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空跳ぶカエル
空跳ぶカエル
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わたしは明日、明日のあなたとデートする

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14.高寿



2040年4月13日

 もう夕刻だった。春らしい爽やかな一日だったが、日が傾くとやはり肌寒い。
 僕と愛美は、三条大橋近くの鴨川の川岸に二人並んで座っていた。

 昨日はもう混乱の極み、だった。宝ヶ池駅のホームに紺色のワンピースを見つけてドキッとして顔を見たら、思いがけず愛美が立っていて、何が何だかわからないうちに次の電車が来る時間が迫るわ、このままではまた愛美が消えてしまいそうな不安な気持ちになるわで、何か言わなきゃと焦っているうちに、口から出てきたのは「一目惚れした」だもんな。
 後で愛美に「何よ、一目惚れって」って笑われたけど、同じ歳の愛美に会うのは実に三十年ぶりだったんだから、もう初対面みたいなもんだろ。
 でも、今会った愛美が、初めて会った頃の大好きだった愛美のまま歳を取っていたから、思わず一目惚れって言葉が出てしまったんだ、って説明したら、愛美はえへへと笑いながら僕の首に腕を回してきた。

 そんな風に混乱していたものだから、講義なんて何を喋ったかまるで覚えていない。
 ただ、講義の後の質疑の時間に学生から、
「今度の新作の予告編のことなんですけど、最後の方で、何というか、えーっと、すごく斬新な演出をされていましたよね。あれはどういう意図があったのですか?」
 という質問を受けたとき(素直にダサくて素人っぽいって言えよ)、あのコピーを考えたときの気持ち、自分でナレーションをやるってスタッフの反対を押し切ったときの気持ち、声を入れている時の気持ち、それに愛美の涙と笑顔、そんなこんなが一挙に頭の中に押し寄せてきて、僕は一言も喋ることもできずに嗚咽を漏らして泣いてしまった。
 南山高寿が遂に壊れた、って思われただろうな。
 いいさ、思わせておけばいいや。一年後に一時間半、目一杯楽しませて泣かせてやる映画を見せてやるから。

 講義の後の懇談会も上の空で、懇談会が終わった後の恩師と飲みに行った時も、早く愛美に会いたくて気が気じゃなかった。

 その飲み会も解散して、もう真っ先に愛美に電話をかけた。
 そしたら愛美はまだ仕事中だったけど、もうすぐ終わるよ、って。
 仕事終わったら会おう、って言ったら、愛美は笑って、
「また明日ねって言ったのに、もう会うの?」
 ってからかうように言ったから、もうすぐ日付が変わるから明日だ、って言い張った。もちろん愛美はすぐに、
「うん、私も会いたいよ」
 と言ってくれた。
 電話の向こうで、
「あらあら愛美ちゃん。例の彼氏なの〜?」
 って言う女性の声や、
「え〜っ?愛美ちゃん、彼氏いるの〜?」
 って叫ぶおっさんの悲鳴が聞こえた。

 結局、昨夜は愛美の部屋に泊まった。
 二人とも話したいことや聞きたいことが山ほどあって、愛美はこちらの世界に来てから今までのこと、愛美の世界にはもう戻れないこと、愛美の世界がこちらの世界と遠からず「お別れ」することになりそうなこと、を一気に話してくれた。
 僕は僕で、あの後結婚して娘もできたけど、結局上手くいかなかったこと、二十歳の時に愛美に読んでもらった小説が本になって、それをアニメ化することでクリエイターになったこと、アニメスタジオを作ったこと、あの愛美との四十日間を映画にしたこと、その時に採用したアニメーターが宝ヶ池で愛美の「幽霊」を見ていて、彼がそのイメージでエミを描いたこと、上山の居酒屋で愛美が残した京都の市街地図を見つけたこと、そんなこんなで各方面から「絶賛」された新作の予告編になったこと、などなどを喋りまくった。
 
 何時になっていたか、喋り疲れてふと沈黙の時間が訪れたとき、どちらからともなく身体を寄せ合った。唇を重ねたとき、まるで鍵と鍵穴が合ってカチャンと扉が開いたような感じがして、僕らはそのまま身体を重ねた。
 
 裸で肌を触れあわせたまま、眠りに落ちた。爆睡して目が覚めたらもう昼近かった。
 
 目が覚めてからも、僕らは取り憑かれたようにお互いの三十年の交換を始めた。
 そりゃ、三十年をたった一晩で語り尽くせるわけがないよな。
 そのうち、愛美が喋りすぎて嗄れた声で言った。
「高寿、散歩に行こうよ。考えたら、話をする時間はこれからたっぷりあるんだから」

 そんなわけで、今、僕らは鴨川の川岸で黙って座っている。僕らの肩と肩は触れあい、僕の右手は彼女の左手を握っている。
 二人とも、これまでに聞いたお互いの三十年を、頭の中で反芻して整理して、理解しようとしている。つまり今、僕らは互いの三十年の共有を進めているところだ。

「そうかぁ。向こうの世界には僕の息子がいるんだな〜」
 愛美から聞いた話の中で、僕に強い感慨を与えたのは息子の存在だった。
「うん。もうすぐ三十歳になるけど、親の欲目かもしれないけど良い男になったよ」
 愛美が穏やかな声で言う。写真はもう見せてもらっていた。
「高寿に似て、ね」
 愛美がからかうような笑顔を僕に向ける。
「愛美にも似て、かもな。それにしても僕と愛美の子が物理学者になるとはなー」

「愛美がヤケを起こして避妊をやめた結果、息子が産まれて、その息子が物理学者になって、愛美にこっちの世界に来るサポートをした、というわけか」
「ヤケを起こしたって何よ」
 愛美が頬を膨らませて僕を睨む。僕は構わず続ける。
「愛美は三十年越しで二つの宇宙にケンカを売って、それで勝ったんだな」
 すごい人だ、と思う。
「おお、スケールがでかい話だね」
 と愛美が笑った。
「私は高寿に会いたかっただけだよ」

「でもね、こっちに来てから急に怖くなったんだよ」
 長い沈黙の後で愛美が呟いた。
「私と高寿の三十年が急に重く感じて、高寿の中に私の居場所はまだあるのかなって」
 愛美の僕の手を握る力が強くなる。
「もう二度と会えないのにいつまでも引きずっていても仕方ないって、何とか君の存在を『思い出』にしようと、いろいろ努力はしていたよ。でも、結局そこは君がいなくなってからずっと空席のままだった」
 僕は愛美の手を握り返す。
「うん、私もだよ」
「今日は何の日か、わかるかい?」
 僕は何気なく愛美に尋ねてみる。
「四月十三日でしょ。覚えてるよ」
 と愛美が笑った。
「愛美が僕と別れた日」
「高寿が私と出逢った日」
 二人同時に言葉を発し、顔を見合わせて笑った。
 愛美が僕の右手を自分の頬に押し当てて目を閉じた。
「あの時は、こんな日が来るなんて思ってもいなかったな。泣きながら帰ったんだよ」

「あ〜あ、明日には高寿は東京に帰っちゃうんだね」
 愛美が左手で握った僕の手を弄びながら寂しそうな声で言った。
 夕方に取っていた東京行きのリニア便は、今朝のうちに明日に取り直していた。
「またすぐ来るよ。愛美も東京に連れて行きたいし」
「うん。美由紀ちゃんの面接を受けなきゃ、だもんね」
「美由紀にも早く会わせたいけど、翔平にも会わせてみたいな。あいつ、君を見たらどんな反応するかな」
「その人、私を女神だって思ってるんでしょ?まずいんじゃないかな〜。イメージ壊れちゃうよ」

「こっちに引っ越してこようかな」
 僕は昨日から考えていたことを口にしてみた。
「会社はどうするの?」
「若いやつに任せるさ」