ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。
迷宮都市オラリオが所有する土地の中で比較的借用金が安い宿屋。そこがダンジョンで疲労を背に背負った私の憩いの場。
「やあ。いつもよりお疲れのご様子だね?」
立て付けの悪い扉をぎぃぎぃと音立てながら部屋に入ると、色々と雑貨が置かれているちゃぶ台に頬杖を突きながらフランクに話しかけてくる、この世の人とは思えないくらいの美女がいた。
まぁ、この世の人じゃないからね。
月光を体現したような目覚める銀髪を背中まで流し、細い線で描かれるラインは同性の私が喉から手が出るほど欲しくなるものだ。
大きな瞳に縁取られた長い睫毛に、つんと上向きの鼻、陶磁器のような白く瑞々しい肌に浮かぶ薄い桜色の唇。
外見年齢は18歳前後の超絶世の美女の名前はセレーネ。揶揄隠喩など皆無の正真正銘の神様。
ヒューマンや亜人デミヒューマン、ダンジョンに出現するモンスターたちとも異なる、一つ次元が違った超越存在デウスデア。
人智を超えた存在である彼女を包む空気には言いようのない、一目見ただけで格別の存在なんだと思い知らされるような神秘が散りばめられている。
「そうですよー。なので早いところ【ステイタス】の更新、お願いしますー」
本物の神に向かってとんでもない不躾な態度で返事をする私。だけどセレーネ様はそっちの方が良いと言うのだから仕方ないね。むしろ今の返事にも少し不満げな気配を漂わせるまである。
私が背負っていたパンパンの荷物をよいしょと下ろして、神様の隣にごろんとうつ伏せになる。
セレーネ様は「やれやれ」と嬉しそうな声音で相槌を打ちながら、私の背に遠慮なく跨った。しかし私の背に感じる重みはふわふわなお尻だけで、あなたの胸に付いてる大きなものは中身スッカスカじゃないの? って言いたいくらい軽い。
帰宅した時点で上は裸になっている私の背を、心地の良いひんやりと冷めた手で優しく撫で回す。それからちゃぶ台に置いてあった真っ赤な液体が入ったビンを取って、ぴんと音を鳴らしてふたを取った。
「さぁて、クレアの努力が報われるかな?」
「セレーネ様、その見た目で悪戯っ子の口調ってやっぱり違和感が……」
「ふふ、そこが私のアイデンティティだよ」
ぽつんと生暖かい液体が一滴、疲労困憊の私の体に落ちた。皮膚に落ちた滴は波紋を広げて背中から体に染み込んでくる。
セレーネ様の血だ。たった一滴の血だけにも、ただのヒューマンである私にも解るほどの神秘で満ち溢れている。
自分の血を指先に湿らせたセレーネ様は慣れた手つきでさっさっと軽いタッチで刻印を施し、たった十秒足らずで【神聖文字/ヒエログリフ】を塗り替え付け足したセレーネ様は私に跨ったまま手近にあった羊皮紙をひらりと手に取って、淡い光を紙に照らし出す。
「あの、セレーネ様、どいてくれないと立てないです」
私が苦情を申し立てると、セレーネ様は大人びえた顔に無邪気な子供のような笑みを浮かべてぐっと覗き込んできた。
「そう焦らないで。書き間違えちゃったりしたら大変さ」
書き間違えてもセレーネ様がちゃんと教えてくれれば問題ないのですが……。不満を目に込めると子供をあしらうようにぽんぽんと頭を撫でて、引いた体の代わりに先ほどの羊皮紙を眼前に突き出した。
「ちゃんと成長してるじゃないか。偉い偉い」
最初、本当に偉い神様からそう言われるのに恐縮に感じていたけど、最近では感覚が麻痺ってきてお姉さんに言われているような気兼ねなさすら感じる。
さておき、どれどれ私のステイタスは……。
クレア・パールス
Lv.1
力:I40→I44 耐久:I21→I23 器用:I44→I47 敏捷:I90→I93 魔力:I0
《魔法》【】
《スキル》【】
まあ、そう劇的に変わるわけもなく、いつも見ているような伸び代が表示されているわけで……。
「うわあああん!!」
「ど、どうしたの!?」
「今回は結構頑張ったのにぃ!」
ついさっきのように思い出せる。ダンジョンの中を必死に駆けずり回ってはモンスターと戦って……本当に頑張ったんだけどなぁ……。
含蓄していた疲労も相まって目の前の現実が重く感じる。思わず叫んだ私にセレーネ様は困りながらも嬉笑を浮かべて返す。
「年端のいかない女の子が一人で頑張ったにしては上出来だと思うけど?」
「で、でも、1とか3くらいしか変わってないじゃないですか!」
「冒険者になってまだ半年くらいしか経ってないのに、これじゃ不満なのかい?」
「不満です!」
困ったなあとぼやきながらも楽しそうに笑うセレーネ様。自分が感じた手ごたえに対して割りに合わない結果にぐずりながらちゃぶ台に付けば、セレーネ様が直々に作ってくれた夕ご飯が目の前に並ぶ。
「さ、クレアが頑張ってくれたから私もご飯を食べられるんだ。また明日も頑張ろう?」
「うぅ……セレーネ様ぁ」
めちゃくちゃおいしいご飯にせっせと手と口を動かしながら、明日のための英気を養うのだった。
◆
私クレアは14歳。つい一年前に故郷が木っ端微塵に破壊されて家族が全員死んだ、天涯孤独の身。
その故郷の事故に遭った私は奇跡的に無傷で生き残り、すぐそばにあった迷宮都市オラリオにお小遣いを手にすっ飛んでいった。
まあ助けを求めても何にもされないわけで、ギルドに駆け込んでもダメの一点張りで、冒険者たちにも笑われるだけ。
途方に暮れた私を助けてくれたのが、セレーネ様だった。出会ったときは本物の女神様が降臨なさったんだって思った。実際本物の女神様だったんだけど。
何やかんやと手を回してくれたセレーネ様はひとまず無償で私の身の安全を確保してくれて、感謝しても仕切れない私は自分にできることなら何でもするからと報恩を申し出ると、セレーネ様は困ったように笑いながら言ったのだ。
「私の家族にならない?」
それが、私の冒険者として人生を歩む瞬間だった。
【セレーネ・ファミリア】は私以外誰も所属しておらず、セレーネ様自身もファミリアの増強にあまり興味が無かったためか、私以外に入団志望者が来ることは無かった。
私は命の恩人に尽くすために冒険者として一人前になることを誓って、その日から尽力し始めた。きっと家族を失って日が浅い私は、自分のことを大切にしてくれる存在を心から欲していて、セレーネ様はそれを汲み取って入団させてくれたのだ。
ダンジョンに潜ってばんばん稼いでセレーネ様に報いて、いつかこのファミリアも誰にも負けないくらい大きなものにするんだ!
そう意気込んで臨んでみたけど、全く上手くいかなかった。
まず冒険者として師事を仰げる人がいない。【セレーネ・ファミリア】が私だけというのも一端を担っているかもしれない、けれど、それ以前に私は冒険者になるには歳が若すぎて、しかも女という性別だけで軽く見られてしまうのが問題だった。
色々と悶着はあったけれどソロでダンジョンに潜り続けて手探りで冒険者のイロハを学んでいった。心身共に傷ついた私を温かく包み癒してくれるセレーネ様に更なる恩が積み重なり、もっと頑張らなきゃって毎日励んだ。
「やあ。いつもよりお疲れのご様子だね?」
立て付けの悪い扉をぎぃぎぃと音立てながら部屋に入ると、色々と雑貨が置かれているちゃぶ台に頬杖を突きながらフランクに話しかけてくる、この世の人とは思えないくらいの美女がいた。
まぁ、この世の人じゃないからね。
月光を体現したような目覚める銀髪を背中まで流し、細い線で描かれるラインは同性の私が喉から手が出るほど欲しくなるものだ。
大きな瞳に縁取られた長い睫毛に、つんと上向きの鼻、陶磁器のような白く瑞々しい肌に浮かぶ薄い桜色の唇。
外見年齢は18歳前後の超絶世の美女の名前はセレーネ。揶揄隠喩など皆無の正真正銘の神様。
ヒューマンや亜人デミヒューマン、ダンジョンに出現するモンスターたちとも異なる、一つ次元が違った超越存在デウスデア。
人智を超えた存在である彼女を包む空気には言いようのない、一目見ただけで格別の存在なんだと思い知らされるような神秘が散りばめられている。
「そうですよー。なので早いところ【ステイタス】の更新、お願いしますー」
本物の神に向かってとんでもない不躾な態度で返事をする私。だけどセレーネ様はそっちの方が良いと言うのだから仕方ないね。むしろ今の返事にも少し不満げな気配を漂わせるまである。
私が背負っていたパンパンの荷物をよいしょと下ろして、神様の隣にごろんとうつ伏せになる。
セレーネ様は「やれやれ」と嬉しそうな声音で相槌を打ちながら、私の背に遠慮なく跨った。しかし私の背に感じる重みはふわふわなお尻だけで、あなたの胸に付いてる大きなものは中身スッカスカじゃないの? って言いたいくらい軽い。
帰宅した時点で上は裸になっている私の背を、心地の良いひんやりと冷めた手で優しく撫で回す。それからちゃぶ台に置いてあった真っ赤な液体が入ったビンを取って、ぴんと音を鳴らしてふたを取った。
「さぁて、クレアの努力が報われるかな?」
「セレーネ様、その見た目で悪戯っ子の口調ってやっぱり違和感が……」
「ふふ、そこが私のアイデンティティだよ」
ぽつんと生暖かい液体が一滴、疲労困憊の私の体に落ちた。皮膚に落ちた滴は波紋を広げて背中から体に染み込んでくる。
セレーネ様の血だ。たった一滴の血だけにも、ただのヒューマンである私にも解るほどの神秘で満ち溢れている。
自分の血を指先に湿らせたセレーネ様は慣れた手つきでさっさっと軽いタッチで刻印を施し、たった十秒足らずで【神聖文字/ヒエログリフ】を塗り替え付け足したセレーネ様は私に跨ったまま手近にあった羊皮紙をひらりと手に取って、淡い光を紙に照らし出す。
「あの、セレーネ様、どいてくれないと立てないです」
私が苦情を申し立てると、セレーネ様は大人びえた顔に無邪気な子供のような笑みを浮かべてぐっと覗き込んできた。
「そう焦らないで。書き間違えちゃったりしたら大変さ」
書き間違えてもセレーネ様がちゃんと教えてくれれば問題ないのですが……。不満を目に込めると子供をあしらうようにぽんぽんと頭を撫でて、引いた体の代わりに先ほどの羊皮紙を眼前に突き出した。
「ちゃんと成長してるじゃないか。偉い偉い」
最初、本当に偉い神様からそう言われるのに恐縮に感じていたけど、最近では感覚が麻痺ってきてお姉さんに言われているような気兼ねなさすら感じる。
さておき、どれどれ私のステイタスは……。
クレア・パールス
Lv.1
力:I40→I44 耐久:I21→I23 器用:I44→I47 敏捷:I90→I93 魔力:I0
《魔法》【】
《スキル》【】
まあ、そう劇的に変わるわけもなく、いつも見ているような伸び代が表示されているわけで……。
「うわあああん!!」
「ど、どうしたの!?」
「今回は結構頑張ったのにぃ!」
ついさっきのように思い出せる。ダンジョンの中を必死に駆けずり回ってはモンスターと戦って……本当に頑張ったんだけどなぁ……。
含蓄していた疲労も相まって目の前の現実が重く感じる。思わず叫んだ私にセレーネ様は困りながらも嬉笑を浮かべて返す。
「年端のいかない女の子が一人で頑張ったにしては上出来だと思うけど?」
「で、でも、1とか3くらいしか変わってないじゃないですか!」
「冒険者になってまだ半年くらいしか経ってないのに、これじゃ不満なのかい?」
「不満です!」
困ったなあとぼやきながらも楽しそうに笑うセレーネ様。自分が感じた手ごたえに対して割りに合わない結果にぐずりながらちゃぶ台に付けば、セレーネ様が直々に作ってくれた夕ご飯が目の前に並ぶ。
「さ、クレアが頑張ってくれたから私もご飯を食べられるんだ。また明日も頑張ろう?」
「うぅ……セレーネ様ぁ」
めちゃくちゃおいしいご飯にせっせと手と口を動かしながら、明日のための英気を養うのだった。
◆
私クレアは14歳。つい一年前に故郷が木っ端微塵に破壊されて家族が全員死んだ、天涯孤独の身。
その故郷の事故に遭った私は奇跡的に無傷で生き残り、すぐそばにあった迷宮都市オラリオにお小遣いを手にすっ飛んでいった。
まあ助けを求めても何にもされないわけで、ギルドに駆け込んでもダメの一点張りで、冒険者たちにも笑われるだけ。
途方に暮れた私を助けてくれたのが、セレーネ様だった。出会ったときは本物の女神様が降臨なさったんだって思った。実際本物の女神様だったんだけど。
何やかんやと手を回してくれたセレーネ様はひとまず無償で私の身の安全を確保してくれて、感謝しても仕切れない私は自分にできることなら何でもするからと報恩を申し出ると、セレーネ様は困ったように笑いながら言ったのだ。
「私の家族にならない?」
それが、私の冒険者として人生を歩む瞬間だった。
【セレーネ・ファミリア】は私以外誰も所属しておらず、セレーネ様自身もファミリアの増強にあまり興味が無かったためか、私以外に入団志望者が来ることは無かった。
私は命の恩人に尽くすために冒険者として一人前になることを誓って、その日から尽力し始めた。きっと家族を失って日が浅い私は、自分のことを大切にしてくれる存在を心から欲していて、セレーネ様はそれを汲み取って入団させてくれたのだ。
ダンジョンに潜ってばんばん稼いでセレーネ様に報いて、いつかこのファミリアも誰にも負けないくらい大きなものにするんだ!
そう意気込んで臨んでみたけど、全く上手くいかなかった。
まず冒険者として師事を仰げる人がいない。【セレーネ・ファミリア】が私だけというのも一端を担っているかもしれない、けれど、それ以前に私は冒険者になるには歳が若すぎて、しかも女という性別だけで軽く見られてしまうのが問題だった。
色々と悶着はあったけれどソロでダンジョンに潜り続けて手探りで冒険者のイロハを学んでいった。心身共に傷ついた私を温かく包み癒してくれるセレーネ様に更なる恩が積み重なり、もっと頑張らなきゃって毎日励んだ。
作品名:ダンジョンに出会いを求めるのは間違っていた。 作家名:デュース