鳥籠
「私は期待してたんだ。あんたが本当はまだあの頃のままで居てくれてるんじゃないかって。……そう、思ってた。今のあんたにとって都合の悪いことは見ないようにしてるだけだって、そう思ってた。けどやっぱり私の思い違い。あんたは何にも見ちゃいなかった。」
テマリの吐き出した言葉に、ピリピリとした空気を纏いながら我愛羅が一歩一歩ゆっくりと近づいてくる。思わずテマリはあとずさる。だがすぐに木に退路を阻まれ、その間隔はじりじりと詰められていった。
「俺が、何も、見ていないだと……?何が言いたいのか知らんがな、俺に指図をするのはやめろ」
「いやだ、やめない。私のこと姉じゃないと思ってるなら、なんでわざわざあんたの弱ってるところを見せるのさ。関係ないって言うんなら、関わらなければいいじゃないか。」
ダンッと大きな音をたてて、テマリの立つ木の幹を我愛羅の拳が叩く。それはテマリの頭すれすれに打ち付けられ、びくりと大きくテマリの体が跳ねた。
「……お前を姉だと思ったことはただの一度も無い。生まれてからこの方ただの一度もな」
そのままの姿勢でテマリの顔を覗き込んでいる。その表情はなにも感じないと言っているようだった。
テマリの目線は間近にある我愛羅の視線とかち合って、離すことが適わなくなってしまった。自分の体ではないように、金縛りにあっている。もう緊張に呼吸が上手く出来ない。
「……もう一つ言うなら、テマリ……お前はすぐにでも殺したい奴の一人だ。俺の手で、確実にな……」
「なっ……?」
さらさらと流れる音をたてて、辺りから足元に砂が集まりテマリの体を這い上がってきた。肌の上をざらりとした感触が徐々に広がる。
体が、動かない。
「…………今ここで、やってみるか……」
青白い我愛羅の指がゆっくり伸びて、テマリのしなやかな首にかかる。体温の違いにぞくりと肌が粟立った。
命一杯見開かれたテマリの瞳は、瞬きするのも忘れて目の前に迫る幽鬼のような男を見ていた。
「……………っ………!」
荒い呼吸を繰り返していた白く張りのある首を、徐々に指先に込める力を強めて締め上げる。確実に息を止めるために気道を脇から押しつぶす。
「…………はっ…………ぅ…………」
自分の首に絡みつき締め上げる我愛羅の力は強く、冗談だと思えなくなってきた。テマリは良く動かすことが出来ない自分の腕を必死に持ち上げ、力強い手首に縋り付いた。抵抗した指先に爪を立てられ我愛羅の手首に血の筋が残る。
だが、その抵抗も感じないのか、無表情なまま我愛羅は力を込め続けた。
閉じられなくなったテマリの瞳から、一筋涙が零れる。そのようすを見つめていた我愛羅は、少しだけ微笑むように口の端を歪めていた。
パクパクと酸素を求め動く口から、頼りない呼吸音とともに声を聞く。
「…………っア……羅…………」
もう意識が薄れてきて、あぁ、私はここで死ぬのか。とだけしか考えは浮かばなかった。
そう思うと自然に瞼が下りてきて、溜まっていた涙がぼろぼろと零れていった。
「………………姉さん…………」
遠のく意識の向こうで我愛羅の呟きが聞こえた。
とたんにきつく感じていた圧力が弱まり、ひりつく気道に大量の酸素がなだれ込んで眩暈がした。
突然開放された気道も肺も、とっさに反応できずゴホゴホと酷く咳き込む。
―今、……姉さんと………?―
酷い咳で、壊れたように涙が溢れて止まらなかったが、薄く目を開けて目の前に居るはずの我愛羅を見ようとした。
だが、それも叶わず自由になったばかりの呼吸がまた塞がれた。
「…………っん…………」
なにが起きたのかまったく分からなかった。
締めあげられ、ひりつき敏感になった首を、熱い指が包み込んでいる。
これは…………コレは………――
「………いやっ!……」
ドンと突き飛ばし、両腕で身を守るように体を抱いた。
突き飛ばされた我愛羅は、変わらず何も感じさせない瞳でこちらを見ている。
わなわなと唇がふるえて、何か口にしようとするのだが上手く声に出来ない。代わりにぼろぼろと涙ばかりがほほを伝った。
「…………やっぱり、殺しとくんだった………」
ついと口の端をぬぐうと、さっそうと背を向けて去って行こうとする。その背に慌てて声を浴びせた。
「あ………あんた!何なんだよ!」
その声に顔だけ向けて我愛羅は答えた。
「解らなくていい…………」
その姿に、遠い記憶が重なる。ああ、取り付く島がないのは父の背中だ。
よみがえる記憶にくらくらしたが、あの時のように去ってゆこうとする背中を呼び止める。
「我愛羅っ!」
その悲壮な声に再び足を止め、我愛羅がテマリを横目で見る。テマリは震えながら動けずにいた。その姿をみてまた我愛羅は少し微笑むような顔をする。
「テマリ。俺はただの一度もお前を姉と見たことはない。俺の道を塞ぐ気なら、今度こそ殺すぞ」
そう言い残し、颯爽と消えてしまった。
我愛羅が去った所から視線を離せずにいたテマリは酷く混乱して、その場にへたり込んでしまった。
「…………でも、さっき姉さんて…………」
気を失いかけたその一瞬。確かに彼の呟いた声が聞こえていた。見えはしなかったけれど、確かにその一言には労りの様なものを感じた。それまで、人の首を絞めていたとは思えないような………。
「やっぱりあんた、ちぐはぐだよ…………」
呟きは風に溶け、痺れた唇に涙がしみた。
こんなことをされても、やはり私はあの子を憎むことが出来なかった。それはあの時、なにも手助けすることが出来なかった罪悪感からだろうか。
私の心は、いまだにあの部屋から抜け出すことが出来ないでいる。たった一度見ただけのあの笑顔を、いまだに待っている。
あの鳥籠は、幼いあの子を閉じ込めていただけでなく、私の心も閉じ込めてしまったらしい。
我愛羅は父を演じ、私は母を演じ続ける。
―コレが父の掛けた呪いの正体。―
【一時閉幕(終わり)】