戦名の業火
それから、数年の後、今に至る。
俺は、ある人に率いられた軍の元、戦へ赴こうとしていた。
ヴォル。長い間、放浪の旅に出ていたという、恐るべき戦士。俺は確かに見た――戦へ赴く数日前、あのズルゴに蔑まされながらも、堂々と対峙する、その姿を。
獰猛なる戦士、ヴォル。かつて滅びし竜族の如き戦士、ヴォル。
中隊を率いる彼は、どこか不機嫌そうで、目に殺気を忍ばせていた。しかしながら、どこか、物思いに沈んでいるようだった。
だが、彼は俺に、語りかけた。たまたま傍らに、いた時のことだ。「若造。お前の名は?」
俺は、自らの戦名を答えた。「心臓抉り」の名を。「そうじゃあない」彼は、荒々しくも、驚くほどに気さくな声で、言った。「お前の、本来の名だ」
俺は名乗ったーー。「いい名だな」すると彼は続けた。
「殺しは重ねてきたのか?」
俺は、首を振った。縦に。「そうか」彼は、そう答えると、再び前を向いた。それ以来、俺は二度と、その人の眼差しに見つめられることは、なかった。俺は中隊の中でも、若造だった。今思い出せば、俺は、あの中でも彼にとって、話しやすかったのかもしれない。
「俺は戦の日々に嫌気がさした」彼が呟いたのは、それから間もなくだった。前を見つめたまま。もはや、独り言のように。
「俺は旅に出た。ティムールの元で、一時を過ごした。そして俺は聞いたのだ――龍の声を。上っ面の名誉も、着飾りもない……」
「――命の本質の声を」
彼はそう呟き終えると、もう何も喋ることはなかった。
そして彼は、騎馬を走らせた。怒りの雄叫びをあげて。
俺たちは、それに続いた。
――狡猾なる、スゥルタイ郡の兵達が、眼前に迫っていた。
奴らは狡猾だったが、俺たちのやり方からは逃れられやしなかった。だが、俺たちとて、迅速の戦術を、生かしきることは叶わなかった。気付かれるのが早かった。
乱戦となった。マルドゥにもスゥルタイにも相応しくない、泥臭い殺し合いに。
俺は無我夢中で、迫り来る兵を、人間を、ナーガを叩き斬る。しかし、胸に突然の衝撃を受けた。
「え」
見下ろす。胸に半円形の斧が突き刺さっていた。馬鹿馬鹿しいほど、でかく。それは、滑稽なほどの非現実感を伴って…。
爆痛が、俺の体を走った。
心臓抉りが、心臓を抉られた。
皮肉なことだった。卑怯な戦名の、報いだったのかも知れない。
激痛、獰猛、悔恨、苦しみ……そして訪れた、恐怖の中、俺は死を悟った。ご丁寧に、毒まで盛られていたらしい。奴らの武器なら、珍しくもないのだろう。
俺の中で、肉体が、魂が、一つとなって、吠えたけっていた。恐れと、苦しみの中。生きたいと!復讐したいと!!ーーそう、本来、肉体と魂に区別はなく、それらは不二なのかもしれないーー。
だが、死の運命は、逃れがたかった。暗闇が視界に降りゆきーー。
ヴォルの叫びが、轟いた。
真紅の炎が、爆ぜた。
俺は、目を見開いた。黒に染まろうとしてい視界が、赤に染まった。
俺は、確かに見たーー龍の姿を。
怒り狂う、炎の龍の姿を。
歓喜に狂乱する、ヴォルの姿を。
「龍――?」俺は、掠れた声で、呟く。
「サル=…カン…(偉大なるカン)?」無意識の内に、言葉が紡がれた。
その炎は、敵味方を問わなかった。全てを焼き付くそうと、していた。
俺も、例に漏れなかった。
肌を焼き付くす、業火を感じた。
だが、不思議と――俺はその出来事に、理不尽を覚えることはなかった。
心臓の苦痛が、上塗りされていく。歓喜に狂う炎に。
心身の悲痛な叫びが、飲み込まれていく。龍が、龍語りが、空のカンが放つ、生命の咆哮に。
俺の生命は、完全なる終焉へと叩きこまれる――最期の瞬間に、感じた。見えた気がした。
ヴォルの、心の中だったかもしれない。龍が歓喜に舞う、タルキールの天空を。
上面の負い目もない、その脈動を。
俺の魂は、炎の中で眠りについた。