光の帝国
ばらばらばら、と雨粒が窓ガラスを叩く。
寮塔から見下ろす世界に見える光は雷だけだ。毎年この季節になると必ず一度は天気が荒れる。まだ日没には早い時間なのに、明かりを点けない室内は足下さえおぼつかない。雷が黒い雲を淡い色に染め、その名残がリーマスの頬を撫でて消えた。彼は窓枠に手をついて流れる雲を見つめた。あとからあとから雲は溢れて、空をどこまでも埋め尽くす。時折またばらばらと雨の音がして雷鳴が響く。外は文字通りの嵐だ。右から左まで完璧に嵐だ。水がざんざんと空から落ち、風は木を揺らして葉をもぎ取り、雲は電気を帯びて爆発を起こす。それなのにこの薄いガラスの内側は、なんて静かなんだろう。リーマスは窓ガラスにてのひらを当てた。この場所は少しも安全ではない。ガラスが割られてしまえば、この室内だって外の一部になる。あっという間に嵐に呑まれる。ここが安全だなんて、幻想だ。それなのにここはなんて静かなんだろう。ガラスに手を置いたまま、リーマスは身体をひねって室内に目を向けた。天蓋付きのベッドに、清潔なシーツ。膝から下をだらしなくベッドの端にぶらさげて、そのほぼ対角線上に寝転ぶ友人。規則正しい呼吸は深いから、彼の眠りもまた深いのだと分かる。こんなふうに雨が窓を叩いても、風が低く唸っても、それは少しも彼の眠りの妨げにはならないのだ。リーマスは微笑んだ。ガラスから手を離し、それからゆっくり友人が眠るベッドに近付く。穏やかな呼吸を繰り返す整った顔をしばらく見下ろして、リーマスは指先で癖の少ない黒い髪をひとすじすくって落とし、その耳の横に片手をついた。静かに体重をかけて身を乗り出すとスプリングが音を立てずに沈んだ。眠りはまだしっかりとベッドを包んでほどかない。子供のような寝顔にリーマスはゆっくりと顔を寄せ、ぴたりと閉じられた瞼の端にキスをした。神聖な儀式のように、しめやかに、ひそやかに。やがて彼は顔を上げ、満足げに瞬きをして、そして僕に気付いた。
彼は目を見開いて、ジェームズ、と僕の名を呟き、すぐに視線を逸らした。
「・・・いつから?」
目を逸らしたまま、リーマスが小さく訊ねた。
「最初から」
だから、僕は正直に答えた。
趣味が悪い、とリーマスは小さくこぼし、それから視線を戻して僕を見た。睨み付けたと言い換えた方が良いほどの、それは強い視線。
「君の宝物のマントは、こういうときに役に立つってこと?」
「あれ、なんだかひどいことを言われた」
不愉快を如実に表す口調が珍しくて思わず笑ってしまったのだけれど、それが余計に癇に障ったらしい。彼はぷいと顔を背けてベッドから離れ、再び窓際に立った。
「君が部屋に入ってきたとき、僕はここにいた。もちろん、マントはクロゼットの中だ。声を掛けなくて悪かった」
「・・・僕こそ、ほんとにひどいことを言った。忘れて」
「リーマス」
「静かに。起こしてしまう」
リーマスは窓の外から目を離さずにそう言った。これ以上僕と話すことはないのだと、突き放すように横顔が語る。閃光が彼の頬にいつもと違う陰影を作る。
僕は足音を立てないようにそっと歩いて窓辺に寄り、彼の隣に立った。
「じゃあこうしよう」
ささやきに似た声音で呼びかけると、彼は視線だけをこちらに向けた。
「僕も君と同じことをしよう。そうすれば、照れ隠しに僕に冷たく当たる必要もなくなる」
「照れ隠しなんかじゃ」
「静かに、起こしてしまうよ」
し、と人差し指を唇に当てて口元だけで笑うと、彼は呆れたように溜息を吐いた。
「好きにすればいい。まだ彼は寝てるし」
「いや、そうじゃない」
意味が分からない、という顔で、リーマスが振り返る。
「君に、だよ」
寮塔から見下ろす世界に見える光は雷だけだ。毎年この季節になると必ず一度は天気が荒れる。まだ日没には早い時間なのに、明かりを点けない室内は足下さえおぼつかない。雷が黒い雲を淡い色に染め、その名残がリーマスの頬を撫でて消えた。彼は窓枠に手をついて流れる雲を見つめた。あとからあとから雲は溢れて、空をどこまでも埋め尽くす。時折またばらばらと雨の音がして雷鳴が響く。外は文字通りの嵐だ。右から左まで完璧に嵐だ。水がざんざんと空から落ち、風は木を揺らして葉をもぎ取り、雲は電気を帯びて爆発を起こす。それなのにこの薄いガラスの内側は、なんて静かなんだろう。リーマスは窓ガラスにてのひらを当てた。この場所は少しも安全ではない。ガラスが割られてしまえば、この室内だって外の一部になる。あっという間に嵐に呑まれる。ここが安全だなんて、幻想だ。それなのにここはなんて静かなんだろう。ガラスに手を置いたまま、リーマスは身体をひねって室内に目を向けた。天蓋付きのベッドに、清潔なシーツ。膝から下をだらしなくベッドの端にぶらさげて、そのほぼ対角線上に寝転ぶ友人。規則正しい呼吸は深いから、彼の眠りもまた深いのだと分かる。こんなふうに雨が窓を叩いても、風が低く唸っても、それは少しも彼の眠りの妨げにはならないのだ。リーマスは微笑んだ。ガラスから手を離し、それからゆっくり友人が眠るベッドに近付く。穏やかな呼吸を繰り返す整った顔をしばらく見下ろして、リーマスは指先で癖の少ない黒い髪をひとすじすくって落とし、その耳の横に片手をついた。静かに体重をかけて身を乗り出すとスプリングが音を立てずに沈んだ。眠りはまだしっかりとベッドを包んでほどかない。子供のような寝顔にリーマスはゆっくりと顔を寄せ、ぴたりと閉じられた瞼の端にキスをした。神聖な儀式のように、しめやかに、ひそやかに。やがて彼は顔を上げ、満足げに瞬きをして、そして僕に気付いた。
彼は目を見開いて、ジェームズ、と僕の名を呟き、すぐに視線を逸らした。
「・・・いつから?」
目を逸らしたまま、リーマスが小さく訊ねた。
「最初から」
だから、僕は正直に答えた。
趣味が悪い、とリーマスは小さくこぼし、それから視線を戻して僕を見た。睨み付けたと言い換えた方が良いほどの、それは強い視線。
「君の宝物のマントは、こういうときに役に立つってこと?」
「あれ、なんだかひどいことを言われた」
不愉快を如実に表す口調が珍しくて思わず笑ってしまったのだけれど、それが余計に癇に障ったらしい。彼はぷいと顔を背けてベッドから離れ、再び窓際に立った。
「君が部屋に入ってきたとき、僕はここにいた。もちろん、マントはクロゼットの中だ。声を掛けなくて悪かった」
「・・・僕こそ、ほんとにひどいことを言った。忘れて」
「リーマス」
「静かに。起こしてしまう」
リーマスは窓の外から目を離さずにそう言った。これ以上僕と話すことはないのだと、突き放すように横顔が語る。閃光が彼の頬にいつもと違う陰影を作る。
僕は足音を立てないようにそっと歩いて窓辺に寄り、彼の隣に立った。
「じゃあこうしよう」
ささやきに似た声音で呼びかけると、彼は視線だけをこちらに向けた。
「僕も君と同じことをしよう。そうすれば、照れ隠しに僕に冷たく当たる必要もなくなる」
「照れ隠しなんかじゃ」
「静かに、起こしてしまうよ」
し、と人差し指を唇に当てて口元だけで笑うと、彼は呆れたように溜息を吐いた。
「好きにすればいい。まだ彼は寝てるし」
「いや、そうじゃない」
意味が分からない、という顔で、リーマスが振り返る。
「君に、だよ」