Einsamkeit
翌日
いつも規則正しいルートが朝食の時間に起きてこないなんておかしいですね。ローデリヒは一人つぶやいた。
一応様子を見に行きますか、昨日が昨日だし・・・。
慣れた様子で、ルートの寝室へ向かう。
部屋の前まで来ると、几帳面なルートらしくもなくドアが少し開いたままになっていた。
さすがに今日は<あの子>も来ていないはずですが・・・。
無造作に近づくと、ドアの隙間から室内が見える。部屋の主はベッドの隅に腰掛けて、なにやらじっと考え込んでいる様子。今日はいつものタンクトップにトランクス・・・ではなく、素裸で腰にシーツを1枚巻きつけて。
鍛え上げた鋼のような肉体に、少し日に焼けた肌。まるで古代ギリシャの彫刻のような美しさじゃないですか・・・。
思わずその姿にじっと見入ってしまう。しかし、じきにくすりと笑いを浮かべた。
まるで「ロダンの考える人」みたいなポーズだけはいただけませんね。
ローデリヒはおもむろに浮かんだ笑みを引っ込めて、何事もなかったかのように開いたままのドアを軽くノックして、部屋の主に声を掛けた。
「ルート、どうしました?朝食の用意が出来ていますよ。
まさかと思いますが、二日酔いですか?」
ルートは微かにびくっと裸の肩を震わせたように見えた。そしてまた、これもいかにも普段の彼らしくもなく、おずおずと上目遣いにこちらを振り向いた。
「ローデリヒ、そ、その・・・昨日はすまなかった」
これまた彼らしくもない、まるで息が詰まり掛けているように、かすれた小さな声を絞り出すような話し方。その原因はもちろん思い当たらなくもないが・・・
あわてて立ち上がろうとした拍子に、腰に巻きつけたシーツがずり落ちそうになるのを、これもあわてて抑える姿もなんとも微笑ましい。
まったくこの人と来たら・・・思わずまた笑みがこぼれそうになるのをぐっと押さえて、あくまで真面目な顔をする振りをする。
「謝らないで下さい、ルート。悪いのは私なんですから」
「い、いや、しかしだな、酒の上の過ちとは言え、俺は取り返しのつかないことを・・・。
・・・そ、その、もちろん責任は取るつもりだ!」
この人ときたら、本当にどこまで生真面目なんだろう。責任を取るって、いったいどうするつもりでいるんだか。そう思うとまた堪らないおかしさを覚えたが、同時に悲しみもどっとこみ上げてきて、泣いていいのか笑っていいのか、自分でも分からなくなってしまった。そしてその刹那──そんなときはいつもそうなるのだ──今の自分を、まるで遠くから見下ろすような自嘲的な気分に襲われた。
私には泣くことも出来ないのかな・・・とちょっと切ない気分になった。
長い長い一瞬の後、顔に浮かんだ表情は、おそらく微苦笑だったのではないかと思う。
「何を・・・笑ってるんだ?笑うことじゃないだろう?」と困惑するルートに
「いいえ、責任なんか取る必要はないんですよ。さっきも言ったでしょう?
悪いのは私です。酔って正体を失くしたあなたに対して、あのような振舞いに及んだのは私の方ですから」
わざとにっこりと笑ってみせた。
――あの時、あなたには何も言いませんでしたね。あの『正しい(野郎同士での)やり方』はフランシスが勝手に置いていったのは本当ですけど、元々私のために彼が置いていったものなんです。あなたには初めてかもしれないけど、私にはそうではないんです。そのことは今更言わなくても、夕べもうすっかり気が付いたでしょうけど・・・。
ルートの白い頬に瞬間的に、かあっと朱が注したかと思うと、彼はあわてて私から目を背けた。あっという間に首から胸のあたりまで真っ赤になった彼が、また更にいとおしく思える。
・・・しかし、彼にはフェリシアーノがいる。彼の生真面目な胸の中には、他の誰かが入り込む隙間などありそうもなかった。そのことはローデリヒには充分過ぎる位分かっていた。
あれはルートのさびしい心が生んだ、一時の気の迷いなのだ。それを責めることはローデリヒにはできなかった。ローデリヒ自身もあの瞬間、自分を抑えることができなかったのだから。しかし今も後悔はしていない。もっと正直に言えば、こんな時が来るのを待っていたのかもしれない・・・。
いつも彼のベッドにはフェリシアーノがいて、これまで二人はそういう関係ではないと分かっていても、近づくことさえできなかったのだから。もっと言えば、自分がルートのことをそんな風に思っているとは意識もしていなかった。彼のことはただの世話の焼ける友人だとばかり思っていた。昨日のあの瞬間までは・・・。
私の発想もフェリシアーノ並みですか・・・。
いつしか作り笑顔ではなく、ローデリヒの顔には自分でも気がつかない自嘲の笑みが浮かんでいた。
「だから、昨夜のことなど忘れてください。何もなかったんです。あれはただの夢だったんですよ」
「ローデリヒ・・・」
言葉は少なくとも、ルートの目がすべてを語っていた。そんなことはない、一時の気の迷いや遊びなんかではない、俺はおまえのことをそんな風に思ってそんなことをしたわけではないのだと。だが、それに答えることはできなかった。何よりもフェリシアーノとルートを争うなど、無意識にしても、ローデリヒの自尊心が許さなかった。
ローデリヒは、必死で語り掛けるルートの目にわざと気が付かない振りをした。
「さ、早く着替えていらっしゃい。お茶が冷めてしまいますよ、このお馬鹿さん」
まだ何か言いたそうな彼をすばやく制し、わざと軽口を叩くと、部屋を離れてダイニングへと身を翻した。刺すような胸の痛みを黙って押し殺しながら。
これ以上ルートの顔を見ていると、うっかり涙をこぼしてしまいそうだった。生真面目な彼にこれ以上負担を掛けさせるわけにはいかない。それに何よりも、自分の自尊心に掛けても彼の重荷になるような自分の存在を認めるわけにはいかなかった。
私には最初からすべて承知の上だったはず・・・。薄闇の中で、彼の淡いブルーの瞳と真っ直ぐに見つめあったあの時から。
・・・そう、あれはただの幻、一夜の夢なのだから。
作品名:Einsamkeit 作家名:maki