鳥籠
参
まだ日の高いうちなのに、そこはひっそりと冷たい空気が流れていた。部屋の周りには結界が張られ、中で交わされる会話は一言も洩らされないようになっていた。
板張りの上に立つその男は、半分だけあらわにした顔から厳しい眼光を覗かせている。
「全ては風影様の御意志だ」
はっきりと話す男からは何の迷いも感じられない。
「なんで今更戦争をする!あれだけ時間と犠牲を払ってやっと作り上げた同盟条約なんだろ?……それを破ってまで……」
テマリは堪らず声を張り上げていた。今更なぜこんな命が下されるのかわからない。上の意図するものが理解できずにいた。しかもそんな大層な指令を私たちに……。
「…………また大勢が死ぬ…………」
最後のほうは少し掠れていた。苦しみを眉根に湛えて自分たちの上司を見る。
今私たちは同盟国木の葉隠れの里に来ている。通称火の国。ここで各国の下忍達を集め、中忍になるための試験を開いている。
試験といっても様々でその年によって試験の内容は様変わりする。結局は勝ち残った者達を集め、トーナメントという形で国の兵力を見極める為のものなのだ。
私たち砂の三人も順調に勝ち進み、一ヵ月後の本選を控える身となった。
だがここに来て重大な報告を受けることになった。
砂と音が共謀し、木の葉を落とす。
中忍試験とは名ばかりで、私たちはそのための駒でしかなかったのだ。
いくら音が持ちかけた事だといったって、そんな得体の知れない者の出す策に乗るなんて、なんて馬鹿な事を……。口にはせずともテマリの瞳にはありありとその感情が映し出されていた。
「所詮忍は争いの道具だ」
そんなテマリの感情を知ってか知らずか、上忍 バキは冷たく言い放った。
「同盟条約自体、我々の存在を脅かすものに過ぎなかった―」
所詮彼もまた父の息のかかった者。だからこそ私たちの教師をしているのだろう。彼のその仕事振りはとても尊敬出来るし、立派だと思う。彼の下に就けて良かったと思う。だからこそこういう時自分には辛い。私はそういった面で弱いのかもしれない。立派過ぎて反発心をおぼえる。
「この任務、我愛羅お前の働きにかかっている……」
息詰る空気の中呼ばれた彼を見た。
一人壁に寄りかかり、何かを模索しているような表情のままピクリとも動かない。俯いた顔に落ちた影がより一層張り詰めたものを感じさせた。
「……あぁ……」
短く返答した我愛羅の瞳は、遠く何かを見ているようだった。
もう日も翳り始め、西日が容赦なく世界に降り注ぐ。空に流れる雲は、その燃えるような茜色を一身にまといさまざまな色の影を落としている。薄ねず、藤色、紫苑色。鮮やかな茜の上を流れてゆく一筋一筋が文様に見えて、さながら一枚の染め衣のように美しかった。
テマリは全身に緋色を浴びて、刻々と暗くなってゆく空を眺めている。
今朝方聞いた話を思い出し、一つゆっくりと瞬きをする。
真っ赤な夕日……私は嫌い。まるで血を浴びたときのよう……。
閉じた瞼に浮かぶのは、死んだように鈍く光る我愛羅の瞳。澄んだ光を映さなくなった瞳。
正直、テマリはその目を恐ろしいと思う。
私もなにかひどく呪えば、あんな瞳になるだろうか?
もう一度瞼を上げて、空を映す。先ほどよりいくらか暗さを増した夕焼けは赤銅色となり大地を焦がしていた。
「そろそろ宿に戻らないと……」
私たち余所者は、あまり遅くまで外にいると要らぬ疑いをかけられてしまう。いくら許可があるといったって、それだけは避けねばならなかった。とくに今のような状況ではなおさらだった。
ため息が出てしまう。頭ではそう分かっていても、なかなか帰る気にならないのだ。気持ちの整理が付かないせいだろう。頭と体は別物であるということを、現在身をもって感じていた。
足元の砂を少し払うしぐさをする。ほんの少しだけ塵となり小さく舞うが、すぐに地面に落ち着いてしまう。
里の砂とは違う。ここの砂は少し重い。風も弱い。
まだ離れてそんなに経っていないのに、もう里恋しくなっているのだろうか。
照りつける真っ白な太陽と、影に入った時の岩の冷たさが私は好きだ。風に舞う砂塵も、荒涼とした岩肌も、もうずいぶん昔のようだ。こんな任務さっさと切り上げてしまいたい。戦争など起こすべきではないのだ。
「国とは、難しいものだな……」
またため息が出てしまった。
眼下に広がる町を見つめ、テマリは一忍らしくないことを思っていた。こんなこと、考えたって私には何にも出来ないけれど……。
もう何度目かのため息をついてそばにある木陰に体を預けた。静かな音の中にかすかに虫の声が聞こえる。草が微かに擦れて出す音は荒れた心を落ち着かせる。
もう少しだけここに居よう……。
瞼を落とし何も考えずにいると、背後から何者かの気配を感じ、手元にあった大扇子を振り上げ動くものの方へ反射的に体を向けた。
「誰っ!」
一瞬の緊張が走るが、すぐにその者が影から薄ぼんやりと姿を現した。
「……っ……我愛羅……!」
がさがさと低木の葉を分けながら、名前を呼ばれた主はムッツリと不服そうな顔をして近づいてきた。
「…………なんだ………」
何をそんなに驚いているのだと、不機嫌極まりない彼の声が返ってきた。
「あんた、何処行ってたんだよ?あの後直ぐ出てったから何処行っちゃったのかと思って…………」
ふ、と鼻で笑う我愛羅を見てテマリはすぐに何処にいたのか気づいた。
「…………あの、……サスケってヤツの所か……」
彼の名前を出すと機嫌が良さそうになったので、テマリはいささか不安になった。
「……ま……まさか、殺してなんて……いないよね?」
不安を顔中に出したテマリを横目に、我愛羅はにやりと嬉しそうに口の端を歪め、まさか!と続けた。
「そんな勿体無いことをするわけないだろう?楽しみは取っておくものだ」
くくくと低く笑いテマリから目をそらした。その目線の先に、まるで意図する者が居るかのように。
「じゃあ……本戦で殺す気なんだ……」
テマリの声が暗く響いた。その声に疑いの眼差しを我愛羅が向ける。
「…………あんたは、やっぱり一人で戦うんだね……。あんたにとって私たちは、どうでもいい存在なんだね。結局のところ、計画だって関係ないんだ。あんたはあんたのやりたいようにやる。前にそう言ったもんね」
「……何が言いたい……」
さっきまでとは打って変わって、苛立ちをたたえた視線を全身に感じながら、竦みそうになる足をこらえてテマリは続けた。
「私、あのサバイバル試験のとき、あんたが言った言葉がずっとひっかかってるんだ。お前たちのことを兄弟だと思ったことは無いって。あの時そう言いながらも止めてくれたじゃないか。だから私、本当は、あんたはまだ私たちと一緒に歩くことを認めてるんだと思ってた。……でも、やっぱりあんたは自分独りでいることを選ぶんだ」
無言の圧倒が全身を貫く。これ以上続ければきっと私は唯ではすまないだろう。でも、テマリにはもう止めることができず、日々の不満が堰を切ってなだれてくるようだった。