花束を買いに
短い汽笛が三度鳴り、トーマスは目を覚ました。
まだ霧深い彼は誰時であった。
不明瞭な頭を振りかぶり、ぼんやりと室内を見渡す。
港にほど近い宿屋の一室、無造作に脱ぎ捨てられた衣服が床や椅子に散らばり
隣には薄い毛布にくるまって女が健やかな寝息をたてている。
(酒場で飲んで、、そうか今日も帰らなかったんだ)
船上の人であるトーマスは、「陸で飲んでも朝には帰る」が信条の男、
世界最速の船、プラネトスⅡ世号の船長その人であった。
なんとなく手持無沙汰で、毛布からはみ出た女の栗毛を人房掬って弄ぶ。
(意外と固いな、あいつのはもっと・・・)
「ーーーーっ」
「うぅっ・・・ん・・・?」
動転して腕に力が入ったせいで、髪を引かれた女が薄く眼を開く。
「どぅしたの?もう朝?」
「いや・・・悪いな起こしちまった
俺はもう行くが、あんたはもう少し寝ていきな」
「ええ、そうするわ、またね~キャプテン」
ベッドにもぐってひらひらと手を振る女を残し
トーマスは部屋を後にした。
女は柔らかくて好きだし、男に生まれたからには抱きたいと思う
だが―
そんなことを考えながら石畳を味わうようにゆったり歩いた。
コツコツという靴音が薄暗い街に響いてひとりきりを実感する。
そんな気持ちを振り払うように、トーマスは上着を脱いでひょいと肩にかけた。
シャツからのぞく胸元に外気が触れるとひんやりとして心地よかった。
ヴェルトルーナでの一連の事件に幕が下りて半年
トーマスは困り果てていた。
それは4日前のこと。
「トーマス、結婚してはいかがですか?」
「・・・はあ?」
マクベイン一座を送り届けた後、
船の整備点検を兼ねてエル・フィルディンに立ち寄った。
乗組員のほとんどの故郷であることもあり、彼らに長い休暇を出したばかりでもあった。
だから船に残っているのはトーマスとミッシェル、それにルカを含めた数名。
大勢でわいわいやるのもいいが、たまには少人数でしっぽり飲むのもいいかもしれないと
今夜の酒場を考えているところを話しかけられたのだ。
「もうこの世界は当分の間なにも起こらないでしょうし、
あなたも良い歳なのですから、身を固めてもいいんじゃないですか?」
「・・・・・・」
もっともらしいことを言いやがって、とか
そっくりそのままお前に返してやるよ、とか
いつものトーマスであれば、ぽんと言い返すことができたはずだった。
しかし実際は頭が真っ白になって何も言えず、そのまま逃げるようにして船を飛び出した。
「あれから帰ってないんだよなあ」
何も言わずに出てきてしまったが、誰も探しに来ないのを見ると
ミッシェルがうまく言っているのか。
「ラップか・・・」
あの時どうして何も言えなかったのか、まだ答えは出ない。
自分は結婚がしたかったのだろうか、図星を突かれて口ごもったのか。
それとも、これまで女を心から愛したことがないのを揶揄されたと感じたのか。
そのどれも、正解ではないということは分かっていた。
結婚について、考えたことはあった。
両親の記憶はないが、皆当たり前に結婚していたし、
自分もいつか誰かと家庭を築くのだと思っていた。
だが、ここ何年か色々なことがあって、色々な場所へ行き、色々な人と出会った。
「正直、非現実的な毎日だったよな」
ぽつりと呟いて、笑ってしまう。
思い出せば、すぐに鮮明な記憶がよみがえる。
その充実感は他に変えがたく、もう3人分くらいの人生を生きてしまったような気さえする。
トーマスは町のはずれにある小さな公園に来ていた。お気に入りの場所だ。
水の出ていない噴水の縁に座り、オレンジ色の空を見上げる。
この答えが出るまでは、まだ船に帰るわけには行かなかった。
まだ霧深い彼は誰時であった。
不明瞭な頭を振りかぶり、ぼんやりと室内を見渡す。
港にほど近い宿屋の一室、無造作に脱ぎ捨てられた衣服が床や椅子に散らばり
隣には薄い毛布にくるまって女が健やかな寝息をたてている。
(酒場で飲んで、、そうか今日も帰らなかったんだ)
船上の人であるトーマスは、「陸で飲んでも朝には帰る」が信条の男、
世界最速の船、プラネトスⅡ世号の船長その人であった。
なんとなく手持無沙汰で、毛布からはみ出た女の栗毛を人房掬って弄ぶ。
(意外と固いな、あいつのはもっと・・・)
「ーーーーっ」
「うぅっ・・・ん・・・?」
動転して腕に力が入ったせいで、髪を引かれた女が薄く眼を開く。
「どぅしたの?もう朝?」
「いや・・・悪いな起こしちまった
俺はもう行くが、あんたはもう少し寝ていきな」
「ええ、そうするわ、またね~キャプテン」
ベッドにもぐってひらひらと手を振る女を残し
トーマスは部屋を後にした。
女は柔らかくて好きだし、男に生まれたからには抱きたいと思う
だが―
そんなことを考えながら石畳を味わうようにゆったり歩いた。
コツコツという靴音が薄暗い街に響いてひとりきりを実感する。
そんな気持ちを振り払うように、トーマスは上着を脱いでひょいと肩にかけた。
シャツからのぞく胸元に外気が触れるとひんやりとして心地よかった。
ヴェルトルーナでの一連の事件に幕が下りて半年
トーマスは困り果てていた。
それは4日前のこと。
「トーマス、結婚してはいかがですか?」
「・・・はあ?」
マクベイン一座を送り届けた後、
船の整備点検を兼ねてエル・フィルディンに立ち寄った。
乗組員のほとんどの故郷であることもあり、彼らに長い休暇を出したばかりでもあった。
だから船に残っているのはトーマスとミッシェル、それにルカを含めた数名。
大勢でわいわいやるのもいいが、たまには少人数でしっぽり飲むのもいいかもしれないと
今夜の酒場を考えているところを話しかけられたのだ。
「もうこの世界は当分の間なにも起こらないでしょうし、
あなたも良い歳なのですから、身を固めてもいいんじゃないですか?」
「・・・・・・」
もっともらしいことを言いやがって、とか
そっくりそのままお前に返してやるよ、とか
いつものトーマスであれば、ぽんと言い返すことができたはずだった。
しかし実際は頭が真っ白になって何も言えず、そのまま逃げるようにして船を飛び出した。
「あれから帰ってないんだよなあ」
何も言わずに出てきてしまったが、誰も探しに来ないのを見ると
ミッシェルがうまく言っているのか。
「ラップか・・・」
あの時どうして何も言えなかったのか、まだ答えは出ない。
自分は結婚がしたかったのだろうか、図星を突かれて口ごもったのか。
それとも、これまで女を心から愛したことがないのを揶揄されたと感じたのか。
そのどれも、正解ではないということは分かっていた。
結婚について、考えたことはあった。
両親の記憶はないが、皆当たり前に結婚していたし、
自分もいつか誰かと家庭を築くのだと思っていた。
だが、ここ何年か色々なことがあって、色々な場所へ行き、色々な人と出会った。
「正直、非現実的な毎日だったよな」
ぽつりと呟いて、笑ってしまう。
思い出せば、すぐに鮮明な記憶がよみがえる。
その充実感は他に変えがたく、もう3人分くらいの人生を生きてしまったような気さえする。
トーマスは町のはずれにある小さな公園に来ていた。お気に入りの場所だ。
水の出ていない噴水の縁に座り、オレンジ色の空を見上げる。
この答えが出るまでは、まだ船に帰るわけには行かなかった。