名残の、後編
「おねがいです・・・・・っ、もう、がまん、でき、ませんっ」
舌足らずなその声はいつもは仏頂面の同居人のもので、けれどその体は、俺の下で赤く染まっていた。
潤んだ瞳で俺を見て、下ろした髪が乱れてる。腕を掴むと、あたたかいのにじわりと湿っていた。女のやわらかい腕とは違い、筋肉質の固い腕。
俺はと言うと、その姿に満足の笑みを浮かべて、その首筋に歯を立てたのだった。
「うわあぁああぁあああああ!!!」
絶叫と共に起き上がる。
いやいやいや、あれはない。あれはないだろ?なぁ俺!!
うん、ない。そうだ、ない。
何で俺があのお坊ちゃんと。
はぁ、はぁ、と肩で息をする。冷や汗も背中を伝った。
それなのに、
恐る恐る掛け布団をあげて、そこを見る。元気に存在を主張しているのを見て、泣きたいような脱力感を感じた。
「・・・・・・・・・嘘だろ、俺・・・・・」
それが、かけておいた目覚まし時計の鳴る、丁度5分前の出来事だった。
さく、さく、とトーストにバターをつけて食べるローデリヒの口元を見つめる。
フェリちゃんの作ってくれておいたベーコンエッグはとろとろの半熟。コーヒーはホットでノンシュガー。
そんな朝食よりも、向かい合って食事をしているローデリヒのほうが気になって仕方なかった。
俺の視線に気づいたのか、怪訝そうにこちらを見る。
「・・・・・・・・・・何か」
「別に」
目をそらしコーヒーを飲むことで口元を隠すと、そうですか、とつぶやいて再びパンを食べる。それから、コーヒーで口をすすぎ、今度はベーコンに半熟の卵を絡めて口へ運んだ。口の端にどろり、とした光沢を持つ黄身がつき、赤い舌で舐め取る。その光景が、昨日見た夢と重なり、まるで思春期の少年のように頬が赤くなった。
食べてるどころじゃなくなって食事もそこそこに席を立つ。
片付けておいきなさい、という声を聞かなかったふりをして玄関の外へ出た。
なんて夢見の悪い朝なんだ。
「それは、恋だな」
恋愛至上主義をうたう悪友はそう言って面白そうに俺を指差した。
「え、何なに〜?ギル、誰かに恋しとるん?」
その声にほえ〜、とアントーニョまでが食いつく。
フランシスの飲まないか、というメールに即答し、行きつけの飲み屋に悪友3人が集結し、美味しい料理と酒に舌鼓を打ちながら雑談を続けていくうちに、最近どうなのよ、と、話が及び、なにもねぇよこのやろう、と返したら、え〜、俺てっきりギルちゃんってば誰かに恋してるのかとおもった〜などとフランシスがしなを作って言うものだから、理由を聞いたら雰囲気が変わった、などとのたまった。
どういうことだ、この野郎、と眉をしかめると、さっきから携帯を気にしてる、と言ってニヤリと笑う。
無意識だった。
確かに、ここのところ、ローデリヒの迷子コールが頻繁になってきて、しかもそれは俺のところに優先的にかかってくるらしく、わけのわからねぇ優越感が満たされていた。だからと言って。
それから、手のかかる奴が時々連絡をしてくるなどと言ってごまかしていくうちに、フランシスが誇大妄想を始めたのだった。
「手のかかる彼女かぁ〜。何だよ、ギルちゃんてばツンデレ萌えなわけ〜?」
「ばっ!そんなんじゃ・・・・・」
「なぁなぁ、ツンデレってなに?」
「ツンデレっていうと、みんなの前ではツンツンしてるのに、二人きりになるとでれっでれになって甘えてくるタイプの子だよ」
「へぇ〜、そうなんやぁ」
「あいつがそんなかわいい性質かよ!」
「ねぇちょっと、奥さん、聞きました〜!?あいつですってあいつ!」
酔っ払いは性質が悪い。
アントーニョの肩を組み、主婦の井戸端会議ごっこをするフランシスの額をはたく。
目の前に思い浮かぶのはあの仏頂面。
あいつが、二人きりになって甘えてくるなどと、そんな・・・・・・・・
「・・・・・・・・・・・・・・・・・」
頭の中に、今朝の映像がよみがえり、あわててビールを飲むことで顔を隠す。
ちくしょう、大体男同士じゃねぇか。
「で、どうなんだ?やったのか?」
「あぁ?」
「何を、とかいわねぇよな?どうよどうよ、どうなのよ?」
「どうもなにも・・・・・、そんなんじゃねぇよ」
「片思いか」
「だから、片思いでもなくて、っていうか、恋じゃねぇだろ」
「え〜、恋じゃねぇの?なのにそんなにいそいそと携帯チェックしてんの?」
何それフランシスわかんなぁ〜い、などと、到底20も半ばにさしかかった男のものとは思えない裏声を出す。
それから、あ、と気がついたと言うようにニヤリと笑う。
「わかったぁ!それさ、何かしら障害でもあるんだろ?だから無意識に心にストップをかけてんだ。だろ?そうだろ?」
「はぁ!?」
確かに障害と言うのなら男同士だわ、生意気だわ、かわいくないわできりがないが。
「何々?誰かの彼女?確かにそれはつらいよなぁ」
勝手な妄想のくせに、それがフランシスの中では決定事項らしく、うんうん、とうなずいていた。
「彼女じゃねぇよ」
「あー、親友すぎて踏みだせへんってやつ?」
「それでもねぇ!」
「じゃ、いいじゃねぇか!奪っちゃえよ!」
「・・・・・・・・・だからっ」
言ってくる二人に何かほかに気のまぎれる話題でも提供しようとして周囲を見渡すが何も見つからなかった。
そんな俺の首に手を回し、フランシスに固定され、目の上に手を当てて無理やり目隠しされる。酔っ払い特有の酒臭いにおいがした。
「しょうがねぇなぁ。そんな意地っ張りなギルちゃんのために、お兄さんがすっんばらしいカウンセリングをしてあげましょう。はい、目を閉じて〜」
真っ暗になった視界に、仕方ないから言葉に従ってやる。
「それでは相手のことを思い浮かべましょう」
真っ暗な視界に、そこだけ光があるようにローデリヒが思い浮かぶ。
「それでは、その相手と自分がちゅーしてるところを思い浮かべましょう」
がたっ、がたたたたっん
思わず体がこわばって、椅子から落ちそうになってしまった。それなのに、フランシスはまだ力尽くで俺の頭を固定し、今度は耳元で囁きやがったのだった。
「はい、想像したようですねー。それじゃあ、舌を入れてみましょうか〜」
ばんばんばん、とテーブルを叩き抵抗する体とは反対に、思考の中の俺はローデリヒとしっとりと舌を絡め始めた。歯列を割り、舌を探り当て、絡め、吸う。まるで今朝の夢の続きのように、ローデリヒが俺の背中に腕を回してきた。それに気をよくしてさらに吸い付く。心ゆくまで舌を舐ったあと、二人の唇が離れ、間を白糸が伝う・・・・・・・・。
「どうですか〜、想像の中の彼女は」
おとなしくなってしまった俺の体から手を離しながら囁くフランシスの声は、さながら悪魔の声に思えた。
目を開けて見てみたテーブルの上は所々料理が散乱しており、アントーニョの手によって俺のところから遠ざけられていた。
「う・・・・、あ・・・・・・・・・、くそ」