ワルツ
ある日、目が覚めたら事務所の廊下で揺られていた。ツェッドさんの半透明の顎が目の前にある。珍しい角度で見てしまった。
「なん……え?」
「ああ、目が覚めましたか」
ツェッドさんに抱きかかえられている理由に何にも心当たりがないんだけれども、どうやら道端で倒れているのを見つけてくれたらしい。
「無事でよかったですよ。何に巻き込まれたか覚えてないのは問題ですけど」
「ほんと助かりました。もう大丈夫なんで降ろしてください」
頼んで立ってみたはいいが、何の後遺症か頭がクラクラしてふらついてしまった。
「近かったからこっちに来ちゃいましたけど病院に直行した方が良かったですか?」
「いや、そこまででは……」
「とにかく座れるところまで運びますから」
いい人だ。軽々と抱え上げてくれた。背の低い僕に肩を貸すより楽と判断してのことかもしれないけど。いい人なので武士の情けで余計なことは言わないでくれる。
事務所のドアを開くとすぐそこに人がいて、ツェッドさんが一歩後ずさった。タイミング悪く部屋を出る人と鉢合っちゃったヤツだ。向こうも驚いた顔をして、抱きかかえられている僕の方を呼んだ。
「レオナルド!」
「おはようございます、スティーブンさん……」
ちょっと怖い顔してる。またトラブルに巻き込まれたのか的な。
「レオくん、道で倒れてたんですけど、何でそうなったのか覚えてないみたいで」
「記憶喪失?またか」
「面目ないっす」
以前にもやらかしているので渋い言葉を甘んじて受ける。前回は過去三か月分ぐらいの記憶がふっ飛んじゃって大変だった。今回は昨日寝るまでの記憶なら残っているんだけど。
「ツェッド、現場に残ってたのはレオだけ?」
「いえ、彼の友達の異界人と柄の悪いのが何人か同じように倒れてまして、レオくんたちのものらしいハンバーガーがぐちゃぐちゃになってたんで、そこで争ったのは確かみたいなんですけど」
記憶はさっぱり蘇ってこないが、バーガーが大好物でしょっちゅう一緒に食べている異界人の友達には心当たりがある。
「ツェッドさん、ネジは……友達は大丈夫だったんですか?!」
「先に目を覚まして、やっぱり記憶がないみたいでしたけど、本人が大丈夫って言うんで一人で帰しましたよ。事務所に一緒に連れてくるわけにもいかなかったので」
「そっすか……」
何か記憶の蓋が開きそうで開かない。元々物忘れの多いヤツだから、本人が大丈夫と言って帰ったなら心配はしないんだけど。
「はぁ。わかった。以前の集団記憶喪失事件との関連はわからないが、今回は大した影響はなさそうだな」
「はい」
「よし。来てもらったとこで悪いが、ツェッドは二十一番街に向かってもらえるか。なんでもザップが女絡みで死にかけてるそうだ」
やる気のない指示。
「死ななきゃ治らない病なのでは?」
やる気のない返事。
「まあ、アイツ本人は放っておいていいだろうが、どうも路上で騒ぎになってるらしくてな。さすがに状況確認もせず放置はできんさ」
心底気が進まない顔でツェッドさんは来た道を戻っていった。
「レオくんはちゃんと休んでてくださいね」
親切なひと言を置いて。
ドアが閉まると上司の空気が変わった。プライベート用の方だ。僕の座ったソファに寄りかかって改めて溜息を吐いた。
「君はどうしていつもいつもトラブルを拾ってくるんだろうな」
「毎度毎度ご迷惑をおかけして申し開きのしようもありません……」
「ま、自分でトラブルを起こすヤツよりかはマシだけどね」
そのトラブル対応に駆り出され中のツェッドさんに心の中で手を合わせる。
「具合は大丈夫なのか?ツェッドに運ばれてきただろう」
「ちょっとふらついちゃっただけなんで、しばらく座ってたら大丈夫っす」
「ふぅん」
彼が身を屈めてきたからキスされるものとばかり思って、少し上向きで身構えていたら違った。恥ずかしい肩すかしだ。
代わりに背中と膝裏に手を差し込まれて膝に抱き上げられた。
「あの……」
「座ってたら大丈夫なんだろ」
「いや、そうなんすけど、落ち着かないっていうか、誰か来たら困るなー、なんて」
「二分だ。心配かけた埋め合わせに二分我慢しろ」
「ええー」
子供っぽい物言いがおかしくて口元がむずむずする。抱っこなのはツェッドさんに対する対抗心なのだろうか。あと二分誰もこないよう祈りながらひっそり首に腕を回した。
それから念のためにネジに連絡を入れようと携帯を取り出して、ネジが携帯を持っていないことを思い出した。少しでもバーガーを買いたいがために通信費を削っているのだ。
「あークソ、やっぱり携帯持つよう言わないと」
言っても多分無駄なんだけど。次の約束をしないままに一度行き違いになると苦労する。
「さっきの異界人の友達か?」
「ああ、はい。しょっちゅう一緒にバーガー食ってるんで、今日も多分その帰りだったんだと思うんですけど」
「そう。じゃあ例の小人になった小枝みたいな友人は元気?」
唐突に話が変わる。小枝みたいな友人っていうのはか弱い異界人だ。以前面倒なトラブルに巻き込まれてとんでもない大きさになって、存在そのものが世界の危機になった。その後、なんだかんだで作戦が成功して身体のサイズが縮んだんだけど、縮みすぎてソニック並のサイズにまでなってしまった。元々は僕と似たような大きさですごく痩せた人だったんで、小人化した今は本当に手足が小枝のように細い。当然元の生活は送れないので、然るべきところで保護してもらって生活している。
「え?はい、この間会ったらちょっと大きくなってました」
「それは良かった。君は異界人の友達が多いよな」
「んー、ていうか、類は友を呼ぶってやつで、周りは非力なヤツばっかっすね」
街の中でそれなりに腕に覚えがあるヤツなんて大抵チンピラみたいなろくでもない考えのヤツばっかりだ。自然と一人じゃ生き延びれないタイプが寄り集まって助け合うようになっている。
「君はやっぱり変わった子だよ」
「そうっすか?」
「街がこんな風になっても頑なに人類同士のコミュニティにしがみついてるヤツもたくさんいるのに、わざわざ外から来て面倒事ばっかり起こす連中とつるんで世話を焼いて」
別に面倒事を起こしそうなヤツを選んでるわけじゃないけど、言われてみると実際そうなので反論できない。
「こんないくつも上のオッサンにも好きにさせてる」
「なんすか。拒否ってもよかったんすか」
今頃なんなんだ。心でも弱ってるのかな。僕が思うよりもさっきの記憶喪失の件で心配をかけたのかも。
調子の上がらなさそうな上司を茶化すつもりでついつい軽口を叩いた。駄々っ子みたいな今ならすぐに「ダメだ」と言うと思って。なのに、
「いいよ。君が拒絶するならすぐに全てやめる」
「えー…………」
本気だ。多分だけど、もし冗談でも「じゃあやめてください」なんて言ったら、すぐ膝から降ろされてこの先一生指一本触ってこないだろう。そんな予感があった。それで困ることはないはずなのに、むしろ長らく続いたセクハラが終わって恥ずかしいこともなくなるし、こういう場面を誰かに見られる心配もしなくてよくなる。