夢ならよかった
水の都マルクトの宮殿周りは、今日も美しい。人々の話し声とざわめきが、噴水の水音を引き立て、かえって心を落ち着かせてくれるような気がする。マルクトの人間ではない、アニスは特にそう思った。
「本当、綺麗ですよね。マルクトって。」
「確かに見慣れた光景ですが、それを差し引いても美しい場所だとは思います。この国の君主のおられる場所であると同時に、国内でも屈指の観光名所なだけはありますから。」
マルクト軍の将官であり皇帝の懐刀であるジェイド・カーティスが、彼女に宮殿の庭園を案内する。親子ほどに齢が離れた二人だが、かつて共に旅をした仲であり、同時に莫逆の友であった。
初めて二人の姿を見た者たちは、大抵ジェイドと年端行かぬ少女の組み合わせに驚きはするものの、その少女こそがローレライ教団再建に奮闘する筆頭者であるアニス・タトリンだと知ると敬意を込めた眼差しへと変貌する。軍の者はおのずと敬礼し、そうでなき者は頭を低くする。
いささか過剰すぎる対応であると思うが、ジェイドもアニスも何も言うつもりはない。だがそれは、その現状を甘んじて受け入れているというニュアンスとはまた違う。あえて言うのであるのなら、己への戒めであった。
忘れてはいけない。この平和が何によって持たされたかを。真実を知るからこそ、それを受け入れる。
「愛しています、ガイラルディア様。」
ふと、二人は足を止めた。突如聞こえた女性の声。愛の告白。そしてそれを告げられた人物であろうその名を、二人はよく知っていた。視線を向ければ、華美な衣装に身を包む綺麗な女性と、簡素な衣装を着た男がいた。
アニスは思う。たしかに女性は整った顔立ちかもしれないが、派手すぎる衣装が美しさを殺しあっていると。逆に簡素な衣装を着た男、ガイラルディアは控えめなそれがかえって彼の男前をあげていると。馬子にも衣装ではないが、やはり艶やかな衣装はそれ相応の人物が着て初めて活かされるものであろう。
ガイラルディアと呼ばれた男は、やはり二人の畏友で、彼もまたかつて旅を共にした者であった。その彼が、困ったような表情で、女性からやや離れた位置に立っていた。その光景が一体なんなのか、聞かなくてもわかる。
ガイラルディアほどの美貌だと、懸想して告白する者は少なくない。同時に、容姿だけではなく性格のほうも温厚で好青年。身分は伯爵でかつ独身とくれば、我こそはと想いを告げるものは両手では足りない。たとえ、彼が女性恐怖症であろうともだ。
「そのお話でしたら、先日お断りしたはずですが?」
「ですから、改めて告白をしました。」
胸元を握り締め、頬を染めて女性は言う。曖昧な笑み、第三者から見れば迷惑そうにも見えるそれを表情に出し、ガイラルディアは思い巡らせた。
断れば、その時は引いてくれる。だが押しが強く、中々諦めてはくれない。少しの間を置き、あの手この手と品を変えて何度もチャレンジしてくる。できるだけ女性を傷つけたくないからこそ、ガイラルディアからは強く言えず、同時に力づくで切除するほど非礼な娘でないことを知るからいたく悩む。
最初のころは権力で要求を押し付けたり、脅迫まがいなことを言う者もいた。最悪、無理に関係を持とうと食前酒に睡眠薬を盛られたこともある。かつて、身分を欺き復讐者として敵国の公爵家に使用人として過ごしていた彼は、公爵子息の護衛という経験上そういう薬物などに敏感であったため、最悪の事態は免れた。そして、それらの対応を皇帝であるピオニーと友であるジェイドが処分を行った。
皇帝に頼るのも申し訳なさがあったが、皇帝は無礼な貴族を、罰して資格剥奪する良い機会になったと笑っていた。政治舞台などで、ガイラルディアの知らない何かがあり、口実として階位を下げたり宮廷への出入りを禁止にしたりと一悶着があったらしい。ジェイドのほうも同じらしく、軍の関係で何かをやっていることは知っている。相当上手くやっているのか、ガイラルディアにその悶着の火の粉が降りかかることはなくなったが、それでも求婚を迫る者が減ることはなかった。
「私は、本気です。愛しておりますわ、ガイラルディア様。」
「大変光栄な話ですが、だからこそあなたのような美しい方に、俺は不釣合いです。」
困ったように、それでも気障な台詞を交えるところが彼らしいとアニスは思った。本当なら、このことをネタに後でからかってやろうと思っていた。その台詞を聞くまで。
「どうして私の想いはあなたに伝わらないの。私、こんなにもあなたのことを思い慕っておりますのに……?」
「進撃な想いは伝わっております。だからこそ、俺なんかではなくもっと相応しい方のほうがよろしいと思います。あなたは、魅力的すぎる。」
「私、あなた以外の何も望まないわ!!」
興奮ゆえか、鼻息荒く女性はガイラルディアに迫る。震えながら、困りながら、それでも女性を傷つけまいとする彼。その彼の、触れてはいけないものに女性は触れた。
「あなたが手に入るのなら何もいらない。この生命も投げ打って捨てますわ!!」
ピクリと、ガイラルディアの身体が動いたのをアニスは見過ごさなかった。同時に、顔が青ざめる。それは、禁句。だがそれに留まらず、女性は最も言ってはいけない言葉を告げる。
「世界かあなたを選べと言われれば、私は迷わずあなたを選びます!! 世界を犠牲にすることだって厭わないわ!!」
「……帰れ。」
俯いたガイラルディア。先ほどの柔らかの声色と違う、静かな怒りの声に、先ほどまでの勢いはなく女性は怯えた。そんな女性を哀れだと、ほんの少しだけ同情を覚えたが、それ以上にガイラルディアの怒りがアニスにはわかる。ふとジェイドの表情を伺えば、相変わらずの無表情。だがそれが、ジェイドも苛立ってるようアニスには感じた。
「もう、二度と俺の前に姿を現さないでくれ。」
静かな、断罪するような音に、女性は縮み震え上がった。だが震えるばかりで動けない女性。その姿を確認し、舌打ちだけを残してガイラルディアはその場を立ち去った。その存在と、一秒でも一緒にいたくないと言わんばかりに。
知らなかったから仕方がないのかもしれない。だが知らなくてもやってはいけないものはある。そうやって、かつてある少年を責めた自分たちは、女性の台詞を擁護しようなどとは思わなかった。きっと、その場にその少年がいたのなら、許していたかもしれないが、自分たちは彼にはなれない。
「本当、綺麗ですよね。マルクトって。」
「確かに見慣れた光景ですが、それを差し引いても美しい場所だとは思います。この国の君主のおられる場所であると同時に、国内でも屈指の観光名所なだけはありますから。」
マルクト軍の将官であり皇帝の懐刀であるジェイド・カーティスが、彼女に宮殿の庭園を案内する。親子ほどに齢が離れた二人だが、かつて共に旅をした仲であり、同時に莫逆の友であった。
初めて二人の姿を見た者たちは、大抵ジェイドと年端行かぬ少女の組み合わせに驚きはするものの、その少女こそがローレライ教団再建に奮闘する筆頭者であるアニス・タトリンだと知ると敬意を込めた眼差しへと変貌する。軍の者はおのずと敬礼し、そうでなき者は頭を低くする。
いささか過剰すぎる対応であると思うが、ジェイドもアニスも何も言うつもりはない。だがそれは、その現状を甘んじて受け入れているというニュアンスとはまた違う。あえて言うのであるのなら、己への戒めであった。
忘れてはいけない。この平和が何によって持たされたかを。真実を知るからこそ、それを受け入れる。
「愛しています、ガイラルディア様。」
ふと、二人は足を止めた。突如聞こえた女性の声。愛の告白。そしてそれを告げられた人物であろうその名を、二人はよく知っていた。視線を向ければ、華美な衣装に身を包む綺麗な女性と、簡素な衣装を着た男がいた。
アニスは思う。たしかに女性は整った顔立ちかもしれないが、派手すぎる衣装が美しさを殺しあっていると。逆に簡素な衣装を着た男、ガイラルディアは控えめなそれがかえって彼の男前をあげていると。馬子にも衣装ではないが、やはり艶やかな衣装はそれ相応の人物が着て初めて活かされるものであろう。
ガイラルディアと呼ばれた男は、やはり二人の畏友で、彼もまたかつて旅を共にした者であった。その彼が、困ったような表情で、女性からやや離れた位置に立っていた。その光景が一体なんなのか、聞かなくてもわかる。
ガイラルディアほどの美貌だと、懸想して告白する者は少なくない。同時に、容姿だけではなく性格のほうも温厚で好青年。身分は伯爵でかつ独身とくれば、我こそはと想いを告げるものは両手では足りない。たとえ、彼が女性恐怖症であろうともだ。
「そのお話でしたら、先日お断りしたはずですが?」
「ですから、改めて告白をしました。」
胸元を握り締め、頬を染めて女性は言う。曖昧な笑み、第三者から見れば迷惑そうにも見えるそれを表情に出し、ガイラルディアは思い巡らせた。
断れば、その時は引いてくれる。だが押しが強く、中々諦めてはくれない。少しの間を置き、あの手この手と品を変えて何度もチャレンジしてくる。できるだけ女性を傷つけたくないからこそ、ガイラルディアからは強く言えず、同時に力づくで切除するほど非礼な娘でないことを知るからいたく悩む。
最初のころは権力で要求を押し付けたり、脅迫まがいなことを言う者もいた。最悪、無理に関係を持とうと食前酒に睡眠薬を盛られたこともある。かつて、身分を欺き復讐者として敵国の公爵家に使用人として過ごしていた彼は、公爵子息の護衛という経験上そういう薬物などに敏感であったため、最悪の事態は免れた。そして、それらの対応を皇帝であるピオニーと友であるジェイドが処分を行った。
皇帝に頼るのも申し訳なさがあったが、皇帝は無礼な貴族を、罰して資格剥奪する良い機会になったと笑っていた。政治舞台などで、ガイラルディアの知らない何かがあり、口実として階位を下げたり宮廷への出入りを禁止にしたりと一悶着があったらしい。ジェイドのほうも同じらしく、軍の関係で何かをやっていることは知っている。相当上手くやっているのか、ガイラルディアにその悶着の火の粉が降りかかることはなくなったが、それでも求婚を迫る者が減ることはなかった。
「私は、本気です。愛しておりますわ、ガイラルディア様。」
「大変光栄な話ですが、だからこそあなたのような美しい方に、俺は不釣合いです。」
困ったように、それでも気障な台詞を交えるところが彼らしいとアニスは思った。本当なら、このことをネタに後でからかってやろうと思っていた。その台詞を聞くまで。
「どうして私の想いはあなたに伝わらないの。私、こんなにもあなたのことを思い慕っておりますのに……?」
「進撃な想いは伝わっております。だからこそ、俺なんかではなくもっと相応しい方のほうがよろしいと思います。あなたは、魅力的すぎる。」
「私、あなた以外の何も望まないわ!!」
興奮ゆえか、鼻息荒く女性はガイラルディアに迫る。震えながら、困りながら、それでも女性を傷つけまいとする彼。その彼の、触れてはいけないものに女性は触れた。
「あなたが手に入るのなら何もいらない。この生命も投げ打って捨てますわ!!」
ピクリと、ガイラルディアの身体が動いたのをアニスは見過ごさなかった。同時に、顔が青ざめる。それは、禁句。だがそれに留まらず、女性は最も言ってはいけない言葉を告げる。
「世界かあなたを選べと言われれば、私は迷わずあなたを選びます!! 世界を犠牲にすることだって厭わないわ!!」
「……帰れ。」
俯いたガイラルディア。先ほどの柔らかの声色と違う、静かな怒りの声に、先ほどまでの勢いはなく女性は怯えた。そんな女性を哀れだと、ほんの少しだけ同情を覚えたが、それ以上にガイラルディアの怒りがアニスにはわかる。ふとジェイドの表情を伺えば、相変わらずの無表情。だがそれが、ジェイドも苛立ってるようアニスには感じた。
「もう、二度と俺の前に姿を現さないでくれ。」
静かな、断罪するような音に、女性は縮み震え上がった。だが震えるばかりで動けない女性。その姿を確認し、舌打ちだけを残してガイラルディアはその場を立ち去った。その存在と、一秒でも一緒にいたくないと言わんばかりに。
知らなかったから仕方がないのかもしれない。だが知らなくてもやってはいけないものはある。そうやって、かつてある少年を責めた自分たちは、女性の台詞を擁護しようなどとは思わなかった。きっと、その場にその少年がいたのなら、許していたかもしれないが、自分たちは彼にはなれない。