二口と潔子さんがたまたま出会って喋ってるだけの話
社会見学という名の工場見学。工業系の高校だと卒業後に就職先として世話になる人も少なくない。
面倒くさいと感じている見学や実習も、大学まで行く気力のない二口も選択肢の一つとして可能性があると思えば、多少はがんばれた。気がする。
見学が終わったあとの現地解散は、まさかの作業着。集合も作業着、解散も作業着。例年、作業着で街中を歩かされることに抵抗のある高校生からクレームが出るが、教師陣からの回答はいつも「体操服と同じだろ」や「技術者の正装だ」と一蹴するもので、却下され続けていた。
住宅街の中に紛れ込んだ自動販売機の光るボタンを押せば、ピッという電子音の後が聞こえた後、足下ではガシャンと落下音が響く。ピカピカと光る電子スロットには目もくれず、二口は炭酸飲料の缶を取り出した。
「いーなぁ、俺にも一口くれよ」
「ぜってーヤダ」
クラスメイトのおねだりを一瞬で断れば、プシュっと音を立て缶を開ける。疲れた後に冷たいジュースを飲むのは最高だった。飲みたければ自分で買えばいい。
「二口ケチくせー。あ、一口じゃなくて二口なら良いのか。二口だけに」
「沈めんぞ」
よく言われるネタに飽き飽きしながら切り返す。人のことが言える立場ではないが、周りに馬鹿が多くくだらないことを言われるのはよくあることだった。自分が言うには言うが、自分をネタにされるのは好きではない。
諦めたクラスメイトは渋々自分のサイフから取り出した小銭を自動販売機に入れていた。
「そういや、田原とかは?」
先ほどまで一緒にいたはずの級友の名前を口にする。
「あー、なんかスゲー美人を見つけたから声掛けてくるって消えた」
「マジかよ」
普段の教室内のノリであればその人の容姿を尋ねて下世話な話の一つでもするところだが、今は課外活動帰りの外。
二口だって悪ふざけも馬鹿もするが、曲がりなりにも運動部員。バレーに高校の全てを捧げるつもりだった二口は部活動停止を食らってバレーが出来ない状況になるわけにもいかず、問題になるラインを見極める分別は持っている。新しい世代になって、キャプテンが下手に問題を起こすわけにはいかない。
巻き込まれるのは面倒だし、気づかない振りをして帰るかとも考えた二口だったが、馬鹿を野放しにするのも気が引けた。
「止めに行くか」
それに、スゲー美人とやらを見たいという下心がないわけでもない。
「おー、がんばれ」
「お前も行くんだよ」
缶ジュースを片手にやる気のないクラスメイトを引っ張って行った。
ナンパしていた場所はすぐ近くだった。女性にしては高い身長と長い黒髪、洒落っ気のないめがねが印象的な女の子だった。困った顔で同じ作業着を着ていた二人組から逃げたそうな雰囲気をしていた。
「お前ら、人に迷惑かけんなよ。また担任にドヤされんぞ」
説教の長い担任を思いだして、ため息をつく。
「だってさ、美人がいるのに声を掛けない男なんて男じゃないだろ!」
「うるせぇ。家帰ってからやれよ」
あれ、どこかで見た気がする。クラスメイトの餌食になった可哀想な少女をじっと見つめてみれば、何となく頭の片隅に引っかかる顔立ちに首をひねる。相手も、眼鏡の奥で驚いたように目を見開いていた。
「伊達高の」
そう口にした言葉に、やっぱりどこかで面識が合ったかと頭を過ぎる。
「青根じゃない二年生」
「え?」
あっけにとられた声を上げたのは二口だけではなかった。青根って、なんで青根。戸惑う声が聞こえて、バレーボールの関係者かと思い至る。そして、思い出した。
「烏野のマネージャー」
こくりと頷いた彼女の表情からはもう困惑の色はなくなっていた。
「てか、俺、一応キャプテンなんだけど」
確かに、青根の方が見た目もプレーもインパクトがあって印象に残りやすいが、部活内の采配をしているのは二口だ。プレーの面ではブロックも器用さも負けている訳ではないと自負もある。
「なに、二口知り合いなの?」
「あー。他校の男バレのマネージャー。三年だから年上だぞ」
ざわ、と空気が変わる。年上の色気のあるおねーさんなんて、高校生にしてみればちょっとエロい妄想の格好のネタだ。二口はライバル校の知り合いというだけでそんな気にはなれない。
「……変な格好」
烏野マネがポツリと口にした言葉に自分の服装を見る。どう見ても、実習汚れの落ちきらない作業服。伊達高内ではよく見かけるが、普通高校ではお目にかかれないようだ。
「あー、工場見学があったんスよ。うち、工業系なんで」
「工場?」
「卒業後の進路で就職先が工場関係も多かったりするんでよくこーゆーのあるんスよ」
就職、と繰り返すように小さく呟いた彼女にとって、あまり身近なものではないようだ。そりゃ、そこそこのレベルの普通校と底辺近い工業高校では生徒のレベルは違うだろう。
「就職する人いないとわかんないっすよね」
「でも、東峰は就職だから」
「アズマネ?」
知らない単語に眉を顰めれば、彼女はまた頷いた。
「うちのへなちょこエース」
「へなちょこ……」
エースと言われて思い出すのはおっさんみたいな顔立ちの男。ぱっと見の雰囲気は怖いかもしれないけれど、バレーで一度叩き潰している二口にしてみれば、怖さなんてなかった。夏にはやり返されてしまったが。
ヤなこと思い出した。
「あなたも就職なの?」
「え、ああ。まぁ」
バレーに逃げた頭は完全に油断していた。けれど、目の前の少女に向き合えず、そう言えば鎌先さんの就職決まったんだったっけなとさらに思考が飛んでいく。
「バレーは」
「え?」
「高校までなの?」
じっ、と真っ直ぐに見つめてくる瞳にたじろぐ。美人に見つめられたというわけではなく、バレーに向けられる彼女の熱意に気圧されそうになった。
「や、まぁ、社会人チームとか会社のクラブチームとかで続けようと思ってますけど」
社会人になれば仕事後や休みの日に何度出来るか分からない。バレーのことだけに集中できるのは今だけだ。そう思えば、早く部活に行きたくて仕方なくなる。
今しかない時間とありったけの情熱をバレーに注ぎ込み、もっともっと練習をして強くなりたい。それは全て、チームとして勝つために。あと二回しかない大会で、先輩の意志を、自分たちの思いを全力でぶつけるために。
「社会人でもバレー出来るんだ」
「そりゃあ。県内の大会でいい成績出せれば体育大会とかってやつの県代表になることもあるみたいらしいっすよ」
「そうなんだ!」
それは良いことを聞いたと目を輝かせる少女。一番、彼女が明るい表情で笑っていることが分かる。
「アズマネに勧めておくね。もしかしたらどこかで戦えるかも」
「えー、やめてくださいよ」
実際、二口自身が社会人になってどこまで本気でバレーをするのかすら分からない。けれど、一度当たった面倒くさい相手と戦いたくないのは事実だった。
二口の軽口に、彼女はにやりと口の端を釣り上げる。
「自信ないの?」
穏やかな口調なのに、まるで挑発しているように見えた。
押し黙る訳にもいかない。期待に応えるべく、二口も口元を綻ばせて言う。
作品名:二口と潔子さんがたまたま出会って喋ってるだけの話 作家名:すずしろ