僕は明日、五歳の君とデートする(A)
(A1)
蒲田君が読み上げるスケジュールを聞きながら、僕は明日のことを考えていた。
「連載エッセイの締切は来週の水曜日です。本日は雑誌の取材が二件、午前と午後です。それから、……。先生。ちゃんと聞いてますか?」
「あ? ああ、ゴメン。ちゃんと聞いています。取材が二件ね」
「しっかりして下さい。最近少しぼんやりしていることが多くないですか? 明日は久しぶりに丸一日のオフなんですから、今日まではシャンとしてて下さい」
有能なマネージャーは持っていたタブレットをデスクに置くと、少しだけ首を傾げて、いたずらをした子供を叱る小学校教師のように僕を睨んだ。
僕は五年ほど前からある芸能事務所とマネージメントの委託契約を結んでいる。と言っても、芸能活動をするためではない。そりゃまあ、たまにはバラエティとか対談番組などでテレビに出たりすることもあるが、それは個人的な知り合いの番組Pからの依頼で断れない場合だけだ。
マネージメントは各種締切の日程管理、新規の仕事、取材や講演などの申し込み窓口、仕事で遠出するときの切符・航空券や宿の手配などが主である。
事務所からマネージャーとして派遣されているのが、今僕の前にいる蒲田君だ。一流大卒の才媛、二七歳。僕にとっては二代目のマネージャーになる。
前任者は四十代の男性ベテランマネージャーだったが、彼が僕と同時に担当していた若手芸人がブレークしたのでその専属になってしまった。
後任の蒲田君が仕事場兼住居である僕のマンションに出入りすることを問題視する向きもあったらしい。しかし僕の事情をある程度知っている社長が「あいつは大丈夫だから」と押し切った。
蒲田君は僕の他に若手芸人コンビを一組担当している。しかしそのコンビはまだスーパー駐車場での営業くらいしか仕事がない。
だから彼女の収入の多くは僕が事務所に支払う委託料からということになり、間接的に僕が彼女を雇っているようなものだが、実際の立場はここまでの会話に現れている通りだ。
「さっき言いかけたことですけど、私、本日午後は向こうに行きますので、午後の取材は先生お一人でお願いしますね」
メッという顔を元に戻した蒲田君は、今度は慈母のような笑顔でそう言った。
「えっ? だって、蒲田君今日は取材二本だから一日こっちにいるって言ってたじゃないか」
「予定が変わりました。大阪で急な営業が入ったんです。これまで何度も取材を受けているのですから、もうお一人でも大丈夫です」
その我が子の成長を喜ぶ母親の顔は止めてくれ。
「先生はもっとご自分に自信を持たれるべきです。年齢的には中堅ですけど、小説でもイラストでもそれなり以上の実績を積まれているのですから。いつまでも私がいないと取材も受けられないようでは困ります」
それができないから君にマネージメントを頼んでいるんじゃないか、という言葉は凄みのある笑顔を前にして引っ込めざるをえなかった。
「だいたい、講演なんかは平気で一人で出かけて喋ってくるのに、取材が苦手っておかしいですよ」
僕は大勢を前にしての講演は別に苦ではない。話す内容も事前に決めている訳ではなく、その日の会場の様子を見てから聴衆に合わせて選ぶようにしている。どんなテーマであっても自分の好きなことを好きなように話せるから楽なのだ。
それに比べて取材は基本的に聞かれたことに答えるだけなので、言いたいことを十分に言えない鬱憤がたまってくる。だから蒲田君が隣にいてくれないと自分が何を言い出すか分からなくなって少し怖い。
「ところで、明日のオフはどうされるのですか?」
蒲田君は僕のそんな懊悩など気にもしないで話を変えた。
「昼間はゴロゴロして、夜はお祭りの花火大会に行こうと思ってるけど」
「花火大会? 原稿の先作りまでして無理して捻出したオフにそれですか。桟敷を取っているんですか?」
「いや、河川敷をブラブラ歩くだけだよ」
「どなたかと約束でも?」
蒲田君は言った後で「深入りしすぎたかな」という顔をしたが、僕はそれは気にせずに答えた。
「約束はしていない。でも五歳の女の子と会うつもりだ」
「姪御さんか何かですか? あれ? でも先生にご兄弟はいらっしゃいませんよね」
「親戚じゃないよ。他人の子だ。その子の両親との面識もない」
「あの、それって。本気ですか?」
蒲田君がドン引きした。まあ、普通の反応だろう。
「本気だよ。デートを楽しみにしているんだ」
僕がその子と会うことは十五年前から決まっていたんだ、とは言わなかった。
「私は一応先生を信頼していますけど。くれぐれも、くれぐれも、間違いは犯さないようにお願いします」
五歳女児に会うという三十男に間違いを犯すなとは、蒲田君も相当混乱したのだろう。僕を見る目つきが犯罪予備軍を見るそれに変わっていた。
「ああ。間違いは犯さないようにする」
蒲田君が僕の言葉の意味を正確に把握することは当然できなかった。僕は彼女の言う「間違い」とは違う意味での「間違い」を絶対に犯してはならないのだ。
蒲田君はまだ何か言いたそうだったが、そのとき来客が到着したので話はそこで終わった。
大手出版社の書評雑誌による午前中の取材は、先週出版された新作についての簡単なインタビューと写真撮影だった。その取材が終わると同時に、蒲田君は知り合いだったらしい雑誌編集者と一緒に出て行ってしまった。
残された僕はとりあえず外に出て、昼もやっている行きつけの小料理屋で昼食を済ませた。
仕事場に戻って蒲田君が置いていった今日のスケジュール表を見ると、午後の取材元は知らない出版社だった。新創刊の雑誌の取材とある。
僕は予定の時間まで何も手に付かなかった。約束の午後二時にチャイムが鳴ったときは覚悟を決めた。
取材者は男性二人だった。最近はどの雑誌社も経費削減で取材とカメラマンを一人の編集者が兼ねることが多いのだが、新雑誌ということで力が入っているのだろうと思った。
(A2)
名刺を交換して、宜しくお願いしますと取材が始まると思いきや、足立と名乗った年配のほうの男性が切り出したのは意外な話だった。
「申し訳ありません。取材というのは嘘です。マネージャーさんに急な仕事が入ったのも私達が行なったことです。先生お一人とお会いする必要がありましたので」
僕が有名になればなるほど、所謂「変なやつ」が寄ってくるケースが増える。講演会で政治的な話をすることもあるから、その内容に反対する団体から嫌がらせを受けることもある。
しかし直接僕のところに乗り込んでくることは稀だし、来ても一人のことが多い。足立さんと、若い方の港さんは雰囲気的にそのような気配は感じられなかった。特に港さんは以前会ったことがあるような気がしてしょうがなかったのだ。
「どういうことでしょうか」
僕はそれでも警戒して尋ねた。
「私どもとしましても、どこからお話すれば先生にご納得頂けるか迷っております。ですから、まず本題を申し上げます。明日、先生は花火大会にお出かけになりますよね」
僕が花火大会に行くことは午前中に蒲田君に話しただけで、他には誰にも言っていない。驚くと同時に、少し予感が走った。
蒲田君が読み上げるスケジュールを聞きながら、僕は明日のことを考えていた。
「連載エッセイの締切は来週の水曜日です。本日は雑誌の取材が二件、午前と午後です。それから、……。先生。ちゃんと聞いてますか?」
「あ? ああ、ゴメン。ちゃんと聞いています。取材が二件ね」
「しっかりして下さい。最近少しぼんやりしていることが多くないですか? 明日は久しぶりに丸一日のオフなんですから、今日まではシャンとしてて下さい」
有能なマネージャーは持っていたタブレットをデスクに置くと、少しだけ首を傾げて、いたずらをした子供を叱る小学校教師のように僕を睨んだ。
僕は五年ほど前からある芸能事務所とマネージメントの委託契約を結んでいる。と言っても、芸能活動をするためではない。そりゃまあ、たまにはバラエティとか対談番組などでテレビに出たりすることもあるが、それは個人的な知り合いの番組Pからの依頼で断れない場合だけだ。
マネージメントは各種締切の日程管理、新規の仕事、取材や講演などの申し込み窓口、仕事で遠出するときの切符・航空券や宿の手配などが主である。
事務所からマネージャーとして派遣されているのが、今僕の前にいる蒲田君だ。一流大卒の才媛、二七歳。僕にとっては二代目のマネージャーになる。
前任者は四十代の男性ベテランマネージャーだったが、彼が僕と同時に担当していた若手芸人がブレークしたのでその専属になってしまった。
後任の蒲田君が仕事場兼住居である僕のマンションに出入りすることを問題視する向きもあったらしい。しかし僕の事情をある程度知っている社長が「あいつは大丈夫だから」と押し切った。
蒲田君は僕の他に若手芸人コンビを一組担当している。しかしそのコンビはまだスーパー駐車場での営業くらいしか仕事がない。
だから彼女の収入の多くは僕が事務所に支払う委託料からということになり、間接的に僕が彼女を雇っているようなものだが、実際の立場はここまでの会話に現れている通りだ。
「さっき言いかけたことですけど、私、本日午後は向こうに行きますので、午後の取材は先生お一人でお願いしますね」
メッという顔を元に戻した蒲田君は、今度は慈母のような笑顔でそう言った。
「えっ? だって、蒲田君今日は取材二本だから一日こっちにいるって言ってたじゃないか」
「予定が変わりました。大阪で急な営業が入ったんです。これまで何度も取材を受けているのですから、もうお一人でも大丈夫です」
その我が子の成長を喜ぶ母親の顔は止めてくれ。
「先生はもっとご自分に自信を持たれるべきです。年齢的には中堅ですけど、小説でもイラストでもそれなり以上の実績を積まれているのですから。いつまでも私がいないと取材も受けられないようでは困ります」
それができないから君にマネージメントを頼んでいるんじゃないか、という言葉は凄みのある笑顔を前にして引っ込めざるをえなかった。
「だいたい、講演なんかは平気で一人で出かけて喋ってくるのに、取材が苦手っておかしいですよ」
僕は大勢を前にしての講演は別に苦ではない。話す内容も事前に決めている訳ではなく、その日の会場の様子を見てから聴衆に合わせて選ぶようにしている。どんなテーマであっても自分の好きなことを好きなように話せるから楽なのだ。
それに比べて取材は基本的に聞かれたことに答えるだけなので、言いたいことを十分に言えない鬱憤がたまってくる。だから蒲田君が隣にいてくれないと自分が何を言い出すか分からなくなって少し怖い。
「ところで、明日のオフはどうされるのですか?」
蒲田君は僕のそんな懊悩など気にもしないで話を変えた。
「昼間はゴロゴロして、夜はお祭りの花火大会に行こうと思ってるけど」
「花火大会? 原稿の先作りまでして無理して捻出したオフにそれですか。桟敷を取っているんですか?」
「いや、河川敷をブラブラ歩くだけだよ」
「どなたかと約束でも?」
蒲田君は言った後で「深入りしすぎたかな」という顔をしたが、僕はそれは気にせずに答えた。
「約束はしていない。でも五歳の女の子と会うつもりだ」
「姪御さんか何かですか? あれ? でも先生にご兄弟はいらっしゃいませんよね」
「親戚じゃないよ。他人の子だ。その子の両親との面識もない」
「あの、それって。本気ですか?」
蒲田君がドン引きした。まあ、普通の反応だろう。
「本気だよ。デートを楽しみにしているんだ」
僕がその子と会うことは十五年前から決まっていたんだ、とは言わなかった。
「私は一応先生を信頼していますけど。くれぐれも、くれぐれも、間違いは犯さないようにお願いします」
五歳女児に会うという三十男に間違いを犯すなとは、蒲田君も相当混乱したのだろう。僕を見る目つきが犯罪予備軍を見るそれに変わっていた。
「ああ。間違いは犯さないようにする」
蒲田君が僕の言葉の意味を正確に把握することは当然できなかった。僕は彼女の言う「間違い」とは違う意味での「間違い」を絶対に犯してはならないのだ。
蒲田君はまだ何か言いたそうだったが、そのとき来客が到着したので話はそこで終わった。
大手出版社の書評雑誌による午前中の取材は、先週出版された新作についての簡単なインタビューと写真撮影だった。その取材が終わると同時に、蒲田君は知り合いだったらしい雑誌編集者と一緒に出て行ってしまった。
残された僕はとりあえず外に出て、昼もやっている行きつけの小料理屋で昼食を済ませた。
仕事場に戻って蒲田君が置いていった今日のスケジュール表を見ると、午後の取材元は知らない出版社だった。新創刊の雑誌の取材とある。
僕は予定の時間まで何も手に付かなかった。約束の午後二時にチャイムが鳴ったときは覚悟を決めた。
取材者は男性二人だった。最近はどの雑誌社も経費削減で取材とカメラマンを一人の編集者が兼ねることが多いのだが、新雑誌ということで力が入っているのだろうと思った。
(A2)
名刺を交換して、宜しくお願いしますと取材が始まると思いきや、足立と名乗った年配のほうの男性が切り出したのは意外な話だった。
「申し訳ありません。取材というのは嘘です。マネージャーさんに急な仕事が入ったのも私達が行なったことです。先生お一人とお会いする必要がありましたので」
僕が有名になればなるほど、所謂「変なやつ」が寄ってくるケースが増える。講演会で政治的な話をすることもあるから、その内容に反対する団体から嫌がらせを受けることもある。
しかし直接僕のところに乗り込んでくることは稀だし、来ても一人のことが多い。足立さんと、若い方の港さんは雰囲気的にそのような気配は感じられなかった。特に港さんは以前会ったことがあるような気がしてしょうがなかったのだ。
「どういうことでしょうか」
僕はそれでも警戒して尋ねた。
「私どもとしましても、どこからお話すれば先生にご納得頂けるか迷っております。ですから、まず本題を申し上げます。明日、先生は花火大会にお出かけになりますよね」
僕が花火大会に行くことは午前中に蒲田君に話しただけで、他には誰にも言っていない。驚くと同時に、少し予感が走った。
作品名:僕は明日、五歳の君とデートする(A) 作家名:gatsutaka