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【くしゅんっ】

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「くしゅんっ」

 可愛らしいその声に俺は最初フェルトかクリスかと思った。が、よくよく考えてみれば現在俺が居る場所は地上で、二人は宇宙にいる。
 更に言えば俺は任務中であり、目立たぬようにカフェで優雅な一時を楽しむ男性を演じている。そして、そんな俺の隣に居るのは。
 無言で何事も無かったかのように装う美麗な人物。
 身に纏う衣服は細身の身体のシルエットをなぞるようなワンピース。広がっているわけではなく、垂直に落ちている裾の所為か、それともこの人物が醸し出す雰囲気の所為か、ともすれば両方が合わさって、ワンピースはさながらドレスのようにも見える。
 綺麗に組んでいる足は驚くような白い肌で、決め細やかなそれにさっきから擦れ違う男共の視線が釘付けになっている。当の本人はそれを知ってか知らずか、整った表情を全く崩さないで注文した珈琲を飲んでいる。
――まあ、確かに薄着だもんな……。
 合点がいった俺は隣の美麗の人物に声を掛けた。
「寒いなら中に移動するか?」
「別に寒いなんて言っていませんが。それに、此処でなければターゲットを監視する事が出来ません」
 淡々と答えた人物、ティエリア・アーデは肩にかけているストールを、しかし更に身に巻きつけている。これはどう見ても寒いとしか思えない。
 地上――現在俺達が居る場所の季節は初春。日本では先日桜が満開になったらしい。この間読んだ新聞に日本を取り上げた記事があり、そこにそう書かれていた。
 そして、冬と春の間にあるこの季節は衣服に悩むものである。厚着では暑いし、かといって薄着になるには早い。地上で生まれ育った俺なんかはその辺りも計算して今日は下はデニム。上は七分丈のストライプのTシャツに、上は長袖の黒のシャツを羽織っている。暑くなれば脱げばいいし、この季節はこれぐらいが丁度いい。だが、隣のティエリアはさっきも表現した通りワンピースにストールというなんとも身軽な格好だ。スメラギ氏曰く明らかに年上に見える――実際そうだが――俺の彼女と名乗っても違和感のないように大人の女性を意識したスタイルらしいが、いかんせん季節が悪すぎた。彼女も地上暮らしの筈なのに、そこを考慮しなかったのはうっかりなのか、それとも単にティエリアの女装を面白がってのことだったのか。――後者の可能性が高いだけに頭が痛いな。
――こいつの機嫌が悪くなった時に被害が一番にくるのは俺だっつーの。
 しかし、それをさっきみたいに指摘したところでこいつが否定するのは目に見えている。任務とは言え、ただでさえ女装させられて不機嫌なところに弱みを指摘すればこいつの事だ。キツイ視線を向けられて「任務に専念してはどうですか!?」とでも言いそうだ。まあ、寒いと感じる事は弱みでも何でもないと思うがな。
 俺はどうしたもんか、とティエリアを見つめる。すると、真っ直ぐと目の前にある建物に向けられていた視線がこちらに向いた。
「――何をジロジロ見てるんですか」
「え、ああ。いや、何でもない」
 慌てて視線を逸らしたが、ティエリアが訝しげに俺を見てるのが否が応でも分かる。
 また任務に対して集中していないと注意されるか、マイスターとしての自覚はあるのか、と説教でも始まるのか、と俺は小さく溜息を吐く。
 ティエリアの真面目な部分は嫌いではない。それがこいつの長所だということも、短所になりうることであることも、全て受け入れているつもりだ。
 だが、こう久しぶりに――任務とはいえ二人っきりになれたのに説教だけは正直ごめんだ。
 俺の考えをティエリアは知る由もない。何を言われるか身構えた。
 が。
「……自分でも見苦しいというのは重々承知してます。ですが、これも任務の為です。我慢してください」
 耳を疑った。逸らしていた視線を再びティエリアへ向ける。
 こいつは今何と言った? 見苦しいだと? さっきからお前に向けられる男の視線に本当に気が付いていないのか?
 マジマジと見つめる俺の視線をどう思ったのか、ティエリアは俺から顔を背けると組んでいた足も戻し、心なしか身を守るように右手で左腕を掴んでいる。
 こいつは本当に何と言えばいいのか。
――可愛いじゃねーか、くそ。
 喉元まで出掛けた言葉は何とか飲み込んだ。その言葉はいつのもティエリアなら烈火の如く怒るだろうが、今のこいつならどんな反応を返してくるか、興味がないわけではなかったが。しかし、俺は自分で言うのも何だが、空気を読むことが得意な方なのだ。
「あー、何を勘違いしてるのか知らんが、お前の格好が見苦しいなんて俺は全く思ってないぞ」
「嘘だ」
 間髪居れず言ったティエリアは相変わらず顔を背けたままだ。
「嘘じゃねーって。何でそんな嘘つかなくちゃならねーんだよ」
 そう言って紫色の髪の毛を撫でる。サラサラと癖のないそれに触れることが俺は好きだった。俺の物とは正反対の細い一本一本はまるでティエリア自身を現しているかのように、儚く、こうして撫でて触れることで俺は存在を確かめているのかもしれない。確かに此処にティエリアはいるのだと。
「しかし、俺は」
「ほら」
 まだ何かを言おうとしたティエリアを遮ると、離れていた椅子を動かして俺はその身体にピッタリと寄り添うようにした。
 漸くこちらを向いたティエリアは瞳を――変装の一環として眼鏡は外している――驚きで丸くさせて、そしてほんのりと頬を赤く染めていた。
 目に毒というのはこういうのを言うのだろう。何しろ今俺達は任務中で、目の前の建物に居るターゲットを見張っておかなければならない。決してこの場から離れるわけにはいかないのだ。なのに、そんな時に限ってこんな顔をして、こいつは俺をどうする気だ。
――いや、無意識なんだろうから、こいつを責めるのは筋違いか……。
 一瞬頭を抱えたくなったが、直ぐに立て直すと今だに固まったままのティエリアの肩に腕を回す。至極自然な仕草だっただろう。しかし、ティエリアは数秒後、顔をそれこそ真っ赤にさせて立ち上がろうとした。が、慌ててそれを止める。
「おいおい。任務中だって言ったのはお前さんだぜ? 変に目立つわけにはいかんだろう」
 俺の言葉に納得したのか、しかし顔を赤くしたままティエリアは腰を落ち着けた。さっきまでの涼しい顔はどこいったのか、その表情は厳しく歪められ、決して俺の方を見ない。
「何を緊張してるんだ。ちょっと肩に腕を回しただけだろ? こんな事恋人同士なら当たり前なことだ」
「こ、恋人って……あ」
 声を荒げかけたティエリアだったが、何かに気付いたのか語尾は小さくなり、そして再び俯いてしまった。
 さて、今度は何を考えてるのか。
 さっきも言ったがティエリアは真面目だ。そして、その性格は時として俺の予期せぬ方向へ思考をもっていく時がある。自分の事を見苦しいなんて言ったのがいい例だ。
 こいつにとっての情報はヴェーダが全てだ。勿論ニュース等で世界情勢を知識に入れてはいるが、しかしそれ以外の、特に人間の感情というものは全くといって疎い。というより、知らないのだ。
作品名:【くしゅんっ】 作家名:まろにー