わたしは明日、明日のあなたとデートする
「とにかく、私の代わりに一発殴っておいてね」
「ああ、前向きに検討しておくよ」
きっとやらないな、これは。
「ところで父さんにはもう会ったの?」
高志が聞いてきた。
うーん、今のこの複雑な気持ちをどう説明したらいいんだろう。
「まだ」
私は首を振った。
「・・もしかして、父さん、別の人と結婚してるとか?」
高志が気遣わしげに聞いた。
「ううん。結婚してた時もあったみたいだけど、今は離婚して独身らしいよ」
「ならどうして?何のためにあんなムチャしたんだよ。それに同じ歳の父さんがいる時代なんて奇跡じゃないか。そんな幸運に恵まれたのになぜ?」
私は自分でもわからないなりに、考えながら話し始めた。
「まず、この時代で切り離されたらしいって思ったときは、真っ先にここで生きていく術を見つけなきゃ、って思ったわけ。住むとこもお金もない、なんて保護を必要とする状況で会いに行きたくないから。だからまずは、この世界でちゃんと自立した人間として生きることを優先的に考えたら、まあ今に至っている、というわけなの」
「なるほどね。父さんだって、そんな母さんが会いに行ったら、内心困ったな、と思っても保護せざるを得ないものな」
「人に保護されるってのも嫌だし」
「それでももう一ヶ月経っていて、仕事も住むところもあるんだから、そろそろ会いに行ってもいいんじゃないの?」
「そうだねえ。要するに私、怖じ気付いてるんだよね」
高志が意外だ、という顔をした。
「あのね、高寿は三年前に私との四十日を題材にしたアニメ映画を創っていて、私はそれを観たの。それで私は、高寿は私への思いを清算した、と感じたの。そこに今さら会って、高寿は私をあの時と同じように受け入れてくれるのかな?と考えるとね」
私は琵琶湖を眺めてため息をついた。
「やっぱり、三十年の月日って重いんだよねえ」
高志が頷く。
「そりゃ軽くはないだろうさ。俺がおぎゃーと産まれてから今現在に至るまでの時間だもの。その時間を母さんと父さんは別々に生きてきたわけだからな」
「そうね。二人で過ごしたあの時間と格闘しながらね」
でもさ、と高志が言う。
「母さんがこの世界に来たとき、どこでどう振り落とされるか、もしくは振り落とされないか、無数の可能性があった中で、この結果はほとんど奇跡じゃないか。もっと悲惨な結果になる可能性だってあったわけだから」
「そうだね」
「だから、それが母さんの運命だったのなら、これからも何とかなるんじゃないかな」
私は笑った。
「やっぱり運命なんだ」
「ま、なんにしても、父さんにはちゃんと会いなよ。父さんに俺を紹介してくれよ」
「・・そうだね。父親に息子を紹介しなくちゃね」
私はカメラを取り出した。
「一緒に写真を撮ろうよ」
「じゃ、俺はそろそろ行かなきゃ」
写真を撮り終えると高志が言った。いつもの、私の家や撮影現場に顔を出した高志が家に帰るときのような口調だった。
「うん。じゃあそこまで送るよ」
私もいつもの調子で言う。
二人で畦道を歩き出す。この数分が、息子との最後の数分。
高志が立ち止まった。
「ここが『境界線』だ」
私は高志と並んで立ち止まる。ふと思い出してバッグを探り、メディアカードを取り出し、高志に渡した。
「これ、例の父さんが創った映画。これを観れば父さんがどんな人だったかわかるよ」
「うん。帰ったら観てみる。ありがとう」
ほんの数秒、躊躇ったのは私か高志か。
「じゃ、母さん、元気で」
「高志も元気でね」
「母さん、俺を産んでくれてありがとう」
次の瞬間、歩き出した高志が消えた。
思わず高志の後をついていくように私も歩き出したが、私には何も起きない。
この瞬間、私が元の世界から切り離されていて、今はこちらの世界の住人だということが、唐突に骨の髄から理解できた。自分の息子と今、永遠に別れてしまって、あの世ですら会えないことも。あの世ってやっぱり宇宙ごとにあるのだろうから。
私はその場に座り込み、両手で顔を覆って大声で泣いた。
京都に帰る電車の中で、私は高志と話したことを思い返していた。
ふと高志が「もっと悲惨な結末になる可能性だってあった」と言ったことを思い出した。そうだよな。どこで振り落とされるかわからなかったんだから。
私は最初に繋がった一九八三年でそのまま「振り落とされた」場合、私はどうなっただろう、と想像してみた。
高寿が生まれる七年も前の世界に取り残された私は、やがて高寿が産まれた頃に枚方の街に移り住む。あ、いいこと思いついた。高寿の家の近くでタコ焼き屋をやろう。
タコ焼き屋には時々高寿が両親とタコ焼きを買いに来る。
高寿が十歳の時、三十歳の私が高寿に会いに来て、私の店でタコ焼きを買い、店の隣で二人でタコ焼きを食べているのを、私は黙ってそれとなく見守る。
その後も高寿は成長しながらちょくちょく私の店にタコ焼きを買いに来てくれる。
やがて、二十歳になった高寿が、やはり二十歳の私とタコ焼きを買いに来る。
もう七七歳の老婆になっている私は、やはりタコ焼きを食べる二人を静かに見守る。
その数年後、帰省した高寿は、少年の頃からよく通ったタコ焼き屋がなくなっていることに気づく。
自宅に着いた高寿は母親に、タコ焼き屋がなくなってる、と話す。すると母親は高寿に、あのおばあちゃんが亡くなっちゃったのよ、と告げる。天涯孤独だったそうで、アパートの部屋で亡くなっているのが見つかったのは、店を開けなくなってから一週間も経ってからだったのよ、と話す。
翌日、実家を後にした高寿はバス停に急ぐ途中、タコ焼き屋があった場所に向かって手を合わせて祈る。おばあちゃんのタコ焼き、美味しかったよ、と心の中で呟く。
そういう結末も、可能性としてはあり得たのかな、と私は思った。想像した物語のやるせなさにはげんなりしたけれど。
一週間も経ってから遺体が見つかったってことは、きっと腐敗が進んで異臭で誰かに気づかれたのだろうな、と想像して、また気が滅入った。
そんな結末になった場合でも、私は「自分の意志で運命に逆らった結果」として受け入れることができただろうか。いや、逆にその思いだけが、そんな境遇の自分を支えることができるような気がする。
この境遇を、「自分があがくのも何もかも、運命の掌で遊ばれていただけで、この結末は最初から定められていた」と考えてしまったら、私は多分二十歳の高寿と私に会えるまで生きる気力がもたないだろう。
結局、運命かどうかなんて、気持ち次第だということなのだろう。
最初に高志に言った、「意志を持って行動することが大切」で良いんじゃないか。そこに戻れば良いんだ。
今の私は、望外の幸運に戸惑い、「高寿の三十年」に思いがけず直面して、その重さに怖じ気づいているだけだ。三十年の重みなら、私の三十年だって同じだ。そして私は三十年経っても高寿に会いたい、と思っている。
作品名:わたしは明日、明日のあなたとデートする 作家名:空跳ぶカエル