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アザレアの亡霊

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1.邂逅

 どこかくすんだ九月の日―枯れだす大気が、季節を掻き毟った。

 近未来、どこかの国の原発事故をきっかけに飽和したエネルギー産業は皮肉にも原始的な蒸気機関へと世界を逆行させ、大小さまざまな大量の歯車が流通を支配した。
『ウージの眼』と呼ばれる巨大な送電塔が街のあちこちに鎮座し、まるで監視するかのようにクレアを見下ろしている。
 くすんだ銅や鉄色に彩られた無機質さを感じさせる街アザレアで、唯一柔らかな曲線を描く少女、クレアはその足を踊るように弾ませながら歌を口ずさみ歩いていく。
事故の後に汚染されたこの世界では事故にあった者は例外なく身体の一部を機械で補う他なく、生まれてきた子供たちは皆、どこかしら奇形をおび、その寿命も短い者が多かった。
 その中で唯一彼女は健康な肉体を持って生まれるも、ある致命的な障害により、彼女自身はその事に気付けずにいる。

ふと通りかかった一本の送電塔の側で足を止めれば、灰色の雲が覆い続ける空にそびえるように立つそれに、柔らかな笑みを浮かべて。チカチカと点灯していく送電塔の灯りに誘われるように汚染区域の中へと足を踏み入れる。

その時だった。

ボン!

 クレアの耳に、唐突に轟音が鳴り響き、爆風が体に吹き付ける―飛び散る破片と、悲鳴。黒煙が視界を奪う中から、一つの塊が地面に転がってきた。自分と同じくらいの年頃の少年だった。
 クレアは大きな爆発音にビクリと肩を震わせて立ち止まり、猫のように目を大きく見開きながら黒煙を凝視するが、それも束の間、転がるように現れたその少年の姿を見れば、首を傾げて大きな瞳をパチパチと瞬かせ──なんの警戒心も抱かずに側に歩み寄りながら

「……まっくろ!」

 指を指して幼い子供のように口を大きく開けて笑いだす。

「…うっ…ぐう…っ…!」

 苦痛に顔を歪めながら、少年は立ち上がろうとする。
上半身は裸だが、その背中からは奇妙な『モノ』が生えている。サイボーグは珍しくないが、少年から生えているそれは何かを補うようには見えず、それどころか『ウージの眼』に酷似した形状をしていた。

「いたぞ!」「そこだ!」

 黒煙の中から男たちの声、気配。

「……?」

 苦しむ少年の様子にどこか痛いところでもあるのか、とクレアはまた首を傾げるが、人の声がするとビクリと身を強張らせる。
 自分と同じ年頃の子供たちとは遊ばせてもらえず、大人達が彼女を見る目がクレアには怖く感じた。 口には出さない羨望と嫉妬のような負の感情を本能的に感じ取っていたからだろう。
 怖い存在から逃げているその少年に妙な親近感を抱いたのか、クレアは彼の手を掴むと立ち上がるように引き上げる。

「…こっちっ…」

 普段から同じように大人に会いそうになれば隠れていたクレアにとって、この街は大きな遊び場に等しい。声から遠ざかる方向へ走ると、お気に入りの隠れ場へと少年の手を引いて走りだした。

「…?!どこだ?!」「まだ遠くへは行っていないはずだ!」「探せ!」―離れた場所から見える戦闘服に身を包んだ男たちは、明らかに少年を探しているようであった。サブマシンガンで武装している―少年が明らかに『普通』ではないことが分かった。
 だが、それはいうなればクレアもそうである。
 少年はうっすらと、だが確かに警戒の眼差しをクレアに向けた。

「……お前…誰だ…?」

 大人達の殺気だった声に建物の使われていない消火栓の仕舞われた小さな空間に子供が二人、窮屈ながらも身を潜める。怖さをまぎらわすかのように、クレアは近くにいる少年の頭をぎゅうっと抱き寄せた。

「お喋り…ダメ。…しぃー」

 問いかける少年に辿々しい片言でそう言いながら、クレアは時おり外の様子を見るように小さな鍵穴を覗きこむ。
 少年が何故追われているか疑問にも思っていない様子だが、抱き締めるクレアの腕は震え、胸の鼓動は早鳴りしていることから、彼女がこの状況に緊張していることは解った。

「……」

 クレアの胸の中で、言われた通り息を殺す。
 それから、遠くで銃声、爆音。
 爆音がする度に震え、怯えながら、静まり返った後もクレアは不安そうに何度も鍵穴を見ていた。
怖くて外に出られない様子で、小さく「ぅー」や「ぁー」と呻きをあげる。やがてポタポタと、少年の顔に熱い何かが落ちて。緊張の糸が切れてしまったのか、クレアはその大きな瞳からボロボロと涙の粒を頬に滑らせる。

「……」

 クレアの瞳から溢れた涙が、頬に落ちると、少年はもぞもぞと体を動かし、今までとは逆にクレアを汚れた体で包み込む。不意に抱き締める腕にクレアはビクリと身体を強張らせたが、その緊張は直ぐに緩み、静かに静かに泣いていた。
 やがて涙が渇きを見せる頃、少年によって開かれた扉にクレアは萎縮したように身体を縮こまらせる。

 静かになると少年とクレアは外に出た。
 新鮮とは言いがたいが、それでも戸が開けば息苦しさからは解放された。先程はなかった煙や火薬の臭いや、鉄錆に似た臭いが鼻をつけば、クレアは思わず顔をしかめた。
 そこで血だまりに倒れた人の姿を見て─普通ならその辛酸な光景に悲鳴をあげるところだろうが、クレアはわからない、といった様子で首を傾げた。
 近寄り、膝をついて事切れた死体を軽く揺さぶるが、当たり前のように反応しないそれに、少年を振り返ると「──寝ちゃった…?」と声を潜めて問いかけてくる。

 クレアの問い掛けに、少年は無言だった。
 無言で、死体を見下ろしている。
 
作品名:アザレアの亡霊 作家名:takuya