さよならヒーロー
暗い部屋の中でメガネの二枚のレンズそれぞれに青いモニターが映る。
輝く小さな窓の中で少年が世界の命運を賭けて戦っている。美人のヒロイン、個性的で頼れる仲間。少年を正義の神輿に乗せる悲劇的なバックグラウンド。
ゲームもマンガも、主人公は大抵消えない過去の悲しみと特別な力を持っていた。
物語はそれでないと面白くない。それがないから現実の世界は面白くない。
指先一本でスイッチを押すと、画面の中のヒーローは消え去って真っ暗な画面に自分のつまらない顔が映った。
代わりにテレビをつけるとローカルニュースで全国大会に出場する高校が紹介されていた。
自分がやっているバレー以外のことはわからないから、顔ぶれを見ても「どこにでもいそう」としか思えなかった。県内で一番でも全国区では大したことないのかもしれないし。
日本一になれるのは一人だけ、一チームだけだから、テレビに映るほとんどのヤツが未来の敗者だ。
誰にも負けないヤツはスポットライトに照らされ続けるけど、誰かに負けたらその瞬間にライトが消える。
テレビゲームならみんながエンディングを迎えられるけど、現実はほとんど全員がゲームオーバーの運命にある。
僕も、ゲームオーバー側の人間だ。負けなかったヒーローを彩る雑魚モンスター。
「――――加藤くんは去年の夏に事故で喪った親友の夢を背負って走ります」
グラウンドを走る選手にアナウンサーの語りが被さる。友達を亡くした途端に足が速くなるわけじゃないけど、テレビはそういう話が好きなのだ。視聴者だって悲劇の物語を知って彼を応援するようになる。少年漫画の主人公みたいだ。
僕はといえば家族も友達も元気で特別困っていることもない。どこにでも悲劇が転がっていたら世の中破綻する。ありふれた普通の人生を歩んでいる。
世界の命運どころか自分の人生だって賭けてないスポーツをやって、そこそこ勝って、途中で負けて、みんながそう思うように悔しさを味わった。これを引退まで三年間繰り返す。それから多分、大人になって、「あの時はよかった」なんて思いで補正で実際より良いものみたいに語るんだろう。
つまらない将来の展望が頭をよぎってテレビを消した。
さよならヒーロー
輝く小さな窓の中で少年が世界の命運を賭けて戦っている。美人のヒロイン、個性的で頼れる仲間。少年を正義の神輿に乗せる悲劇的なバックグラウンド。
ゲームもマンガも、主人公は大抵消えない過去の悲しみと特別な力を持っていた。
物語はそれでないと面白くない。それがないから現実の世界は面白くない。
指先一本でスイッチを押すと、画面の中のヒーローは消え去って真っ暗な画面に自分のつまらない顔が映った。
代わりにテレビをつけるとローカルニュースで全国大会に出場する高校が紹介されていた。
自分がやっているバレー以外のことはわからないから、顔ぶれを見ても「どこにでもいそう」としか思えなかった。県内で一番でも全国区では大したことないのかもしれないし。
日本一になれるのは一人だけ、一チームだけだから、テレビに映るほとんどのヤツが未来の敗者だ。
誰にも負けないヤツはスポットライトに照らされ続けるけど、誰かに負けたらその瞬間にライトが消える。
テレビゲームならみんながエンディングを迎えられるけど、現実はほとんど全員がゲームオーバーの運命にある。
僕も、ゲームオーバー側の人間だ。負けなかったヒーローを彩る雑魚モンスター。
「――――加藤くんは去年の夏に事故で喪った親友の夢を背負って走ります」
グラウンドを走る選手にアナウンサーの語りが被さる。友達を亡くした途端に足が速くなるわけじゃないけど、テレビはそういう話が好きなのだ。視聴者だって悲劇の物語を知って彼を応援するようになる。少年漫画の主人公みたいだ。
僕はといえば家族も友達も元気で特別困っていることもない。どこにでも悲劇が転がっていたら世の中破綻する。ありふれた普通の人生を歩んでいる。
世界の命運どころか自分の人生だって賭けてないスポーツをやって、そこそこ勝って、途中で負けて、みんながそう思うように悔しさを味わった。これを引退まで三年間繰り返す。それから多分、大人になって、「あの時はよかった」なんて思いで補正で実際より良いものみたいに語るんだろう。
つまらない将来の展望が頭をよぎってテレビを消した。
さよならヒーロー