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グッバイ・マイヒーロー

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「今あなたが何を考えているのか当てましょうか?」
 穏やかな口ぶりとは逆に古泉の声は鋭かった。だから俺はこいつの向こうに流れる灰色の、あの閉鎖空間の多くが占めていたような風景を眺めるしかなく、このちっぽけな同情を悟られたことが恥ずかしくてならなかった。もしも俺が認めなければきっとそれ以上追求はしてこないだろう。だからこんな牽制をする、俺をどうしてか傷つけないように線を引く。長門が俺を守るように、朝比奈さんが俺を守るように。俺は悩みもしないのに、彼女らはそんな人間に価値を見出す。
「遠慮する」
 はやくこの空間から逃げ出したかった。タクシーなんて法事の帰りくらいしか乗ったことがなかった。全速力で言い訳を考え、そして自己保身に走る自分に絶望した。あんなに何かに対して怒るのなら古泉に責められてやればいいのに、俺はそれすらしない。
「僕も結構今の生活は気に入ってるんですよ」
 気に入っている人間がそんな風に笑うわけがない。今は上手く繕っているけれど、さっき俺は見た。お前が苦しむ姿の、端を見た。
「ずっとどんな人だろうと思っていました。僕達の世界を作った女の子はどんなだろうか、と。それから彼女が選んだ同い年の少年はどんなひとだろう、ってね」
 視線がはずれ、古泉の顔は窓に向けられた。タクシーはトンネルに入り、暗闇にオレンジの光がちらつく。一定のリズムで通り過ぎてゆく四角の光を追えば、内側に古泉の顔が見える。ゆるい暖房がかかった車内は空気が悪い。でもそんな理由からは、胸が押しつぶされてきしんで血を流してしまいそうな、今のお前みたいな顔は誰もしない。
「高校にも通えましたし、そう、もうすぐ文化祭ですし、それから、クラスでも結構人気なんですよ、僕」
 女子の黄色い歓声をいなす古泉は想像に難くなかった。何度か彼の人気を妬む谷口によって伝えられていたこともあったし、その物腰に嫌味を覚えても結局許してしまうのは俺なのだから。きっとそんな風にして彼は教室の地位を確立していったのだろう。
「友達も出来ました。同好会にも所属してます」
 でもそれは自分で選んだのではないじゃないか。友達もあらかじめ決められた学校の中でしか選べなかった。同好会は最初から決まっていた。そんな上から与えられたもので満足してそんな嬉しそうに語るなんて俺には出来ない。あんな馬鹿な学校だって俺は偏差値で選んだし、SOS団もハルヒに強制される形、ポーズをとっているが自分で選んだ。そこに他者の意思は介在しなかった。なのにどうしてお前はそんな風に大切なものを、当たり前に本当に大切だと言う。
「だからそんな顔をしないでください。結構気に入ってるんですよ。それに、」
 ああ、もう言われてしまう、やっぱり古泉は全部見抜いていた。言うな、言うなと念じる。なのに絶望的な言葉が口からこぼれた。
「そんなふうに哀れまないでください」
 タクシーはトンネルを抜けた。



 一時間ほど揺られただろうか、いつの間にか景色はなじみのものに変わっていた。あれ以上喋ることは出来なかった。弁解しようにも言い当てられたことは全く正しくて、言い訳しようものなら今度こそ完全に侮蔑の視線を与えられることが分かっていたからだ。でも、それでも古泉に謝ればよかったのかもしれない。やっぱり俺はまた慣れたポーズをとり、我関せずを保とうとしていた。いつこんなことを覚えたんだろう? ああ、たしか漫画か何かだった。主人公が熱血なのは格好悪く、他人と距離をとるのが大人で、それが正しい関係の保ち方なのだと勘違いして思い込んだ。何年かして間違ったとわかっても直すことは出来なかった。だって皆それを望んでいるように思えたし、俺自身そんな性格を気に入っていたからだ。他人を上から見下ろす、そんな性格を。
「今日はご迷惑をおかけしましたね」
 運転席横の時計は結構な時間を指していた。そう言えば俺は、家に鞄だけ置いて出てきてしまったのだった。母さんになんと言おうか。タクシーから出てくるとこを見られると色々やばいのじゃないだろうか。でも、そんなことどうでも良かった。古泉の視線から逃れることが出来ればもうそれでよかった。
「僕も中々楽しかったですよ。閉鎖空間の中に知ってる人間がいると違うものですね」
 タクシーは速度を落とす。住宅街には明かりがともり、会社勤めの人々がめいめいに家を求めて帰ってゆく。幾人かこちらを見たがしかしすぐに興味を失い家路を急いでいった。この車はそう珍しいものじゃない、家に帰れば家庭がある、彼らの人生がそこにあるのだ。それに比べれば些細な事象でしかない。そして古泉は、意図せず自分の生活を大事にするために自分を軽んじる、あんな人たち全部の命を握らされていた。それもかわいらしい神様によって。
「さあ、つきました」
 家の前で止まった車から這い出てほっとしても、黒いスモーク硝子が開く。また俺は古泉と向き合う形になる。その口から語れるのは全てハルヒのことだ。彼にとってハルヒは神で、きっと少なくない人間がそう考えている。あんな身勝手で変なところ純粋な女を皆神様と信じているのだ。ハルヒも好きで神様になったわけじゃない。きっと彼女に与えられた力も望んだものじゃなかったに違いない。ただ運が悪かった、俺達は運が悪かった。
 唇を噛む。しかしそれでは何も解決しない。俺には積極的に物事を終わらせる力はなかった。あるのは逃避するわずかな抵抗だけ。
「ああ、それと」
 家に帰ってシャミセンを撫でよう。少しは癒されるかもしれない。はやく普遍的な家庭に戻ってしまおう。なのに古泉の声に振り向いてしまう。そのとき急に乱暴な力でネクタイを引っ張られた。あの茶色い瞳がこちらを見つめている。情けない格好で古泉に引き寄せられ、最後に軽く唇が触れた、きっと一瞬だった。なのにそれは陳腐だがとても長く感じられ、俺は息を止めてしまう。あの目がこちらを見ている、笑顔に細められるわけでもなく、ただ長いまつげを伏せて苛立ちをぶつけるように。
「さっきのしかえしです。……僕は本当に今が気に入ってるんですよ」
 手のひらからネクタイが離れ、胸を押される。また窓が閉められ、タクシーは薄い闇と一体になる。俺はみっともなくしりもちをついて走り去ってゆく車を見つめた。
 なあ古泉、それは本当の言葉か? お前は本当にそう思っているのか? そんな風に俺を許してしまっていいのか?
 あんな顔をしたくせに、それでもお前は今が大切だというのか。
 よろよろと門を開ける。もう夕食のことを考え始める健康な脳みそが嫌だった。もっと古泉のことを考えなきゃならない気がした。あの目は、泣いていなかったか? 考えろ、もっと考えろ。俺は考えなきゃいけない、古泉が見せてくれたものをもっと。
作品名:グッバイ・マイヒーロー 作家名:時緒