ぼくと君とキミ
イナズマジャパン候補として雷門にやってきたその姿に、俺は驚きだか喜びだかよく分からない感情を抱いた。本名は緑川リュウジ、レーゼだったころに浮かべていたあの苦しそうな表情はもう見えない。
「み、みどりか」
「ああ、君が円堂君?」
「え?」
「よく覚えてないんだけど、僕が記憶喪失中にお世話になったんだよね?」
それを聞いたときに、胸に込み上げてきたものは虚無感だった。もう彼は俺たちを覚えていない。
でもそれでもいいじゃないか。今緑川は昔のような明るい彼に戻って楽しそうにサッカーをしている。例え忘れられていても、彼が幸せにサッカーができるならそれが一番だ。
そう思ってもやはり寂しい思いは沸き上がってくるものだ。俺はアイツの笑顔を見るのがどこか悲しくて、眉の下がった笑顔しか返せなかった。
イナズマジャパン候補から正式メンバーに選ばれて何日か合宿生活を送ったある夜、俺は風呂上がりに何となく外に出たくてまだ濡れた頭のまま校庭へ行った。
そこにはまだ一人でボールを蹴っている緑川の姿があった。ボールを夢中で追いかけてはゴールへシュートを入れる彼は一緒にキャラバンに乗っていたときと全く変わらなかった。そんな姿を見ているといてもたってもいられずに、肩にかけたタオルを放ってゴールへ飛び込んだ。
「おりゃああ!」
「え、円堂君!?」
勢いよくボールに飛び付いてキャッチする。ゴロンと地面を転がり砂だらけになる。また風呂に入り直さないと、と思いながら緑川を見ると驚いた表情で固まっていた。
「なあ、練習なら俺も混ぜてくれよ!」
「円堂君も?そ、そりゃあ大歓迎だけど!」
緑川はぎこちなく笑ってじゃあパス、と言った。俺はそれに答えようとまだ手に持ったままのボールをチラリと見た。するとそこには何か見覚えのある小さなマークがついている。
「あれ…?緑川、これって」
「あああああ!そ、それは!」
それはもう擦れて見えにくくなっているが、間違いなく俺が書いた印だった。もうレーゼがこのボールを見失わないようにとつけた小さな小さなイナズママーク。そしてその横には「レーゼのボール!」と書かれている。
「おい!これさ…」
「…そうだよ、君がくれたボール…まだバカみたいに持ってる」
わずかにグラウンドを照らす照明の中、緑川が顔を赤くしているのが見えた。俺がじっと見ているのに気が付くと顔を背ける。
「じゃ、じゃあもしかして覚えて…!」
「当たり前だろ…約束したんだから忘れられるわけない!」
もう自棄になったような言い方で緑川は叫んでいた。夜のグラウンドにその声は静かに染み渡る。俺はボールをしっかりと持ったまま、彼の方へ向かっていった。
「だったら…何で覚えてないなんて言ったんだよ…」
「円堂君…」
「俺、すっげえ寂しかったんだぞ」
真っ直ぐに緑川を見つめボールを差し出すと、彼は泣きそうな顔をしてそれを受け取った。そしてボールを大事そうに抱き抱えて静かに泣き出す。
「だ、って…言えないよ…」
「だから何で!」
「も、もう僕はレーゼじゃないんだ!あの頃の記憶はあっても君達と一緒にサッカーをしていたレーゼじゃない!」
「…」
「だから…君も忘れてよ、一緒にサッカーをしたレーゼはもういないから」
緑川の辛そうな涙混じりの笑顔を見ると心が痛んだ。何だか、キャラバンに参加したばかりだったころのレーゼを思い出してしまう。あの頃の彼も同じような表情をしていた。
「あのさ、」
「何…?」
「レーゼはもういない、なんて言うなよ。お前には嫌な思い出だったかもしれないけど、間違いなくあれはお前自身だろ?」
「…」
「俺はずっとそれを覚えてる。それで、ずっと今のお前とサッカーがしたい」
涙を拭くものなんて持ってないから、俺は手で緑川の涙を拭いた。ちょっと目元が汚れてしまって焦っていると、緑川は更に泣き出してしまう。
「確かに…レーゼだったときのことは思い出すと辛いんだ…」
「そっか…」
「でも、円堂君たちとサッカーができたことは忘れなくて本当に良かった…!」
まだ緑川はボロボロと涙を流していたが、表情は今までに見たことのないくらい晴れやかな笑顔だ。それにつられるみたいに俺も何だか泣けてきてしまって、二人夜のグラウンドで一つのボールを持って大泣きしてしまった。
「え、んどうくん…!また、またサッカーしようね!」
「当たり前だろ!リュウジィ!」
初めて呼べた彼の本当の名前。リュウジはそれを聞いてなぜか円堂君のバカと言って力なく俺を叩いてきた。俺はリュウジとそんなことができるのが嬉しくてたまらなくて、何回も彼の名前を呼んだ。