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Who cares ?

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#01 罪滅ぼしの優しさなんていらない



 ああもう何が起こったのかまるで記憶にない。
 ベッドの周りに散乱している自分の衣服を認めて臨也は眩暈を覚えた。辛うじて今は一枚袖を通しているけれども、それも意味があるのかないのか。鈍く痛む箇所が頭だけでは無いのもどうにかこうにか気のせいだと思いたくて、けれども躯は重くて。
 臨也は記憶を飛ばしてしまった間を呪った。どこかまだ感じられる、酒臭さとそしてもう一つの認めたくはない臭いに吐きそうになる。
――ああもう!
 なんという不覚であろう。本当にどうしてこうなってしまったというのか。昨日は静雄をからかって遊んで、酒を飲んで、それで――……それで?
 どうにも断片的でしかない記憶に臨也は頭を抱えた。
 ジジ、とライターの火がつけられる音が背後からする。緩慢な動きで振り返ると、静雄がベッドの縁に腰かけていた。どうせ今に彼のそばに紫煙がくゆってくるのだろう。彼の中に一度取り込まれ吐き出されてくる白煙にさえ嫌気がさした。此方が酷く混乱しているというのにその余裕っぷりが腹立たしくて仕方がなくて、文句の一つや二つどころかいっそのことナイフで刻んでしまいたい。
 しかしそんなことを思っても、どうせ此の躯では返り討ちにされるのが落ちだった。ただでさえ今の現状を屈辱に思っているのに、自ら更に自尊心を傷つけるような真似をせずともよい。
――ああもう悔しい悔しい悔しい。
 臨也はその背を睨みながらぎゅうと唇を噛みしめた。
「シズちゃん……」
 ぽつりと零れた声は掠れていた。別段何かを言いたくて呼びかけたわけではない。気付いたら零れていただけのそれ。そこには事後の艶やかさや甘さなど微塵も感じられなかった。寧ろそこにあるのはやり場のない苛立ち。
 静雄はぷかぷかと紫煙を浮かべながら此方を向いた。ところが、向けられた彼の双眸から彼が彼でないように見えた。躯はどうだ、と問うてくるその瞳はいつもより柔らかく優しい。
 だが臨也の場合、単純に恐怖を感じる材料にしかならなかった。気味が悪くて仕方がない。今に槍が降ってきてもおかしくはないとまで思う。
 臨也は静雄がこんな眼差しを持つこともできるのだということを知らない。いつだって静雄が臨也に向けるのは禍々しい苛烈な瞳。殺意を孕んだ色以外を向けられたことがない。向けてもらえるほど親密な関係でもない。尤も毎度会う度にやり合う犬猿の仲もそれはそれで親密と言えるのかも知れないけれどもやはり何かが違うだろう。
――これは誰?俺の知ってるシズちゃんじゃない。
 臨也は柳眉を逆立てた。酷く癪に障る。
――やめて、そんな目しないでよ。逆に怖いからさ、それ。
 臨也はふいと目を外して、静雄に背を向けなおした。
 すると背後から一割どころか五割増しぐらいで静雄の機嫌が悪くなるのを感じる。
 おい、と声を掛けられるが、恐らくその口元は引き攣っているのだろう。無理はするものではないと思う。いっそのこと血管の一本二本切れてしまえ。そんな物騒なことを臨也は思う。だがしかし、珍しいことは更にあるもので、静雄は何やら臨也の躯を気遣うような意味合いの言葉を口にした。すぐに暴力に訴えるこの男に酷く似合わぬ手法だった。本当に似合わない。いや、似合わないと思うのもいつも己が彼を怒らせてしまうからか。
 しかし沸点はどちらにしろ低い。臨也が碌に反応もしないでいるから、ぷつりときたのだろう。やっといつも耳にする声音で静雄が読んだ。
「臨也ぁ!」
 ああ、それでこそいつもの彼だ。何故だか荒げられた声を掛けられる方がほっとする。少し大人しい声――いや、臨也の知る静雄からすればかなり大人しい部類にはいるだろう声で名を呼ばれるのはこそばゆい。確かに声は静雄の物であるのに、静雄でないように感じてしまうのだ。
「ああもう、五月蠅いなあ!聞こえてるよ!」
 ほっとしたのを気付かれたくなくて、またそんな事を思った事にも決まりが悪くて臨也はぴしゃりと撥ねた。優しい施しなんて受け取り慣れていない。ぐるぐると渦巻く感情の終着点がどこになるのか臨也にも分からなかった。とりあえず分かるのは、今、この場に長く留まってはいけないということだった。
「……帰る」
 臨也はベッドの周りに散乱している自分の服の内の一枚を引き寄せ、握りしめた。手繰り寄せるとぐるりと考えていた間は少し収まっていた腹立たしさがまたふつふつと湧きあがってくる。今日の今すぐは無理だとしても次行きあった時は容赦しない。のろのろと服を身につけて行きながら、見下ろした自分の躯は真白かった。鬱血の痕はない。
「……手前、帰れんのかよ」
「何、シズちゃん心配してくれんの?」
 それはそれは珍しい。やっぱりこれは天変地異の前触れなんじゃないだろうか。全てを身につけ終えた臨也はベッドを下りようとする。ずきずきと痛む腰が忌まわしい。そんなことをぼんやりと思っていると、案の定であった。
「――ッ!」
 ずくりと激痛が走る。切り傷や刺し傷や打撲などだったらまだよかったのに。生憎こんな下半身に対する痛みの経験なんて無い。ぐらりと臨也の躯は倒れていく。咄嗟に体制を立て直して立つことは無理そうで、臨也はベッドに再び沈んだ。ぎしりとベッドが鳴く。
「何やってんだ、手前」
 やっぱり辛いんじゃねえか、とまた紫煙を吐き出しながら静雄が振り向いた。やはりいつもの彼らしくない。いいや、現状自体がいつもらしくないのだから、もう何が正常なのかもはっきりしない。臨也はシーツをキツく握った。
 すると、何を思ったか静雄は煙草を持たない方の手を臨也に向かって伸ばしてきた。立てなかった臨也を立たせるためなのか、それとも他に何か意図があるのか。それは分からないが、兎に角また触られるというのは不愉快極まりなく、臨也はその長い指先が己に触れる瞬間に叩き落した。
「触らないでくれる?」
 きっ、と臨也は静雄を睨んだ。

 かたかたと指先が勝手に震える。どうにか震えを抑えたくてぎゅうとシーツを更にきつく握った。
 果たして君はこんな俺を嘲笑うのだろうか。弱いとさげすむだろうか。





作品名:Who cares ? 作家名:佐和棗