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未来福音 序 / Zero―オレンジパイ―

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『アーネンエルベという喫茶店に来てほしい。場所は―――』
 留守番電話に残された伝言を再生すると、若い男の柔らかい声でそう伝えられた。
 名を黒桐幹也というその男は、自身を蒼崎橙子の部下だと言った。
 長い間蒼崎橙子と連絡を取っていなかったので、更生の見込みなしとみなされて、裁判所か警察か知らないが、そういった類の人間がいずれコンタクトを取りにくるだろうとは予想していた。要求に従うことは、なんだか相手の張った罠にみすみす引っかかるようで少し抵抗はあったが、別に今となっては少年院に行くことだってなんとも思わない。生活が保証されるなら、今より幾分マシかもしれない。
 あるいは、もっと明確な悪意を持った人間が俺に近づこうとしている可能性もあった。だが、そんな気配を微塵も感じさせない真っ直ぐなその男の声が、結果的に俺を「遺産」の名を冠する喫茶店へと誘ったのだった。

 イメージしていたのは、小綺麗なスーツに身を包んだデキるビジネスマン風の男だった。だが、俺の前に現れたのは、まだ大学生かそこらという感じの青年だった。
黒いズボンに黒のシャツ。中には濃紺色のカットソーを着ていて、全身ダークカラーで統一されていた。それでも野暮ったく見えないのは、スラっとしたしなやかな体型と端正な顔立ちのおかげだろう。ただ一つだけ。非対称に片側だけ長く伸ばされた前髪が、左目を覆い隠していることが気にかかった。
「ごめん。待たせちゃったよね」
 待ち合わせより三分遅れてやってきたことを、黒桐幹也は申し訳なさそうに謝った。
 それから、まだ何も注文せず待っていた俺にオレンジパイとアイスコーヒーを、自身にはアップルパイとこれまたアイスコーヒーを注文した。
「いやあ、いつも使う電車が信号機のトラブルで遅れちゃって。これならバスで来た方が早かったかな」
 屈託のない笑顔を浮かべ、頭をかきながら黒桐幹也はそう言った。
「未来でも見えれば、こんなことにもならなかったんだけど」
 余計な一言を付け加えて。
「あんた、警察の人間じゃないのか」
「ああ、自己紹介が遅れたね。僕はこういう者だんだけど」
 手渡された小さな紙切れには、『伽藍の洞』という小さな文字の下に『黒桐幹也』という目の前の青年の名が書かれていた。それ以上の情報は、ない。
「って、それだけじゃわからないか」
 黒桐幹也は今一度座り直すと、正面から俺に向かって大真面目な顔をして話し始めた。
「電話でも言ったけど、僕は橙子さんの事務所で働いていてね。まあ、仕事は色々だから橙子さんの助手っていうのが適切なんだろうけど。あ、一番よくやるのはコーヒーを入れることだから、お茶汲みって言ったほうがいいのかな」
 俺からすれば至極どうでもいい話を、黒桐幹也は話し続けた。
「ま、そんなわけで名刺には特に肩書きが無いんだけど。って、そんな話がしたいんじゃなかった。君、最近学校に行ってないらしいね」
「ああ」
 何の前触れもなしに聞かれたことに少し動揺したが、別に今更隠すことでもない。向こうは全て承知のはずだ。
人畜無害を絵に描いたような人間を前にして、俺の胸の裡は少しささくれ立っていた。
「その目のことと関係あるのかな」
 やはり、黒桐幹也は深い事情まで知っているようだった。
 アイスコーヒーに浮かぶ氷が、カランと音を立てた。
「実は、僕は両儀式の知り合いでね」
 その名を耳にした瞬間、死んだはずの右目が疼いた。
「ッ―――」
 殺したつもりの声が漏れた。
「すまない。君にとっては余り面白くない名前だったね。だけど、君はそれでいいのかい?」
 初対面の人間にこうもわかったような口を利かれるのは、はっきり言ってムカついた。
「カウンセラーか何かのつもりなら、帰ってくれ。俺にそういうのはいらない」
「どうして」
「必要ないからだ。別に気を病んでいるわけじゃない」
「なら、どうして学校に行かないんだい?」
「・・・・・・面白くないから」
「なるほど。君はそんなに自分の快楽を素直に求めるようには見えないけどね」
「俺の何を知ってるんだよ」
 そんな俺の問いかけを無視して、黒桐幹也はアップルパイを口に運んだ。
「うん、美味しい」
 俺はというと、コーヒーを一口飲んだだけで、オレンジパイには手をつけていない。
 黒桐幹也はさらに二口ほどアップルパイを口に運んでから、コーヒーを口にするとこう言った。
「それで、君は、これからどうするんだい?」
「どうするって、別に今までと同じだよ」
「それを君は許せないんじゃないかな。それに、生活だって不安定だろう」
「なんとかするさ」
「いや、君には無理だと思うな」
 ぞわりと黒い衝動が、心からあふれた。
「あんた、なんなんだよ!」
 思わずテーブルを叩いて、立ち上がっていた。コーヒーカップとソーサーが甲高い音を立てた。
「ほら、やっぱり君は許せない」
 突然の暴挙にも動じず、黒桐幹也はそう言った。先ほどまでただ情けなく浅はかに映っていた柔和な雰囲気が、今は凄みを持った深淵さとして感じられた。
「ほら、座って。周りのお客さんもいるんだから」
 店内にはビジネスマン風の男と、中年の夫婦に、お爺さんが一人。さらにカップルとおぼしき男女が二組いたが、全員が全員俺の方を見ていた。流石に気まずくなって、俺は再び腰を下ろした。
「もう未来は視えないんだろう。君は、ようやく解放されたんじゃないのか?」
 周囲が再び各々の会話に戻ると、黒桐幹也は声を潜めてそう聞いた。
解放? 一体俺は、何から解放されたというのか。
 ああ、あの奴隷のような日々から解放されたという意味だろうか。全く、この男はそこまでお見通しというわけか。
「・・・・・・どうだろうな。確かにあの日々は酷かったが、それでも希望はなくとも未来はあった」
「今の君には未来がないと?」
 答えられない。
 すると、あろうことか黒桐幹也はフフ、と笑った。
「何がおかしい」
「いや、すまない。未来視を喪った人間の悩みがどれほどのものかと思っていたからね。うん、いや、別に君の抱える問題が軽いとか、そういうことを言ってるんじゃないよ」
 あまりにも真っ直ぐに人を馬鹿にするその言葉に拍子抜けした。
「さて、僕の方からは特に聞くことはないけど、何か聞きたいことはあるかな」
「あんた、結局のところ何しに来たんだ?」
 心の底からそう思っていた。結局、俺を更生させようとか、復学させようとか、少年院に送ろうとか、そういった話は一切しなかった。
「実はね、去年の夏、君が式とあの一件でやりあっている間に、僕は未来視に悩む少女の相談に乗っていたんだ。丁度この店のこの席でね。だから、少しは君の助けになれるかと思ってね」
 まさか、俺以外にも未来視を持った人間がいたとは。いや、そう言えば一人いたな。何年生きたてるのかわからないような魔女が。
「まあ、君とは違うタイプの未来視だったんだけど」
「は、それでお手上げってわけか」
 嫌味たっぷりにそう言ってやった。