美由紀
第十ゲームからは辻本さんもブレイクされて目が覚めたのか、いつもの辻本さんに戻っていたが、わたしももう簡単にブレイクされる気はしないほど集中できていた。
第十二ゲームでは相手のネットインなどの不運があって、30-40でマッチポイントを握られはしたが、この日二本目のサービスエースであっさりデュースに持ち込み、続いて二ポイントを連取してサービスゲームをキープした。
これでゲームカウントは6-6となり、勝負はタイブレークで決着をつけることとなった。タイブレークは最初の一本は辻本さんのサーブで始まり、以後はサーブを二本ずつ交代で打つことになる。七ポイントを先取した方がこのゲームを取り、つまりこの試合の勝者となるが、6-6になった場合はデュースとなり、二ポイント差がつくまで続行されるのは他のゲームと同じだ。それと六ポイント毎にコートチェンジがある。
辻本さんがサーブを打つためにアドコートに入った時、わたしの背後で数人の部員があの人にタイブレークのルールを説明しているらしい声が聞こえた。
タイブレークは互いに自分のサービスのポイントは落とさないという、完全に互角の展開で進んだ。
しかし、4-5まで進んだ時、辻本さんに強烈なリターンエースを決められた。サーブのコースにヤマを張って、わたしがサーブを打つインパクトの直前にもう動いていたようだ。良いサーブが良いコースに入った、と思った次の瞬間に強烈なリターンが返ってきて、わたしは一歩も動くことができなかった。
辻本さんがコートの向こうでガッツポーズをつくって吠えていた。これで4-6、辻本さんが二つのマッチポイントを握った。
一瞬血の気が引いたけど、まだ終わったわけじゃない。次のもう一本のサーブも辻本さんはヤマを張ってきたが、これは外れでわたしのこの日三本目のサービスエースになった。まずひとつ、凌いだ。
次はマッチポイントでの辻本さんのサーブ。ここが最大のピンチだ。
わたしはさっきのお返しに、辻本さんのサーブをセンターに山を張った。スライスサーブがアドサイドからセンターに入ると、わたしから逃げていくボールになるので、今日の試合はこれで五本くらいエースを取られている。最後もこれで来る、と決めた。
辻本さんがトスアップをしてサーブを打つ瞬間、わたしは全力で右に走った。
するとサービスエリアのど真ん中、ほとんどオンラインの位置に素晴らしくキレが良いサーブが来た。普通なら触れもせずにノータッチエースになってしまうサーブだけど、既に走り出していたわたしは完全に打点に入れている。
クロスに叩いたリターンがエースになったのを見届けて、わたしはガッツポーズをつくって吠えた。これで6-6のタイ。
コートチェンジの時、さっきマッチポイントを握られてからずっと両手で顔を覆っていたあの人が隣の部員に何か言われ、ようやく手を顔から外したのが見えた。
その時、わたしとあの人の目が合った。
もう心臓が止まって三十分は経った、って顔をしていたので思わずクスクス笑ったら、その人は頬を膨らませて唇をへの字にした。あれ?この顔、見覚えがある。
次は辻本さんに強烈なサーブを入れられ、やっと返ったボールをダイレクトボレーで決められた。6-7で再び辻本さんのマッチポイント。でも次はわたしのサーブだ。
スピンサーブを辻本さんのバックに入れ、返ってきたリターンをクロスに打ち、辻本さんを走らせる。ラリーの主導権は渡さず、辻本さんを何回か左右に走らせた。甘くなった返球をドロップショットで辻本さんを前に走らせ、次にパッシングで左側を抜き、ようやくマッチポイントを脱した。7-7のタイ。
次のポイントもスライスサーブをワイドに打ち、辻本さんをコートから追い出して主導権を握った。返球を逆サイドに打って決めたつもりだったが、少し甘くなったのか辻本さんに追いつかれてしまった。また長いラリーの始まりだ。主導権は渡さないが、なかなか追い込めない。全力のショットを左右に打って辻本さんを走らせる。浮いたボールを前に走ってダイレクトボレーでようやく決めた。8-7でこの試合初めてのわたしのマッチポイントだ。観客席がどよめく。
でも、次は辻本さんのサーブ。なんと二本連続でサービスエースを決められ、再び辻本さんのマッチポイントになった。スコアは8-9。
ここからしばらく、同じような展開が続いた。互いにサーブポイントを落とさないので交互にマッチポイントを握るのだが、同時にサーブ権が相手に移るので最後のポイントを取ることができない。
でも、サーブポイントを連取するといっても、辻本さんはほとんどサービスエースか、やっとの思いで返したリターンを簡単に決められているのに対して、わたしの方は長いラリーの末にようやくもぎ取るポイントばかりだ。
この土壇場に来て、わたしも辻本さんもほとんどのファーストサーブが入り、リターンもストロークも全力で打っているのにミスもしないという、二人ともほとんど神懸かった状態になっていた。いつの間にかとんでもない人数になっていた観客が一ポイント毎に大歓声をあげていたが、それもわたし達の集中の妨げにはならなかった。
ただ、大歓声に混じっているあの人の声だけは、不思議とわたしにはよく聞こえた。
だんだん声が枯れていくのさえわかって、心のどこかでぼんやりと、この人の声が完全に枯れてしまうまでに早く決めてしまわなければ、と思っていた。なぜか、あの声が聞こえるうちは大丈夫、という気持ちになっていた。
二十八ポイント目、もう何本取られたかわからないサービスエースを取られ、わたしのいくつ目かのマッチポイントを逃れられた。
次のポイントは辻本さんのサーブは、珍しくコースが少し甘かったので、良いリターンを返すことができ、ラリーになった。
もうかれこれ二十ポイント近く、二人とも自分のサービスポイントを落としていない。逆に言えば相手のサーブをミニブレイクできていない。わたしの方はさっきから辻本さんのサーブには簡単にやられっ放しなので、ラリーになったこのポイントはチャンスだ。何とか主導権を握ろうとしているのだけど、辻本さんは徹底的にわたしのバックハンドを攻めてくる。
延々とバックハンド同士で打ち合った末、ようやく少し甘く入ってきたボールをフォアに回り込んでストレートに強打した。取った!と思ったが、僅かにベースラインを割っていたらしい。観客席がどよめいた。これでまた辻本さんのマッチポイントだ。
今度はわたしのサーブだ。ボールを左手で地面に弾ませながら考える。スライスをセンターに打つ、と決めてトスを上げようとした瞬間、辻本さんが僅かに右足に重心を移したような気がした。もしかして、センターを読まれている?トスアップしながらコースを変えて、ワイドに打つことにした。
これは辻本さんには予想外だったようだ。コースの読みが外れたのと、辻本さんにとっては自分の方に食い込んでくるようなサーブになったので、振り切ることができず、合わせるだけのリターンになった。それでもきちんとスライスをかけて深く返してくるのはさすがだ。そしてそのままネットダッシュしてきた。