未来への報償③
風の吹く先
暦の上では夏が終わり、秋が訪れようとしていた。
けれど、沖縄は一年の半分が夏と言えるほど、平均気温が30度を超える月がある。今日も、真夏日と呼ぶに相応しい気温だった。まだまだ暑い夏の日々は終わりそうにない。
けれど、真夏日だからと言って何時までも夏の気分のままでいれるはずもなく、3年生である平古場達は、部活を引退して受験へと意識を向け始めなければならない頃だった。だが、それほど勉強が好きではない一部の面々は、気分転換と称しては、テニス部へ顔を出していた。
そんな、たわいも無い日々が穏やかに流れていった。
***
期末テストが終わり、いつもの勉強嫌いな元部員達が、げんなりとした顔で部室へと足を踏み入れた。けれど、そこには先客がいた。木手と不知火そして新垣の三人が楽しそうに雑談をしている。木手がいることが珍しくて、甲斐と田二志は顔を見合わせる。
「木手がいるなんて珍しいやっし~」
「そうですか。それより、テストの出来はどうでしたか?」
今一番聞かれたくない質問に、二人は示し合わせたわけでもないのに、揃って木手から視線を反らせた。その様子に、新垣と不知火は困った様な顔で二人を見つめ、木手はわざとらしい溜め息を吐いた。「またか」とでも言いたげなその雰囲気に、二人は首をすくめて恐る恐る木手を窺い見る。
「いや、でも、今回は前より出来た………はず」
「わんも! ま、前よりはでき、た…………たぶん」
木手の鋭い眼光に、二人の語尾がどんどん弱くなる。言葉を続けようとすればするほど、泥沼に嵌っている気がするのは、決して気のせいではない。どうにかしてこの空気を打開しようと、テストに関係のない話題を振ろうとした丁度その時、後ろから新たな人物が現れた。
「入り口で立ち止まって、どうしたんばぁ?」
ひょろりとした細長い知念が、のんびりとした口調で声をかけてきた。
「「ひろしー!!!」」
二人分の知念を呼ぶ叫び声に、呼ばれた本人は驚いた表情を見せる。普段あまり表情の変わらない知念だったが、さすがに突然の出来事に驚いたようだった。二人の顔を交互に見つめてから首を傾げる。
そんな知念を室内へと誘導し、二人はその背中へと、隠れるように立つ位置を変えた。もちろん、知念の細い体では隠れることなどまったく出来ないのだが。
二人の不信な行動で、半ば無理やり部室へと入ることになった知念は、視界の先に木手達がいることに気がついて、表情を困惑からのんびりとした笑みへと変えた。
「永四郎、来てたんだな」
「ええ。今、ちょうどそこの二人に、テストの出来を聞いていた所です」
「ああ。今回は難しかったからな……」
「…………そういう意味ではないんですが」
「……ん?」
木手と知念の会話を後ろで聞いていた二人は、"今回も"の間違いだろうと、心の中でだけ反発した。口に出せないのは、出せば必ず木手に射殺されるような視線と、心を抉られるような嫌味を言われるからだ。
知念は首をかしげてから、あたりを見回して一人足りないことに気がついた。
「裕次郎。平古場はちゃーした?」
「……えっ? あ、凛? んー、わんが教室出ようとした時には、もういなかったけど」
突然声をかけられた甲斐は、一瞬驚いて瞬きを繰り返していたが、すぐに首を傾げながら、平古場について答えた。
「テスト終わったから、海にでも行ったんじゃないか」
「そうかもな」
田仁志の言葉に、知念と甲斐は同意を示した。このメンバーの中で、平古場は木手の次に部室にくる回数が少ない。
「そう……。全員集まったら、話そうと思っていたことがあったのですが……」
「話?」
それぞれが、木手へと視線を向ける。けれど、木手の様子はいつもと変わらなかった。落ち着いた表情と、まっすぐに伸びた姿勢は、比嘉の部長として部員を導いていた時と変わらない。
いつもの木手に、甲斐達はお互いの顔を見合わせる。改まった雰囲気で、何か言うことなどあるのだろうかと、全員の顔が物語っている。
木手は、全員の顔を見渡してから、伝えるべき言葉を今言うべきか少し迷った。無駄に引き延ばすほど、時間があるわけでもなかったからだ。
これ以上、引き延ばした所であまり意味はないだろうと、そう結論づけて、木手はゆっくりと唇を開いた。
***
屋上から見る空は、青く高く晴れ渡っていて、平古場は制服が汚れることも気にせず、コンクリートの上に座って空を、遠くに見える海を、のんびりと眺めていた。
この時期は、もう海で着の身着のままで泳ぐことはできない。お盆をすぎれば、海月があちこちに漂い始めるからだ。ラッシュガードも持っていたが、わざわざ家に取りに帰るのも面倒くさくて、屋上で海を眺めて気分を紛らわせていた。
そんな時、制服の胸ポケットに入っている携帯が震えた。この携帯の振動はあまり好きではなかったが、学校ではマナーモードにしていないと、教師に取り上げられてしまう。気だるげに、胸ポケットから携帯を取り出せば、折り畳み式の旧式の機種が現れる。あちこち傷だらけの携帯をみる度に、最新機種の携帯、特にスマートフォンが欲しいと思ってしまう。
親は中学生にはまだ早いというけれど、持っている奴も多いから、どうしたって羨ましい。高校になったら、バイトしてお金を貯めて、絶対に最新機種にしようと心に決めていた。その前に、高校に入らなければならないという、平古場にとって難関が待ち受けているのだが。
「誰だ・・・・・・。チッ」
携帯の液晶に映る文字を見て、思わず舌打ちをしてしまった。今、あまり会いたくはない人物からの着信だったからだ。
液晶が映す文字は、"木手"。どう考えても嫌な予感しかしなかった。
だから、気がつかないフリをして、このまま携帯を放っておこうと心に決める。
携帯は胸ポケットには戻さず、コンクリートの地面において、存在を無視する。
何度か震えがコンクリートに伝わって、カタカタと小さな音がしていたが、すぐに聞こえなくなった。どうせ、今日のテストの出来具合を聞いてくるつもりだろう。「やーはわんぬ母親か!」っとツッコミたくなる。言わせる平古場自身にも問題はあるのだろうが、そんなこと知ったことではないし、木手に何の関係があるというのか。
それに、平古場が望むものは、そんなものじゃない。
もう少し、違う形で平古場を見て欲しい。どうすればいいのか、ずっと考えているけれど、いい案など浮かばない。それよりも、高校受験が迫っていて、平古場としてはこちらのほうが頭の痛い問題だった。
無意識に溜め息が零れた。
上手くいかない。
こんなこと、今までになかった。
そう思うのは、今まで本気で誰かと付き合っていなかったということなのだろうか。
恋人と呼ぶ相手がいなかったわけではないけれど、いつもどこか本気ではなかった気がした。縛られることが嫌いな平古場にとってみれば、当然の結果といえば結果だろう。
大人達から見れば、ごっこ遊び程度のものなのかもしれない。けれど、平古場にとってみれば、どの子に対しても、決して適当だった訳ではない。