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ワルツ

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 今度は向こうが閉口する番だ。明らかな呆れ顔で大げさに頭を抱えられた。タイミング悪く料理が運ばれてきて、呆れのポーズを頭痛か何かと勘違いしたウェイターに具合を心配された。
「一応聞くが、今までのことを君はなんだと思ってたんだ」
「それ、こっちが聞きたいっすよ……この間のは疲れてたんすよね?徹夜続きでどうかしてたってやつですよね?」
 質問調の懇願である。
「まあ、疲れでちょっとネジが緩んでたことは否定しないけど」
「やっぱり……」
「もうちょっと我慢する予定が少し狂っただけのことだ」
 待ってほしい。それはつまり、自惚れとかじゃなく、この人は本当に、
「君をどうにかしたいと思ってる。疲れとは無関係にね」
 スープ皿に落としたスプーンが派手な音を立ててスープが跳ねた。
 目を背けてきた事実を直視させられ、急に先ほどの会話が頭を駆け抜けた。このレストランはホテルの一階にある。上は客室だ。手元のグラスにはワイン。アルコールは得意じゃないけど、口当たりがいいと言われて確かに美味かったので気に入って飲んでいた。急激に酒がまわってきたような気がする。
「大丈夫か、真っ赤だぞ」
 マズい。もしかするといつの間にやらとっていた部屋のルームキーを差し出されて、千鳥足の腰なんか支えられて、介抱されてしまうやつなのでは。
 焦りでスプーンが上手く使えずマナーもクソもない食事になった。これがもっと堅苦しい席だったらつまみ出されているところだ。目の前の上司本人に。仕事上の席では甘くない人だ。それが今夜は怒られない。心配の体でやんわり窘められるに留まった。ヤバイ。
「飲みやすいからって調子に乗って飲むからそうなるんだ」
 調子に乗ったんじゃなくて、聞きづらい話を切り出すための景気づけだったんです。それがこんな墓穴を掘ることになろうとは。墓穴どころかケツを掘られるかもしれない重大な局面をミスしたのだ。
「帰る前にちょっと休んでいこう。そのあと送るよ」
 出たーッ!ルームキーだ。予想通りの展開にベタなドラマの視聴者みたいな気分だ。
「いや、あの、帰ります、大丈夫す」
「店を出るまでによろめいて何か壊したら自腹だぞ」
「休ませていただきます」
 食事代自体自腹じゃ厳しいイイ店なのだ。誘ったくせに奢りで来ているのである。皿一枚だって高そうだ。
 肩を抱いて支えられて連れ込まれた部屋はシングルルームだった。夜景の見えるスイートなどではなく。
 ベッドに座らされて緊張もピーク。守るともなしに守ってきたヴァージンさようなら。この何でもありの街で迎える初体験としては、路地裏で異形チンピラの慰み者にされる、などといった悲惨なパターンではないだけ遥かにマシだと思って受け入れるしかない。どうか優しくしてもらえますように。という時、上司がおもむろにノートパソコンを取り出した。
「悪いが仕事をさせてもらう。君は適当に休んでいてくれ。落ち着いたときに声をかけてくれれば車を出すから」
「へ」
 パソコンが起動されるとすっかり仕事のできる上司の顔だ。
「水はそこ。吐くほどじゃないな?」
「は」
 そこまで面倒を見たらもう振り返らなかった。ベッドの上で空回りした覚悟が置いてきぼりで萎んでいく。
 邪魔したらいけないヤツだ。楽な姿勢になったらやることもなくなって、仕事をする背中ばかり見ていた。事務所だったらお茶ぐらい淹れてあげられるんだけどな。ここには愛用のマグカップもコーヒーサーバーもない。
 さっき口説いた相手が酔っぱらって無防備に寝転んでいても平気で仕事に没頭しているところを見ると、全て冗談でからかわれたのかもしれない。熱烈なキスでこっちはパニックだったけど、向こうは百戦錬磨の作戦参謀。尋ねたことはないけど経験は豊富だろうし、そんな人にとっては何でもないことだったのかも。だとしたらそれをするだけの理由がありそうなものだけど、頭のいい人の考えることはわからない。
 もう、いいや。酔いで頭も働かないし、今夜の身の安全も確保された。緊張が解けて高まってきた眠気を受け入れて、小さな明かりで働く背中を眼に焼き付けて意識を手放した。
作品名:ワルツ 作家名:3丁目