとした矢先に亜由美が唇を押しつけてきた事さえあ る。
亜由美の気持ちは明らかだ。自分を好いている。その確信はあった。だが、何かがふたりをすれ違わせていた。好きなのに想いが重ならない。二枚の紙はぴったりと重ならず、ずれていた。それが最近の二人にぎこちない雰囲気を醸し出していたのも事実だ。
「もうかゆくないのか?」
まだ不機嫌な声で当麻が尋ねる。これが人前でなければ飛んでいって抱きしめてずっと離さないのに、と当麻は思う。
うん、と亜由美は明るく答える。
「五月ちゃんに目薬借りたから」
当麻はしかたなく納得する。今、問いつめても何も話さないだろう。それに今、征士の件がある以上話をややこしくしたくないし、この件に関して亜由美自身離れる予定はないだろう。
「汚い手で目をかくなよ」
当麻はそれだけ言うと朝食を食べ始めた。いつもはお代わりを際限なくする当麻もさすがに食欲がわかなかった。
お代わりを二杯にとどめて当麻の具合が悪いのではないかと征士達にいじくりまわされ当麻は不機嫌を爆発させて逃げ出した。
「当麻?」
必死に逃げまどって庭にたたずんでいると亜由美がやってくる。この二人はどこにいようともお互いの場所がほとんどわかってしまう。
「大丈夫?」
亜由美の本当に気遣わしげな瞳を見て当麻は声を上げそうになった。なんで、泣いていたんだ?と。どうして俺の所の来なかった?と。その代わりに急に手を伸ばすと亜由美を引き寄せ抱き寄せる。
「あゆ」
とただ名を呼ぶ。当麻は泣きそうになる自分を必死に抑える。離したくない。離れたくない。愛している。想いがあふれる。
「好きだ。あゆ」
当麻が自分を抑えながら言うと亜由美はうんと言って当麻の背中に手を回す。そっと優しく上下させる。まるで安心して良いよ、と言うかのように。
だが、それも一時的なものなのは二人ともどことなくわかっていた。それでも今、二人は共にいる。
「どっか、しんどいところがあったら言ってね。治してあげるから」
亜由美が優しい声で言う。
「自分の事はちゃんとわかってるから」
当麻が平然とした様子で淡々と答える。
その様子に亜由美は心を痛めた。きっと当麻は自分のことで困ったのだ。
食欲がなくなるほど・・・。一体どうすればいいだろう? 自分が消えれば全てうまく行くと思っていたのに自信が揺らいでいく。自分がいなくなった後の当麻はどうなってしまうだろう? 元気ないつもの当麻に戻ってくれるだろうか? 幸せになってくれるだろうか? 様々な疑問がわき出る。
でも、自分が当麻を幸せに出来る確率は限りなく少ない。
その危険な確率にかける勇気は今の亜由美にはなかった。逃げ出すことしかもう頭にはなかった。
「嫌って・・・ないよな?」
当麻が小さく呟いて亜由美は絶句した。
なんと言ったらいいの? 嫌いと言えばいいの?
長いような短いような時間を経て亜由美は消え入るような声で告げた。
「・・・ないよ。嫌っていないよ・・・。ごめんね」
亜由美はあふれそうになる涙を必死で堪えた。今、泣いてしまったら今度こそ問いつめられてしまう。何もかも話してしまう。今の自分はそれほど弱い。
「だったら・・・良いから。俺はいつでもあゆを愛してるから」
当麻がまた呟いて亜由美を抱きしめる腕に力を込める。うん、とまたそれだけ亜由美は答えた。
ふぅ、とため息をついて亜由美は廊下を歩く。
悪気は日に日に増してくる。家の中は雑鬼でたくさんになっている。まだ実体化していないけれどいずれそうなる。
このままでは、五月ちゃんが本当に参ってしまう。見えても退けられたら問題ないのだけど。所詮、無理な話。力などあったらあったで困る代物。
「征士。話があるのだけど?」
ふすまを開け、声をかける。征士は文献を読みふけっていた。
床に積み上げられた文献。その壁際には刀が何本も飾られていた。
「壮観ね・・・」
思わず、声が出る。
「何かあったのか?」
征士が振り向く。
「そうじゃないのだけど・・・・」
そう言って再びため息をつく。
「この屋敷にだけでも結界を張ってはだめ? このままでは五月ちゃんが参ってしまう。お盆やこの家に差し向けられたものやいろいろな要因が重なって、家の守護が弱っているの」
それによって何が見えるかは言っても仕方がないから省略した。
「私の一存では決められない。当麻に聞かなくては」
「なんで当麻に聞かなくてはならないの?」
むっとして尋ねる。
「当麻から頼まれているのだ。あゆに首をつっこまさせないようにと。当麻はあゆを案じているのだ。その気持ちをふみじにることなど私にはできない」
律儀に征士が答える。額に手をやる。ずきずきと頭が痛くなってきた。
「あの、当麻が許すはずがないものね・・・」
さて、どうするか。黙って、やるか。それとも別の方法を考えるか。考え込んだその時、悲鳴が聞こえた。
五月ちゃん!
亜由美と征士は部屋から飛び出した。征士が出かけに刀を一振りもって出る。声の元に一目散に駆けつける。
暗い、廊下で五月はうずくまっていた。征士の母や弥生が心配そうに五月に声をかけているが五月は身動き一つしない。
亜由美が抱きかかえる。そうするだけで亜由美と五月のまわりから雑鬼がすっとよけていく。
「怖がらないで。大丈夫だから」
今朝も早朝の剣道につきあわされてやや不機嫌な当麻は亜由美の泣きはらした目を見てぎょっとしたと同時に極度に不機嫌になった。
「目」
とすごみのある声で当麻が亜由美に尋ねる。
「なんか、かゆくってかいてたらこうなっちゃった」
てへっ、と亜由美は悪びれもなくうそをつく。なんと言われても泣いていたと言う気はなかった。昨夜、ようやく気持ちを納めて五月の部屋に戻ると五月は何も言わず、目薬を取りに行き、冷やしたタオルを持ってきてくれた。
それでかなりましになったのだが、つき合いの深い当麻のこと、すぐにその異変に気がついていた。平然とうそをつかれて当麻はなんともいえない気持ちになる。以前から亜由美が泣くのは自分の前だった。誰よりも最初に涙を拭いてやるのは自分だった。その亜由美が自分一人で泣いていた。彼女は今一番つらい想いをしているのだろう。一番辛いときに限って誰にも甘えない。そういう性格なのだ。何もしてやれなかったいらだち感、信頼してもらえていないと言う失望感、そして亜由美が本当に離れようとしているという恐怖が当麻の胸で渦巻いた。近い内に話をつけないといけない。
亜由美を一人きりには出来ない。きっと今度こそ、本当に消えてしまう。初めて亜由美が戦いに赴いたときの事がありありと思い出される。亜由美はその直前とても明るかった。いつも以上に明るく元気だった。今もそうでないとは言えない。何でもないようなふりをしている。泣いていても泣いていないと嘘をつく。
よくない前触れだと当麻は思った。嫌われているならまだいい。だが、嫌われているわけではない。手を伸ばせば手を取るし、抱きしめてもあらがわない。キスさえ拒まない。何度も嫌いではない、とも聞いている。一度、嫌いなのか? と聞こうとした矢先に亜由美が唇を押しつけてきた事さえあ る。
亜由美の気持ちは明らかだ。自分を好いている。その確信はあった。だが、何かがふたりをすれ違わせていた。好きなのに想いが重ならない。二枚の紙はぴったりと重ならず、ずれていた。それが最近の二人にぎこちない雰囲気を醸し出していたのも事実だ。
「もうかゆくないのか?」
まだ不機嫌な声で当麻が尋ねる。これが人前でなければ飛んでいって抱きしめてずっと離さないのに、と当麻は思う。
うん、と亜由美は明るく答える。
「五月ちゃんに目薬借りたから」
当麻はしかたなく納得する。今、問いつめても何も話さないだろう。それに今、征士の件がある以上話をややこしくしたくないし、この件に関して亜由美自身離れる予定はないだろう。
「汚い手で目をかくなよ」
当麻はそれだけ言うと朝食を食べ始めた。いつもはお代わりを際限なくする当麻もさすがに食欲がわかなかった。
お代わりを二杯にとどめて当麻の具合が悪いのではないかと征士達にいじくりまわされ当麻は不機嫌を爆発させて逃げ出した。
「当麻?」
必死に逃げまどって庭にたたずんでいると亜由美がやってくる。この二人はどこにいようともお互いの場所がほとんどわかってしまう。
「大丈夫?」
亜由美の本当に気遣わしげな瞳を見て当麻は声を上げそうになった。なんで、泣いていたんだ?と。どうして俺の所の来なかった?と。その代わりに急に手を伸ばすと亜由美を引き寄せ抱き寄せる。
「あゆ」
とただ名を呼ぶ。当麻は泣きそうになる自分を必死に抑える。離したくない。離れたくない。愛している。想いがあふれる。
「好きだ。あゆ」
当麻が自分を抑えながら言うと亜由美はうんと言って当麻の背中に手を回す。そっと優しく上下させる。まるで安心して良いよ、と言うかのように。
だが、それも一時的なものなのは二人ともどことなくわかっていた。それでも今、二人は共にいる。
「どっか、しんどいところがあったら言ってね。治してあげるから」
亜由美が優しい声で言う。
「自分の事はちゃんとわかってるから」
当麻が平然とした様子で淡々と答える。
その様子に亜由美は心を痛めた。きっと当麻は自分のことで困ったのだ。
食欲がなくなるほど・・・。一体どうすればいいだろう? 自分が消えれば全てうまく行くと思っていたのに自信が揺らいでいく。自分がいなくなった後の当麻はどうなってしまうだろう? 元気ないつもの当麻に戻ってくれるだろうか? 幸せになってくれるだろうか? 様々な疑問がわき出る。
でも、自分が当麻を幸せに出来る確率は限りなく少ない。
その危険な確率にかける勇気は今の亜由美にはなかった。逃げ出すことしかもう頭にはなかった。
「嫌って・・・ないよな?」
当麻が小さく呟いて亜由美は絶句した。
なんと言ったらいいの? 嫌いと言えばいいの?
長いような短いような時間を経て亜由美は消え入るような声で告げた。
「・・・ないよ。嫌っていないよ・・・。ごめんね」
亜由美はあふれそうになる涙を必死で堪えた。今、泣いてしまったら今度こそ問いつめられてしまう。何もかも話してしまう。今の自分はそれほど弱い。
「だったら・・・良いから。俺はいつでもあゆを愛してるから」
当麻がまた呟いて亜由美を抱きしめる腕に力を込める。うん、とまたそれだけ亜由美は答えた。
ふぅ、とため息をついて亜由美は廊下を歩く。
悪気は日に日に増してくる。家の中は雑鬼でたくさんになっている。まだ実体化していないけれどいずれそうなる。
このままでは、五月ちゃんが本当に参ってしまう。見えても退けられたら問題ないのだけど。所詮、無理な話。力などあったらあったで困る代物。
「征士。話があるのだけど?」
ふすまを開け、声をかける。征士は文献を読みふけっていた。
床に積み上げられた文献。その壁際には刀が何本も飾られていた。
「壮観ね・・・」
思わず、声が出る。
「何かあったのか?」
征士が振り向く。
「そうじゃないのだけど・・・・」
そう言って再びため息をつく。
「この屋敷にだけでも結界を張ってはだめ? このままでは五月ちゃんが参ってしまう。お盆やこの家に差し向けられたものやいろいろな要因が重なって、家の守護が弱っているの」
それによって何が見えるかは言っても仕方がないから省略した。
「私の一存では決められない。当麻に聞かなくては」
「なんで当麻に聞かなくてはならないの?」
むっとして尋ねる。
「当麻から頼まれているのだ。あゆに首をつっこまさせないようにと。当麻はあゆを案じているのだ。その気持ちをふみじにることなど私にはできない」
律儀に征士が答える。額に手をやる。ずきずきと頭が痛くなってきた。
「あの、当麻が許すはずがないものね・・・」
さて、どうするか。黙って、やるか。それとも別の方法を考えるか。考え込んだその時、悲鳴が聞こえた。
五月ちゃん!
亜由美と征士は部屋から飛び出した。征士が出かけに刀を一振りもって出る。声の元に一目散に駆けつける。
暗い、廊下で五月はうずくまっていた。征士の母や弥生が心配そうに五月に声をかけているが五月は身動き一つしない。
亜由美が抱きかかえる。そうするだけで亜由美と五月のまわりから雑鬼がすっとよけていく。
「怖がらないで。大丈夫だから」
作品名:あゆと当麻~真夏のファントム後編~ 作家名:綾瀬しずか