美由紀
「ねえパパ、愛美さんって、やっぱりあのエミなの?」
このタイミングでそれを聞かれるとは予想外だったようで、パパはしばらく目をぱちくりさせていた。やっと何のことかわかったみたいで、ああ、そのことか、と呟いてわたしに答えた。
「そうだよ。ちょっと前に三十年ぶりに会えたんだ」
「ふーん。もう絶対に会えないんじゃなかったの?」
「パパも愛美もそう思っていたんだけどな。今でもパパにはよくわからないんだけど、多分ちょっとした奇跡が起きて、それで会えた」
そうかぁ。
「あのね。さっきからずっと、どこかで会ったことがある、って思ってたんだ。愛美さんとエミって、やっぱりよく似てるんだね」
パパは苦笑いをしている。
「まだ会ったばかりだからわかんないけど、わたし、愛美さんを好きになれそうな気がするよ」
パパが嬉しそうに笑った。
部員達がぞろぞろと戻ってくるのが見えた。もう決勝が終わったのだろうか。
わたしはパパに、じゃあ行くから、と告げて仲間達の方に歩き出した。
「今日は夕食を一緒に食べないか?」
パパがわたしの背中に声をかけた。わたしはパパに振り返って頷き、走り出した。
「決勝はもう終わったの?」
私を見つけて駆け寄ってきた亜紀にそう聞いた。
「終わった終わった。日大二中が5-0で勝ったよ。どの試合もあっという間」
つまり、わたし達の地区大会は終わった、ということだ。
「ミーティングは明日やるから、今日はもう解散だって」
不意に亜紀がわたしの脇腹をこづいた。
「ねえねえ、あそこにいるの、美由紀のお父さん?」
みんなの荷物が置いてある場所に、パパと愛美さんが二人で立っている。
「そうだよ」
「ねえ、ちょっと話を聞いてもいい?」
いつの間にか、他の部員が何人も集まっている。
「後でご飯食べに行こうって言われてるから、少しならいいんじゃない?」
私がそう言うと、亜紀が先頭に立ってきゃあっ、と甲高い声をあげながら、みんながパパのところに走っていった。隣にいるのがエミのモデルになった人だよ、って言ったら、どんな反応が返ってくるのだろう?
とりあえず着替えに行こうとクラブハウスの方に向かった。途中で部員達がパパと愛美さんを取り囲んでいる近くを通った。
「え〜?愛美さんていうんですか〜?」
「もしかして〜?」
という声が聞こえたと思ったら、一呼吸おいてきゃ〜っ、という歓声があがった。
わたしはちらっとパパの方を見て、照れたような困ったようなパパの顔を見て、思わずクスッと笑いながらクラブハウスに歩いていった。
それから数時間後、わたしとパパと愛美さんの三人は、吉祥寺のレストランにいた。
わたしがハンバーグステーキを食べたいと言ったので、パパが良い店があるからと連れてきてくれたのだ。
このスリッパくらいありそうな大きなハンバーグ、さすがパパはわかってる。今日はもう腹ペコなんだよ、わたしは。
食後のジュースを飲んでいたとき、パパが私の名を呼んだ。なんだかちょっと改まった感じだ。わたしはさっきの話の続きかな、と思ってジュースを置いた。
「実は、京都に移り住もうかと考えてるんだ」
は?なにそれ。
「愛美さんと住むの?」
わたしがそう聞くと、パパはちょっと複雑な顔をした。
「もちろんそうしたいけど、さっき話したこともあるし、いつ一緒に住むことを考えるかは、また別の話だな」
わたしはまたジュースに手を伸ばした。飲み終わると愛美さんが言った。
「美由紀ちゃん。私はあなたの母親ではないけれど、家族にはなれるよ」
わたしはママとアイツがいる、これから帰る家を思い浮かべた。あれもわたしの家族のはずだ。
「家族ってなんですか?」
わたしは愛美さんに聞いた。
「安全地帯、かな」
愛美さんはちょっとだけ考えて、こう答えた。
「家族は、何があっても最終的にはあなたの味方だよ。家族がいるところは、何があってもあなたの居場所だよ」
「わたしがクズみたいな人間になっても?」
わたしがそう言うと愛美さんはまん丸な笑顔になった。
「もちろん。わたし達はそうならないように、あなたを叱ったり怒ったりするけど、それでもあなたはそこにいて良いの。あなたは家の外では戦って自分の居場所をつくらなければならないけど、家族とは戦わなくて良いの」
ちょっと涙が出そうになったので、わたしはテーブルの上を見つめながら固まっていた。
「ねえ美由紀ちゃん」
しばらく私を見ていた愛美さんが、穏やかにわたしに話しかけた。
「あなたとあなたのパパは最初から家族で、この先もずーっと家族だけど、そこに私も入れてもらってもいいかな?」
わたしは愛美さんの目を見た。笑ってるけど真剣な目をしていた。わたしが嫌だって言えば、本当にこの人はパパを諦めるんじゃないか、って気がした。
大人の人にこんなに真剣に頼み事をされたのは初めてなので、どう答えたらいいかわからなくて、わたしは愛美さんの目を見たまま、ただこっくりと頷いた。すると愛美さんの目から緊張が消えて、さっきよりまん丸な笑顔になった。
アニメのエミがこんな笑顔をするのを、アニメ特有のデフォルメだと思っていたけど、ぜんぜんデフォルメじゃなかったんだ、と可笑しくなった。わたしは自然にクスクスと笑い声をあげて笑っていた。愛美さんも声をあげて笑った。愛美さんはわたしがなんで笑っているのか知らないだろうけど。
「良かった〜。私、美由紀ちゃんに嫌だって言われたらどうしようかって気が気じゃなかったよ〜」
愛美さんがパパを見てそう言った。
「僕は大丈夫だって言ったろ?愛美と美由紀は絶対仲良くなれるって」
そういうパパもほっとした顔をしている。
「ねえパパ」
わたしもパパを向いた。
「京都に住むところを探すんだよね?そこにわたしの部屋もあるよね?」
わたしは急き込んで言った。これから先のことをちゃんと決めなくちゃ。
「もちろん。近江県の坂本ってところで一軒家を探す、という案もあるけど」
パパが言った。一軒家。それは素敵だ。
「わたし、中学はやっぱりこっちにいたい。今の部活の仲間と離れたくないから」
パパと愛美さんが頷いた。
「だから、高校からそっちに行ってもいい?」
パパと愛美さんが笑って頷いた。
「もちろん」
二人の声が揃った。
「じゃあさ、私、京都でも近江でも、テニス部が強い高校を調べてみるよ。私立でも良い?」
「多分大丈夫だよ」
パパがそう言って少し心配そうな顔になった。
「ママにはどう話す?パパから話そうか?」
わたしは少し考えて気持ちを決めた。
「まず自分で話してみる。それからパパもママと話してよ」
わたしがそう言うと、パパと愛美さんは顔を見合わせ、頷き合った。
「わかった。どういう話し合いになったのか、パパにも教えてくれ。それを聞いてから、パパがママと、それからあの男と話す」
パパが初めて、「あの男」という言い方をした。これまでわたしには「新しいパパ」としか言わなかったのに。
「ねえ美由紀ちゃん」
愛美さんが横から割り込んできた。
「今度、京都に遊びにおいでよ。いろいろ案内してあげるよ」
「えっ?パパと初めて出逢った場所とか、連れてってくれる?」