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ウルトラマリン・ブルー

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 彼はそれはそれは美しいひとだった。
 珠魅というものはそもそもその核である美しい宝石がそれに見合った身体を手に入れたのだ、と言われるような種族だから(本当にそうだ、と言うには少々馬鹿馬鹿しい話ではある)(何せオレは彼にいつも猿のような見た目をしているとからかわれるのだ)見目麗しい者は他のいきものに比べて格段に多い。それでもしかし、彼は容姿であるとか、優雅であるとかそういったものとは遠い何かが美しかった。確かにまるで絵画のような濡れ羽色をした髪や、切れ長の瞳や、均整の取れた長身がそのまましなやかに動くのだからそれがそうなのだと言えばそうなのだが、それとはどうも違うのだと俺は思っていた。
 当人にそんなことを話せばいつものように馬鹿にされてお終いだろうから、一生話すものかと俺は心に決めている。いつも猿だと頭を小突くようなやつに、そんなことを言ってたまるものか。
「タカヤ」
 そしてそのひとは当然のように俺を呼びつけては、後をついて歩かせる。
 その人の名前はモトキと言った。きぼうのもと、という字を書くそうだ。
 何でも少し前までは別の名前を名乗っていたそうだが、会うより前の話であったし当人もあまり話したがらないので言及したことはなかった。何よりこの人の言う少し前、というのがどれほど昔のことなのか知れなかったからあまり聞く気にもならなかった。
「次の集落までどれくらいだ」
 振り返りもせずに訊いた彼の背中に俺は二日くらいです、と短く答えた。食事の必要がない珠魅にとってあまり苦になる距離じゃないけど、モトキさんはまだそんなにあるのかよ、と舌打ちしてみせた。俺としてはあまり新しい環境に移るのが好ましくなかったからいっそモトキさんと二人きりで街を渡り歩いていたいくらいだったが、この人はあまり旅が好きではないようで前回同様ぐちぐちと文句を垂れている。前回、というのはモトキさんが俺の生まれてからずっと暮らしていた集落に迎えられるとき、近くの町まで俺が彼を迎えに行った時のことで、どれだけ歩かせるんだよと苛立った声で何度も言われてうんざりしたのを覚えている。彼は他の地域で名を馳せた騎士だったらしく、何故そんな人がこんな辺境にやってくるのかと彼が来る前は皆で頭を捻らせていたものだが、実際来てみれば全員なるほどこの性格のせいで都から追い出されたんだろうよ、と心の中で納得したものだった。それほど彼は気分屋で気が短く、その上口も悪く、それが脅威になるほどに力を持っていたのだ。集落の雰囲気に慣れてからは随分と気安くなったものだが、来た当初は(後から聞くにはなにやら元居たところで一悶着あったらしい)誰も手が付けられない有様だった。その手が付けられない有様だった彼に姫として世話を命じられたのが俺で、初めのうちなど身体の薄い俺は何かと酷い目にあったものだ。
 砂漠を掠めて、白妙の竜姫の住む森を抜けて、キルマ湖を丁度半周ほどすればすぐそこに俺たちが新しく暮らすことになる集落だ。最近は帝国による珠魅狩りが本格化してきて、集落の数自体が減ってきた上ほとんど隠れ住むと言った方がいい状態になりつつある。俺たち二人が前の集落を抜けてここまで来たのだって、元から少数だったそこで一人、また一人と核を奪われてとてもじゃないが寄り添って生きるには心もとない状態になったからだ。今頃は全員がそれぞれ別のところに散ってしまったのだろうが、珠魅として意識を持った頃からずっとそこで暮らしていた俺は本当ならそこで土に還るまでうずくまっていたいくらいだった。実際そうしていた俺をひきずって、お前は俺の姫だろう、とモトキさんは勝手に北へ行くと決めてしまった。それを誰も止めなかったのは多分、彼の言った通り俺がモトキさんの姫であったことと、他の誰だって俺みたいな足手まといを連れて旅をするような気力がなかったからだろう。
「少し休むか」
「…はい」
 俺はあまり体力がない。というよりは身体が小さくて、歩幅が小さいためモトキさんの歩くのに合わせていると彼よりずっと疲れるのだ。だからといって彼が俺に気を遣ってくれるなんてことはないので、こうして彼が休もうと言い出すまでは俺も半ば意地になって自分から言い出そうとはしない。
「思ったより遠いんだな」
 そこに行くと決めたのはあんただろう、と声には出さずその場に腰を下ろす。瑞々しい青い葉が隙間から光を漏らし、モトキさんの核をゆらゆらと煌めかせていた。彼の核は深い青紫色をしたタンザナイトで、太陽の下では妖精の小瓶よりも透き通った群青に、月明かりの下では精霊のランプの光さえ通さない深い紫になる。同じ宝石の中でも彼の核はいっとう輝きが美しく、右に出るものがないとさえ言われているそうだ。本人が自慢したわけじゃないから、俺はそこそこそれを信じていた。
「森を抜けたらすぐですよ」
 そして、何より彼は強い。何故かほとんど煌めきを持たない原石を核として生まれてしまった、身体のちいさい俺を守りながら戦えるくらいに強かった。
 剣の腕は勿論のこと、彼の左肩にはアニュエラの遺した火石が眠っていて、本気になればその左腕を振るうだけで戦況を変えられるのだとかうそ臭いことこの上ない噂話まであるほどであったが、左肩と核に誰も触らせようとしないため生憎と俺は剣の腕くらいしかモトキさんの強さを保障できる部分がない。それでも彼の戦いぶりといったら修羅か羅刹のようで、同じ集落で共に戦っていた仲間でさえ畏れて止まなかった。
 ――いや、共に、なんて彼は戦っていなかったのかもしれない
 彼は独りで戦い、独りで生き、そして死ぬのだろう。何故か日が暮れてからは絶対に戦いへ向かわない、戦地へ赴いていたとしても太陽が見えなくなり次第すぐさま引き上げる彼の足を見て俺は常々そう感じていた。
「さっさと抜けたいもんだな、こんなに近くにあんなもんがあるんじゃ落ち着かねぇ」
 頭の後ろに手を回して、ちらと森の奥の方を見やるとモトキさんは口をとがらせてお前は平気なんか、と訊いてきた。
「…俺は特に不便は感じませんけど」
 彼の言うあんなもん、というのはマナストーンのことだろう。知恵のドラゴンの守るこの世の万物の源たるマナの結晶の波動はどうもモトキさんにとってあまり気持ちのいいものではないらしい。強い石の力に共鳴して核が疼くのだろうが、あまり強い魔力を持たない俺の核にはほとんどそれは感じられなかった。
「あっそ」
 答えを聞いて直ぐに彼は興味がなくなったようで足を組み、その上にほおづえをついて忌々しそうに目を伏せる。興味がないなら訊くなよ、と心中呟きながらも口には出さない。口にしたら何を言われるか分かったもんじゃない、顔には思い切り苦いものが染み出ていただろうけど、俺の顔色を伺えるほどこの人が器用でないのを知っていたから隠しもしなかった。
 こんなに自分勝手で、全部が全部自分の思い通りになると考えているような人がよりによって捨石の座である俺をパートナーとして側に置いているのは、俺が涙石を流せるからに他ならない。