【青エク】幻影の街角
そうだ、と思い出す。出張所で柔造にばったり会った所まで話したのだ。その先を思い出して、呆けてしまったらしい。とは言え、正直には話せない。自分の気持ちなど以ての外だし、自分が柔造に何をしたかなど、詳しく話すことではない。いや、話すなんてそんな恥ずかしいこと、到底できない。
「なぁ。蝮姐さん」
続き、続き、と柔造がずいずいと蝮に迫ってきて、話の先を強請る。
続きて……、冗談やあれへん。
本当の続きなど話せるワケがない。未だに柔造の顔もまともに見れないのに。熱に浮かされたような自分を出来れば思い出したくない。
なしてこないなことに。
今更ながらに、自分の迂闊さを罵りたかった。
今日は非番だった蝮の他は勝呂竜士、三輪子猫丸、志摩廉造の子供たちしか居ない。旅館寅屋の手伝いに呼ばれていた蝮は、学校から帰って来てだらりとしていた子供たちに、冷えた麦茶とおやつを出した。
丁度その時に竜士がうだるような暑さの外を眺めながら、逃げ水で揺らぐ道を指差した。
「あそこを曲がったらどっか別の世界にでも繋がってそうや」
ふっくらした頬で大変に子供らしいことを呟いたのだ。
「ほんまですなぁ」
「行けるんやったら面白そうや」
その言葉に、子猫丸と廉造が賛意を示したのまでは良かった。まだ、子供の言うことだと受け流せた。
「ほなら行ってみよか」
「あきまへんえ」
だが、良く判らない街で――途中からは別として――何処とも判らず帰れないかも知れないと不安な気持ちで過ごした記憶を思い出した蝮は、思わずきつい口調で言ってしまった。
「蝮?」
少年たちが驚いて蝮の顔を見た。
「なして? なしてあかんの?」
甲高い少年の声で何度も繰り返されて、仕方なくあの良く判らない街へ行ったことを話すことになったのだ。
「なぁ、蝮姐さん。はよ続き聞かしてや」
生意気な口を利いたりもするけれど、まだまだ子供の三人は、ちょっと不安そうながらもキラキラワクワクした笑顔と言う、子供の魅力をふんだんに振り撒いて続きをせがむ。自分は何があるか判らない恐ろしい場所だから、行きたいなどと思ってはいけないと言う話をしていたのではなかったか? この子供たちの興奮の仕方はなんなのだろう。
「えー……。その……。……あちこちうろうろしよったら、いつの間にか元に戻っとりました」
ええー? と不満げな反応が上がる。これ以上詳しくは話せないのだ。それに大筋では嘘はついていない。
「それだけぇ?」
廉造があからさまに落胆したような声を上げる。
「迂闊にそないな所に行きたいなんて言うたらあきまへんえ、言う話や。戻られへんのかもしれへんのやから、危ないて……」
「そないな話聞きたいのと違う~!」
中学生が床に寝っ転がって、お菓子が欲しいと駄々を捏ねるように、ジタバタと暴れた。予想外の反応で蝮はどう対処していいのか判らず、喋るのも忘れた。廉造はこんな子供だっただろうか?
「蝮、放っとけ」
竜士が呆れたように溜め息を吐いた。こちらは年頃の子供には似つかわしくない大人びた口を利くものだ、と一部だけ冷静だった頭で感想を抱く。
「どうせアホなこと考えとるのやろ、このエロ魔人」
「そうですやろな。蝮姐さん、堪忍したってください」
子猫丸までもが大人びた気遣いを見せる。
「ええええ~。なしてそないな子供らしくないこと言わはるんです? 誰も居ないところで二人きりなんて、夢のようなシチュエーションやで? ムフフでエヘヘなあれやこれやあるやないですか! 柔兄が迫ったんか、とか。あ、意表をついて蝮姐さんから迫ったとか、メチャメチャ興奮しますやろ!」
「そんなこと考えるのお前だけや!」
興奮のあまり、うひゃー! と奇声を上げた廉造に、竜士がごつん、と拳固を脳天にお見舞いする。その脇で子猫丸が大体志摩さんは……、と説教を始めた。
一方で、廉造が吠えた内容に、蝮はがっくり肩の力が抜けるのを感じる。
私がしたことて……。
志摩家の五男坊は確かに小さい頃からマセていた。子供が言うにはかなりけしからん内容の発言も多かった。とは言え、子供が考えることと同じことをしたのかと思うと、いたたまれない気持ちになってしまう。熱に浮かされたようだった自分の姿を否が応でも思い出して恥ずかしくなる。
子供と同じレベルて。今の子供てそないなことまで知ったはるの? いやいやまさか。ほなら、柔造が話したとか……? あんなにおくびにもださんと、他の人に喋ってるてことあるやろか? 廉造が知ってるとなると、金造も知ってる言うことやろか。皆の前で喋ったとかしてへんやろな?
いや、まさかいくらなんでも……。でも……。皆に知られたらどないしよ……。そんな恥ずかしいこと、耐えられへんえ……。
ぐるぐると思い悩んでいる思考を断ち切るように、どすん! と蝮の膝に廉造が倒れ込んでくる。
「蝮姐さん、助けてえな」
「志摩! お前はまた……。こっち来い!」
竜士が膝にしがみついた廉造をずるずると引き離す。いつの間にか取っ組み合いの喧嘩のようになっていたらしい。
「せやかて、男やったらぁ~」
「子供の考えることか!」
「勉強もせんとそないなことばっかり考えて、明陀のために働かれへんようになってもエエんですか?」
子供たちがぎゃいぎゃいと騒ぎ立てている。
「エッチなことに興味があって、何があかんのっ!」
廉造がうがぁ! と怒鳴った。男ならスケベで当たり前や! と喚き散らすのを、竜士と子猫丸が顔を真っ赤にしてアホアホアホ、このエロ魔人と怒鳴り返す。大人びた子供たちの表情が剥がれて、子供らしい顔が覗いた。
それを見ていたら、ふぅ、と毒気が抜けたような気がした。廉造の発言に焦って慌てたのが急にバカバカしくなる。
もし誰かに言われても、そんなことあるはずがない、と強気で否定すればいい。簡単なことだ。
あの街には二度と行けない。あんなことをした自分にはもうなれないだろう。
それでも。
思い出せばまだ、恥ずかしいけれど。
想う相手に触れられた。それだけでいい。
きっとこれからも柔造との関係は変わらないだろう。自分の想いをあらわにすることもないに違いない。自分の触れた相手は、本当に柔造だったのかもわからない。そうかも知れないし、悪魔だったのが戻った瞬間に本当の柔造に入れ替わったのかもしれない。ただ、もうそんなことはどうでも良かった。
あの熱と感触だけは忘れない。大事な思い出だから。それだけあればいい。
蝮はそっと自分の手を見た。そこにまだ触れた熱が残っているような気がする。幻のように儚いそれをそっと包む。
本当のことは自分だけが知っていればいい。
あの場所にはもう惹かれない。
-- end
作品名:【青エク】幻影の街角 作家名:せんり