輝ける王国の物語
走る少年とエルフの少女(1)
深い霧に包まれた「霧隠れの森」。 その森をひた走る一人の少年がいた。
黒に近いグレーの髪は顎の辺りまで伸びており、耳元で外側に跳ねている。前髪は額の真ん中で分けられており、その下には意志の強そうな眉。髪色より薄めのグレーの大きな瞳が、物腰柔らかな印象を与えている。顔の輪郭もやや丸みを帯びていて、あどけなさを残している。
長袖の胴衣に長ズボン、膝丈のブーツ。両肩と胸、背中の部分を覆うように、それぞれを紐で結んだ簡素な皮鎧を身に着けている。腰のベルトには木製の鞘をぶら下げており、普段は愛用のロングソードをそこに収めている。
時折、人間の大人と同じ程の身長がある二足歩行のネズミのモンスター「ラットマン」や、人間の子ども程の躯体に背中に羽を生やした妖精のようなモンスター「リトルグリンキー」を相手に剣を振るっている。初めて霧隠れの森に足を踏み入れた少年にとって、名前は聞いたことはあるものの、実際に立ち会うのは大違いだった。必要以上に剣を握る手に力を込めているため、緊張で体中ががちがちだ。剣に振り回されないようにと体を支える両足にも力が入る。
木々が鬱蒼と茂った森を抜け、森と森の間にある谷に架けられた橋にたどり着いた。霧が晴れ、視界が開けたところで少年は足を止めた。
「もう少しでエルドリンだ」
霧隠れの森は少年が目指すエルドリンと、波紋の森の間に位置する。いくつかの島とそれぞれを結ぶ橋があり、その間は深い谷になっている。名前が示すように谷は霧に包まれており、谷底がどれほど深いのか検討もつかない。中央の島はすり鉢上になっていて、底に当たる部分には輝石の神殿と呼ばれる洞窟への入り口がある。
少年は、故郷ルーメンの村長ルメノスからエルドリンの警備隊長シュティアンに「あるもの」を渡すよう頼まれていたのだった。
村を一歩出れば、凶悪なモンスターが徘徊する危険な世界が広がっている。少年は、将来少しでも村の役に立てるようにと幼少の頃から剣の修行を積んできた。そのお陰で、見たことが無かったモンスターにも何とか太刀打ちできている。
木製の大きな橋を早歩きで渡る。途中、橋の欄干から谷底を眺めてみたが、あまりの深さにめまいがしそうになった。慌てて手すりを離れ、橋を渡りきる。再び森の中に入り、なだらかな斜面を下った。ちょうどそこは、輝石の神殿への入り口がある場所だった。深い暗闇がぽっかりと口を開け、その周りには一抱え以上もある大きな石が積まれている。さらに、大きな石柱が点在しており、神殿の所在を明らかにしている。
霧隠れの森に入って以降、走り続けていた少年は不意に疲れを覚えた。きょろきょろと辺りを見回す。モンスターの陰は見当たらない。
「ちょっとぐらい、休んでも大丈夫かな」
少年は草むらにゆっくりと腰を下ろした。空を眺め、額の汗をぬぐう。ここは、霧隠れの森のゲートからエルドリンの城壁までの中間に位置するはずだ。長く息を吐く。あと半分。背負っていた荷物入れを下ろし、中に手を入れ体力回復のためのポーションを取り出そうとした。しかし、思いとどまった。残り半分とは言え、何が起こるか分からない。深刻な傷を負っている訳ではないのだから我慢しよう。両手を後ろに回し、ぐっと体を伸ばした。
地面についた手の先に、見慣れない草が生えているのが目に入った。
「何だろう?」
森に生えている草の中にはハーブと呼ばれ、ポーションやスクロールの作成の材料になるものがあると聞く。気になった少年は、根元の方に手を伸ばし、引き抜こうとした。
「どいてどいてっ!」
少年は反射的に手を引っ込めた。その草を引き抜こうとする先客がいたのかと思ったからだった。
「ごめんなさい、あの」
謝罪の言葉を口にしようとした途端、座ったままの少年の体に、鈍い衝撃が走った。「何か」がぶつかってきたのだ。虚を突かれた少年は避ける暇もなく地面を転がった。倒れこんだ少年は、体の上に重みを感じた。何か--おそらく「誰か」が自分の体の上に乗っかっている。押しのけようと、ぐいと手を伸ばす。思ったよりも柔らかい感触がそこにはあった。目を開け、感触の正体を探る。手を伸ばした先にあったのは、一人の少女のか細い肩だった。逆光になっていて、表情はよく見えない。
「あ・・・・・・」
向こうからぶつかってきたとは言え、うっかり少女の体に触ってしまった。慣れないシチュエーションに、次の言葉が出てこない。少年が口をぱくぱくとさせていると。
「ごめんねっ」
少年の体を蹴らんばかりの勢いで少女は跳ね起き、体勢を整えた。弓に矢をつがえ、きりきりと引き絞る。状況を飲み込めない少年は少女の視線の先を追うので精一杯だった。その先には、さっきまで自分が相手をしていたラットマンが立っていた。
「やっ!」
少女がつがえていた矢を放した。矢はきらきらと光を放ちながら、ラットマンの眉間に突き刺さった。どうやらその一撃が致命傷になったらしい。ラットマンは仰け反って地面に倒れ、動かなくなった。少女は構えていた弓を降ろした。
「だ、大丈夫ですか?」
少年が声を掛けた。緊張が解けたのか、少女は地面にへたり込んでしまった。肩で息をしている少女をまじまじと見つめる。亜麻色の長い髪は腰まで伸びており、前髪は額の中央を斜めに横切っている。細く緩やかにカーブを描く眉と深緑色の大きな瞳。小さく膨らんだ鼻と透き通るように白い肌。頬は先ほどの戦いのためかやや紅潮している。少年よりもさらに幼い印象を醸し出している輪郭。目を引いたのは、顔の両側から天に向かって伸びる--エルフ族の象徴でもある--長い耳だった。
村を歩いている冒険者の中に、時折エルフと思われる姿を見かけることはあったが、こんなに間近で見るのは初めてだ。何よりも、少女の愛らしい外見に目を離せなくなりそうになっていた。
「うん、だいじょうぶ。ありがとっ」
息が整ったのか少女は飛び跳ねて立ち上がり、体や服に着いていた泥を手で払った。胴体の部分を覆う皮鎧と分厚めの布で作られたスカート。両肩はむきだしで、肘まである手袋をはめている。スカートの下からは顔と同様、白い両足が伸びており膝から下は手袋と同素材と思われるブーツに包まれていた。様子を見る限り、どうやら怪我はなさそうだ。少年は胸を撫で下ろした。
「ハーブをとるのに夢中になっちゃって。気づいたらネズミさんの足をふんづけちゃってたんだよね」
えへへ、とはにかむ少女。つられて少年も微笑みそうになる。
モンスターと戦っていたということは、このエルフの少女も冒険者だろうか?どこから来たのだろう?自分と同じように何か目的があるのだろうか?様々な疑問が少年の頭に浮かび上がったとき。
「君、ここで何してたの?」
先に少女に質問されてしまった。少女の背丈は少年の肩ほどまでしかなく、自然と少年を見上げる形になる。
「え、と。僕はエルドリンに向かう途中で。休憩していたところです」
「もし時間があったらでいいんだけど。 手伝ってほしい事があるの」
「えっ?」
いきなり手伝いを頼まれるとは思わなかった。
「いいですけど・・・・・・何をすればいいんでしょう?」