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貴女のことが好きでした。

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この煙管をくわえるといつも彼女のことを思い出す。
これは、美しく聡明な人間と、愚かな国の物語。


“貴女のことが好きでした。”


カタリと音がして、ナターリヤは音のするほうを見やった。
隣の部屋で本田が煙管をくわえている。

「おまえ・・・そんなもの吸うんだな・・・。」

「え、ああ。たまに、ですけどね。大切な方の、忘れ形見なんです。」

「・・・死んだ、のか・・・。」

「ええ。美しくて、聡明な女性でした。少し、貴女に似ているかもしれませんね。」

微笑む本田は少しさみしそうだった。
国が背負うものは時々、すごく切ない。

「教えてくれ。その、女のこと。」

「・・・長くなりますよ?」

再び笑った本田は語りだした。
彼女と昔の自分の物語を。

――――――――――――――――――

彼女に初めて会ったのは、上司の付き合いで遊郭に行った時でした。
国のお偉方と飲み会をしていたんです。
その遊郭の花魁が、彼女でした。

花魁というのは、遊女の中でも位が高い人のことをいいます。
つまり、売れっ子の人気No.1ってことですね。
彼女の名前は紅葉太夫と言いました。
本当の名前ではなく、源氏名というやつです。

「あなたが・・・私たちの祖国様なのですか?」

「ええ。日本国こと、本田菊と申します。」

「随分とかわいらしいご容姿ですのね。女の子みたい。」

「しかし、貴女の倍以上歳くってますよ。」

「うふふ。それじゃあもうお爺ちゃんってことかしら?」

「そういうことになりますね。」


彼女は美しく、気だてのよい女性でした。
当時の女性にはめずらしく、勉強熱心で政治にも興味を持ってらしたんです。
私はすっかり彼女の虜になり、上司の誘いがなくても遊郭に通うようになりました。
しかし、彼女を金で抱くことはできませんでした。

私は「彼女の身体」ではなく、「彼女の心」が欲しかったのです。


「よく言われるんですよ?祖国様は女と寝ないで遊郭にまで何しに来てるんだって。」

「そうなんですか・・・?けれど、貴女のつぐ酒がおいしいんですよ。酒を飲むだけの客なんて、迷惑でしょうか・・・。」

「いいえ。会いに来てくれて、嬉しいですよ。祖国様。」

「貴女は人気者ですから。貴女の客に怒られるのも仕方ないのかもしれませんね。」

「うふふ、背後に気をつけてくださいね。」

「こわいこと言わないでくださいですよ・・・。」


彼女とたくさんの月日を過ごしました。
彼女は初めて会った時よりずっと、大人っぽくなりました。
私の外見は全く変わらないまま・・・。
私は愚かでした。彼女を愛していれば、それだけでいいと思っていたのです。
月日には、誰も逆らえないというのに。

「彼女の心」は、いつまでたっても私のものになることはありませんでした。
聡明な彼女は、すべて知っていたんです。
私と彼女が違うものであることを。
いつまでも一緒には、いられないことを。

それでも私は彼女をあきらめられませんでした。
愛していたのです。身が焦がれるくらいに。

「愛しています。紅葉。貴女を、愛しているのです。」

「・・・・お戯れを。わからないのですか?私と貴方が違うものだということを。」

「わかっているつもりです。でも、貴女をあきらめることなど・・・できないのです・・・」

「わかっていませんわ。貴方は『日本』です。そして私は、人間の『紅葉太夫』。本当は、触れることもできないような関係なんですよ・・・?」

「・・・・貴女の心は、私のものにはならないということですか?」

「ええ。私の心は私のもの。誰にも渡すつもりはありません。」



私はその夜、彼女を金で抱きました。




醜くくて、愚かな恋情でした。
心が手に入らないとわかって、せめて身体だけでも思ったのでしょうね。
そんなことをしても、彼女が自分のものになることなど絶対にないのだとわかっていたのに。

――――――――――――――――――――

「軽蔑しましたか?」

話を一度やめて、ナターリヤに聞いた。
嫌われるかもしれない。でもこの話は、「本田菊」にとって大切な物語だった。

「いや・・・少し、驚いただけだ。お前がそんな風に女に溺れる様子を、全く想像できない。」

「私は、愚かでした。子供のように彼女を求めて、むさぼるように彼女を欲しました。」

「そのあとは、どうなったんだ・・・?」

―――――――――――――――――――――

話を続けますね。

彼女との夜は一夜限りではありませんでした。
一つになるこの上ない喜びと快楽を覚えてしまったんです。
彼女は何度も泣きました。

「どうして・・・?」と。
どうして私なのか、どうして私は人間で、貴方は国なのか、と。
例えば私が人間なら、彼女を愛して、身請けでもして、二人で歳をとって、老いて、死ぬことができたのに。

彼女は私を拒みませんでした。
嫌われても仕方のないことをしていたのですけどね。
国のつらさを思っていてくれたのかもしれません。

ある日、彼女が流行り病にかかりました。
今なら簡単に治せる病気を、昔は治すことができなかった。
不治の病でした。

どんどん体力を削られて、どんどん死に近づいていく。
感染症だから他の人とも会うことはできません。
唯一、国である私だけが面会を許可されました。
私たちには人間の病はうつりませんからね。

「そ、こく・・・さま・・・・?」

「紅葉・・・。」

かける言葉が見つかりませんでした。
私は死ねない身体だというのに何を言えばいいのでしょうか。
「いかないで」とは絶対に言えませんでした。
彼女は病気と向き合っていたのです。
しかし、もう彼女の命は時間の問題でした。

「そこく・・・・さ・・・ま・・・私の・・・キセ・・ル・・うけとって・・・ください・・・」

「煙管?・・・貴女がいつも使っていたものですか?」

「きっと・・・私はもう・・・長く・・・ない・・・から・・・貴方に・・・」

「ありがとうございます。紅葉。大事にしますね。」


彼女に見えないところで、何度も泣きました。
そして、運命を呪いました。
何故、彼女でなければならなかったのか。
私は・・・・とても無力でした。

「何が『日本国』だ・・・・!大切な女性一人守れなくて・・・何が国だ・・・!」



仕事で出かけているときに、紅葉の急変の知らせが届きました。
私が彼女のもとへ行ったときにはもう、彼女はこの世にはいませんでした。

「紅葉・・・・紅葉・・・・・・どこですか・・・・返事をしてください・・・・もみじ・・・・・・・!!!!!!!」

「祖国様、太夫からの文です・・・。最後に、貴方に渡して、と・・・。」


彼女は私に手紙を残していました。
病で震える手で、一生懸命書いた手紙でした。

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拝啓、我が祖国様。
 
これを読んでいるということは、私はもうこの世にはいないのですね。
初めて貴方にあったときに、この人が『日本』なのだとは信じられませんでした。
貴方があまりにもかわいらしい容姿をしていたからです。