あゆと当麻~雷鳴~
雷鳴
不気味な笑い声と共に当麻が近づく。
じりじり亜由美が後退する。
とん、と背中が壁にあたった。
壁に片手をつき当麻が亜由美を見下ろす。
「ふっははははっ。追い詰めたぞ。モリアーティ教授」
瞳に危険な光を宿してささやく。
「俺からはもう逃げられない」
どきっとして当麻の瞳を見つめる。
当麻の顔が近づく。
唐突に当麻がしゃがんだ。
「当麻?」
呆然と今度は亜由美が当麻を見下ろす。
「あー。腹減ったー」
先ほどとは大違いな調子で当麻が言う。
亜由美がむっとする。
「もうちょっと、雰囲気と言うのを考えられないの?」
「その言いようはなんだ。せっかく俺が演じてやってるのに」
床に座り込みながら当麻が不機嫌そうに言う。
「私はふつーの恋人同士のシチュエーションを望んだのであって、なんでモリアーティとホームズなの?」
亜由美も文句を言う。
「モリアーティを追い詰めるのはホームズだから」
当麻がけろりとして言う。
「だ・か・らっ。私が言いたいのはっ」
「普通の恋人。しかもゲームの中の、な」
人を小ばかにしたような口調で当麻が答える。
「悪かったわねっ。ゲーム好きで」
「俺と言う者があってゲームにうつつを抜かすからだ」
「当麻だって信長の野望ファンじゃない」
「俺のは純粋、かつ高尚なシュミレーション。お前のはミーハーな恋愛シュミレーションだろうが。
あんな気障な台詞言う日本人がどこにいる?」
「日本人じゃないもん」
「ああ、ファンタジーの住人だ。だがな、俺はれっきとした日本人なんだ。
あんな気障ったらしい事ができるか」
不毛だ、と二人は奇しくも同じ事を考えていた。
何が悲しくてゲーム談義をはじめないといけないのだろう?
お互いの気持ちがいつのまにかすれ違っている。
漠然としたすれ違いは今や二人の間に亀裂を生じさせていた。
昔はそばにいるだけで満足だった。だが、今の二人は宙ぶらりんだった。安定しない空中で二人ともふわふわ浮いている。
「ったく。なんでこんな馬鹿げた会話しなければならないんだ? あー腹減った。伸の飯、食いてー」
最後の言葉で亜由美が感情を爆発させた。
「そんなに食べたければ小田原に残っていたらいいでしょう?!」
皆、遼の誕生パーティに小田原のナスティの家に集まり、その後ずるずると避暑合宿が始まっていた。
ここはナスティの今の住居、サード・ハウスだ。都内にある。
亜由美はあまりあの中にはいたくなかったのだ。
針のむしろとは言い過ぎだが、それに匹敵するものがあった。皆、自分を嫌っているわけではない。だが、かつて当麻の命を投げ出させかけたという負い目が亜由美にはあった。
その事に関しては秀が一番怒っていた。
「お前が帰ると言い出さなきゃ、いたさ」
再び、当麻は不機嫌そうに言う。
「別についてこなくてもいいって言ったじゃない」
「俺がお前を一人にすると思うか? 実家に戻るならともかく」
亜由美がふいに黙り込む。
いたいところを突かれた。
「ともかく。飯にするぞ」
当麻が立ちあがり、台所へ向かう。
「店屋もんじゃないの?」
後ろから着いてきた亜由美が聞く。
「お前ねー。ここしばらく俺がお前の分も頼んでやってたんだろーがっ。少しは俺の財布も考えろよ」
当麻が怒る。ここのところ、当麻の財布の出費がかさんでいる。
本代にまわすところをあえて食費に回しているのだ。不本意な支出を誰がしたいだろう?
「それで、誰が作るの?」
当麻の怒りはもっともなので亜由美は少し反省して問う。
彼の財布は基本的に本のためにある。
「俺とお前」
えーっ!と亜由美が声をあげる。
言い合っているうちに台所へ入ると当麻は台所をあさり始めた。
常にナスティと伸が手作り料理を披露するこの家では基本的に非常食や保存食、もちろんインスタント食品などない。ポピュラーなインスタントカレーすらない。
あるのはインスタントラーメンぐらいである。妙にこれの種類だけは豊富だ。
「やっぱラーメンしかないか。お前、なに食べる?」
当麻がラックに顔を突っ込みながら聞く。
「麺達」
短く答える。
「だろうと思った」
そう言って袋を渡す。
「当麻は?」
「俺は塩ラーメンかチャルメラかワンタンメン・・・いや、チキンと好きやねんも捨て難い」
考え込みながら当麻が答える。割と定番メニューが好きなのである。
しばし考えて当麻はチキンラーメンを選んだ。日本が誇るインスタントラーメンの原点である。
二人してなべに水を汲み、火にかけ沸騰させる。当麻が唐突に語る。
「お前、俺と結婚するならたまには伸とナスティに料理を教えてもらえ。俺はまずい料理は嫌いだ」
ナスティと伸の料理を口にした者は自然と口が肥えてしまう。当麻とて例外ではない。
「それって男尊女卑。今は男女平等」
亜由美が不機嫌そうに文句を言う。
「俺は適した人間がしたらいいと言っているだけだ。
お前ときたら大学に進学する気もなし、かといって普通に就職する気もない。
現代生活をどうやって営むつもりだ? 俺が稼いで家のことまでするのは逆に不平等だと思うが?」
「当麻と結婚なんてしない」
他の誰とも、だ。心の中で言う。私は一人で生きる。
「だが、このまま放っておば許婚の俺と結婚しかない。
生活能力に著しく欠けたお前を妻にできるのは心の広い俺ぐらいだと思うが?」
当麻が平然と言ってのける。突然、結婚しないと言いだしてもうろたえず自分を突き通す。
亜由美は当麻のこの自信過剰なところが嫌いだ。
その上、人のことを何もできない子供のように扱う。保護者面はもうたくさん。
それえなくとも日々心を悩ませているのだ。
ふつふつと怒りが込み上げる。
抑えに抑えていた感情がついに爆発する。
「とうまなんてだいっきらい!!」
持っていたラーメンの袋を投げつけると台所を飛び出した。
「まったく、お子様だな」
亜由美の出ていったあとを見て呟く。それから床に落ちたラーメンを拾い上げた。
開封していたため袋からラーメンが飛び出ている。
「もったいない。最後の麺達だったんだぞ」
当麻はそう呟いた。
夜になってさすがに亜由美のお腹もぐぅっと鳴った。
部屋からそろり、と抜け出すと台所へ向かう。
普通なら家を飛び出ていてもいいのだが、そうなると当麻が何が何でも追ってくる。
本当に一人になりたいときは部屋に閉じこもる事にしていた。
当麻の目の届く範囲にいればあとは勝手にさせてくれた。
当麻は過保護でもあると同時に放任主義でもあった。何か当麻の中で基準値があるらしい。その辺の所があまり理解できない。
この夏の間に逃げ出すつもりだった。遼の誕生日を祝ってその後、一人でこちらに移り、内調に身元を預けるつもりだった。当麻に何かを言うのはあきらめていた。言えば本心から離れようとしているわけではないことがばれてしまうから。当麻を巻き込みたくない。それは本心。だが、離れたいと思うのは本心ではない。いざ、計画を実行しようとして亜由美は自分の想いを思い知った。自分は当麻を愛している。誰よりも何よりも一番大事なのは当麻なのだ。愛しているからこそ別れなくれはならない。分かっているのにいざ実行となると弱い自分の心が動いてどうしようもなかった。
不気味な笑い声と共に当麻が近づく。
じりじり亜由美が後退する。
とん、と背中が壁にあたった。
壁に片手をつき当麻が亜由美を見下ろす。
「ふっははははっ。追い詰めたぞ。モリアーティ教授」
瞳に危険な光を宿してささやく。
「俺からはもう逃げられない」
どきっとして当麻の瞳を見つめる。
当麻の顔が近づく。
唐突に当麻がしゃがんだ。
「当麻?」
呆然と今度は亜由美が当麻を見下ろす。
「あー。腹減ったー」
先ほどとは大違いな調子で当麻が言う。
亜由美がむっとする。
「もうちょっと、雰囲気と言うのを考えられないの?」
「その言いようはなんだ。せっかく俺が演じてやってるのに」
床に座り込みながら当麻が不機嫌そうに言う。
「私はふつーの恋人同士のシチュエーションを望んだのであって、なんでモリアーティとホームズなの?」
亜由美も文句を言う。
「モリアーティを追い詰めるのはホームズだから」
当麻がけろりとして言う。
「だ・か・らっ。私が言いたいのはっ」
「普通の恋人。しかもゲームの中の、な」
人を小ばかにしたような口調で当麻が答える。
「悪かったわねっ。ゲーム好きで」
「俺と言う者があってゲームにうつつを抜かすからだ」
「当麻だって信長の野望ファンじゃない」
「俺のは純粋、かつ高尚なシュミレーション。お前のはミーハーな恋愛シュミレーションだろうが。
あんな気障な台詞言う日本人がどこにいる?」
「日本人じゃないもん」
「ああ、ファンタジーの住人だ。だがな、俺はれっきとした日本人なんだ。
あんな気障ったらしい事ができるか」
不毛だ、と二人は奇しくも同じ事を考えていた。
何が悲しくてゲーム談義をはじめないといけないのだろう?
お互いの気持ちがいつのまにかすれ違っている。
漠然としたすれ違いは今や二人の間に亀裂を生じさせていた。
昔はそばにいるだけで満足だった。だが、今の二人は宙ぶらりんだった。安定しない空中で二人ともふわふわ浮いている。
「ったく。なんでこんな馬鹿げた会話しなければならないんだ? あー腹減った。伸の飯、食いてー」
最後の言葉で亜由美が感情を爆発させた。
「そんなに食べたければ小田原に残っていたらいいでしょう?!」
皆、遼の誕生パーティに小田原のナスティの家に集まり、その後ずるずると避暑合宿が始まっていた。
ここはナスティの今の住居、サード・ハウスだ。都内にある。
亜由美はあまりあの中にはいたくなかったのだ。
針のむしろとは言い過ぎだが、それに匹敵するものがあった。皆、自分を嫌っているわけではない。だが、かつて当麻の命を投げ出させかけたという負い目が亜由美にはあった。
その事に関しては秀が一番怒っていた。
「お前が帰ると言い出さなきゃ、いたさ」
再び、当麻は不機嫌そうに言う。
「別についてこなくてもいいって言ったじゃない」
「俺がお前を一人にすると思うか? 実家に戻るならともかく」
亜由美がふいに黙り込む。
いたいところを突かれた。
「ともかく。飯にするぞ」
当麻が立ちあがり、台所へ向かう。
「店屋もんじゃないの?」
後ろから着いてきた亜由美が聞く。
「お前ねー。ここしばらく俺がお前の分も頼んでやってたんだろーがっ。少しは俺の財布も考えろよ」
当麻が怒る。ここのところ、当麻の財布の出費がかさんでいる。
本代にまわすところをあえて食費に回しているのだ。不本意な支出を誰がしたいだろう?
「それで、誰が作るの?」
当麻の怒りはもっともなので亜由美は少し反省して問う。
彼の財布は基本的に本のためにある。
「俺とお前」
えーっ!と亜由美が声をあげる。
言い合っているうちに台所へ入ると当麻は台所をあさり始めた。
常にナスティと伸が手作り料理を披露するこの家では基本的に非常食や保存食、もちろんインスタント食品などない。ポピュラーなインスタントカレーすらない。
あるのはインスタントラーメンぐらいである。妙にこれの種類だけは豊富だ。
「やっぱラーメンしかないか。お前、なに食べる?」
当麻がラックに顔を突っ込みながら聞く。
「麺達」
短く答える。
「だろうと思った」
そう言って袋を渡す。
「当麻は?」
「俺は塩ラーメンかチャルメラかワンタンメン・・・いや、チキンと好きやねんも捨て難い」
考え込みながら当麻が答える。割と定番メニューが好きなのである。
しばし考えて当麻はチキンラーメンを選んだ。日本が誇るインスタントラーメンの原点である。
二人してなべに水を汲み、火にかけ沸騰させる。当麻が唐突に語る。
「お前、俺と結婚するならたまには伸とナスティに料理を教えてもらえ。俺はまずい料理は嫌いだ」
ナスティと伸の料理を口にした者は自然と口が肥えてしまう。当麻とて例外ではない。
「それって男尊女卑。今は男女平等」
亜由美が不機嫌そうに文句を言う。
「俺は適した人間がしたらいいと言っているだけだ。
お前ときたら大学に進学する気もなし、かといって普通に就職する気もない。
現代生活をどうやって営むつもりだ? 俺が稼いで家のことまでするのは逆に不平等だと思うが?」
「当麻と結婚なんてしない」
他の誰とも、だ。心の中で言う。私は一人で生きる。
「だが、このまま放っておば許婚の俺と結婚しかない。
生活能力に著しく欠けたお前を妻にできるのは心の広い俺ぐらいだと思うが?」
当麻が平然と言ってのける。突然、結婚しないと言いだしてもうろたえず自分を突き通す。
亜由美は当麻のこの自信過剰なところが嫌いだ。
その上、人のことを何もできない子供のように扱う。保護者面はもうたくさん。
それえなくとも日々心を悩ませているのだ。
ふつふつと怒りが込み上げる。
抑えに抑えていた感情がついに爆発する。
「とうまなんてだいっきらい!!」
持っていたラーメンの袋を投げつけると台所を飛び出した。
「まったく、お子様だな」
亜由美の出ていったあとを見て呟く。それから床に落ちたラーメンを拾い上げた。
開封していたため袋からラーメンが飛び出ている。
「もったいない。最後の麺達だったんだぞ」
当麻はそう呟いた。
夜になってさすがに亜由美のお腹もぐぅっと鳴った。
部屋からそろり、と抜け出すと台所へ向かう。
普通なら家を飛び出ていてもいいのだが、そうなると当麻が何が何でも追ってくる。
本当に一人になりたいときは部屋に閉じこもる事にしていた。
当麻の目の届く範囲にいればあとは勝手にさせてくれた。
当麻は過保護でもあると同時に放任主義でもあった。何か当麻の中で基準値があるらしい。その辺の所があまり理解できない。
この夏の間に逃げ出すつもりだった。遼の誕生日を祝ってその後、一人でこちらに移り、内調に身元を預けるつもりだった。当麻に何かを言うのはあきらめていた。言えば本心から離れようとしているわけではないことがばれてしまうから。当麻を巻き込みたくない。それは本心。だが、離れたいと思うのは本心ではない。いざ、計画を実行しようとして亜由美は自分の想いを思い知った。自分は当麻を愛している。誰よりも何よりも一番大事なのは当麻なのだ。愛しているからこそ別れなくれはならない。分かっているのにいざ実行となると弱い自分の心が動いてどうしようもなかった。