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《―突然連絡してごめん、トーリスです。　またフェリクスが居なくなって一週間が…　あいつの居場所、何か手掛かりがあったら教えてください》

　潮風交じりの緩慢な風を受け、眼鏡の少年は留守番録音の再生をストップした。　幅広い手摺に腰掛け、首のｚ軸を軽く傾けた無感情な影は、五階ほどの産業ビル屋上から入り組んだ敷地裏を覗き見る。　小さく粘着質で重い粉砕音。　パンク的センスの字体で意味の通らぬ英文がプリントされた布切れが千切れ、地上の冷徹なコンクリに舞い落ちていく。　厳めしい男の情けない悲鳴。　ローデリヒはその一字一句を聞き取る気も無い。

　唐突に途切れた悲鳴を合図に、少年は敷地裏へダイブした。　体表に広がるライラックが魔法少年の戦装束を形作る。　あわや激突寸前の所で、魔女の結界にも似た異常キメラの空間が広がり、ライラックの魔法少年は、中学生には理解不能な黒ずんだ数式や魔方陣が書き連ねられた、結界内の底面に着地した。　古来の数学者が遺したような黄変した書列を突き破り、何本も生えていく煤けた香木。　結界は今も加速度的に成長を続けている。　蠢く風車の群れ、クリスマスツリーの球体飾り、江戸時代の浮世絵に似たデフォルメを施された雲が結界内を流れていく。　地上は兎も角壁にまで平然と生息する黄金色の麦畑を手早く抜け、魔法少年は結界最深部へ辿り着いた。　ただ一人の城の主。　灰に埋もれ、ペストマスクと往来の魔女帽子で頭部を覆う雛鳥に似た姿の使い魔は今正しく、悲鳴の主だったであろう、厳めしい男の刺青が入った腕を咀嚼し尽くした。　辺りを緋色の炎が使い魔諸共覆い尽くす。　安全圏に退いたローデリヒは、使い魔が魔女へと変貌する様を目撃する。

　魔女帽子とペストマスクはそのままに、中型犬程度から丁度産業ビル大へ巨大化した魔女は、甲冑を着込んだ翼からバーナーの様に緋の炎を零し威嚇的に羽ばたく。　甲冑を着込んだ明らかに大型猛禽類体型の筈の魔女の下腹部からしなやかに伸びる中性的な人間の脚は艶めかしささえ感じられるが、感想一つなくライラックの魔法少年は備えた豪奢なペンを慣れた手付きで回し構えた。
　聞き苦しい魔女の咆哮。　魔女は旋回しながら緋を全身に纏わせた。　突進か！　ローデリヒは拍を合わせ、逆手に構えたペンで三回薙いだ。
　「アンチェイネッド・ノード(繋がらぬ節)」
ペン先からの軌跡は前方に砕け散ったライラックの五線譜を炸裂させ、魔女は細切れの肉片となってあっけなく爆発四散した。　他の使い魔の姿は無い。　不快な断末魔と共に魔女の結界は燃え尽き、産業ビルのコンクリで覆われた敷地裏に世界は戻された。　シャープ記号に似た意匠を頂点にあしらったグリーフシード。　眼鏡の少年はルーチンワーク染みて其れを掴み、変身を解き、卵型に半分ほど沈殿したジェムの穢れを浄化し―、　夜の繁華街へと姿を消していった。　眼鏡のレンズに凍ったネオンサインの青が映り込む。　一連の所作は常に、残酷なまでに機械的で冷ややかであった。