無題if 赤と青 Rot und blau
「ドイツ、東部前線に志願し受理された。…お前と会うのは、今日が最期だ」
薄い唇が言葉を紡ぐ。その言葉をドイツは反芻し、瞠目した。
東部前線…侵攻してきたソ連軍と熾烈な争いが繰り広げられ、そこに赴くと言う事は死にに行く事と同じ意味を持っていた。
「…え?」
「…坊ちゃんによろしく言っといてくれ。多分、もう会うこともないだろうしな」
「何を言ってるんだ!兄さん!、東部前線に立つだと?そんな話は訊いてはいない!」
「言わなかったからな。お前に言えば止められる」
「当たり前だろう!俺にはあなたが、」
「黙れ!」
伸びて来たドイツの手をプロイセンは振り払う。見据えた赤い目は今までになく殺気を帯び、ドイツの言葉を封じた。戦場に赴かんとする黒鷲は眼光鋭くドイツを射抜く。それだけで、心臓が剣を突きつけられたかのように早鐘を打って響く。冷たい汗が背を伝う。それは今までドイツが今まで目にしたことの無い、苛立ちと侮蔑を含んだ憎悪を滾らせた双眸が剣の切っ先となって、ドイツに突きつけられた。
「もううんざりだ。お前にはもう付き合えねぇ。俺が、お前があるのはお前の上司が差別している移民や異教徒のお陰だ!そいつらを追放して築くものに神の祝福なぞ有りはしねぇ。…親父まで利用しやがって。親父はこんなことを絶対に望まない。「人」は「国家」にとっては「宝」だ。国が存続していくためには、「人」がいなければ駄目だ。お前はそれを切り捨てると言うのか?ゲルマン民族だけの「国」?そんなもの、糞食らえだ。そんな国は滅びちまえ!お前は俺を否定した。これ以上、俺がここに留まる理由も無い。これ以上のの屈辱を甘んじて受ける気も無い。…親父はお前の上司とは違う。一緒にするな!フリッツは「プロイセン」の王だ。「ドイツ」の王じゃない。それをこれ以上利用されるのも、「プロイセン」の名を辱められるのも御免だ。俺は死ぬ。今や、国としての基盤もねぇ。だから、俺はひととして死ねるだろう。これ以上、俺の歴史にオーストリアから送り込まれた悪魔に泥を塗られてたまるか!…だが、ベルリンをこの地を再び、踏みにじられるのは避けたい。だから、俺は東部に行く」
怒りに燃えた赤い瞳はぎらぎらと怯んだ青を見据える。
「…ああ、今思えば、それがオーストリアの俺への復讐なのかもしれねぇな。…因果応報ってか。ハハッ。…もうどうでもいい。俺はもうここには居たくない。…居場所もねぇ。ああ、あの晴れやかな栄光と誇りの中で死にたかった!!そうだったならば、俺はどれだけ幸せだっただろう!…でも、時は無情にも流れてしまった…!」
すっと伸びて来た黒革の指先がドイツの頬を愛しげに撫で、落ちる。
「……お別れだ、ルッツ。さようなら。…俺のライヒ、本当にお前を俺は愛していた」
苦痛に揺れ、慈愛に滲んだ赤がドイツの唇を掠め、逸らされ、立ち尽くすドイツの脇を通り過ぎていく。
「兄さん!!」
靴音は振り返ることなく遠ざかって行く。ドイツはその後を追うことは出来ず、立ち尽くす。
愛していた。
過去形で語られた言葉。
さようなら。
別れの言葉がプロイセンの口から、紡がれることなど想像したこともなかった。
「…あなたは、俺の半身なのだ。そんな勝手を俺が許すとでも?」
盲目的なまでに愛していたのは、どちらだろう?
「…この戦争に負ける?…そんなことは有り得ない。絶対に有り得ないんだ!」
負けるはずがない。順調に自分は領土を広げている。必ず、この地に再び、心臓をひとつに双頭の黒鷲の帝国が築かれるのだ。兄と自分だけの理想の国が。
『ローマになっちゃ、だめだよ』
誰かが、囁く。
『おれは今度は迷わない。守るためにこの世界のすべてを手に入れる』
この世界を手に入れて、守るんだ。
「…何をだ?」
この手を今、赤い石は滑り落ちた。
この手に守りたいものは残っていない。
唯一、大事に大切にしたかったもの、守りたかった、自分を誰よりも愛してくれた者はこの手を今、振り払い、去ってしまった。
急に世界が広く何もない荒野へと変わり、その中に一人、ドイツは佇む。
ここはどこだ。
俺が望んだ光景はこんなものじゃない。こんなものではなかった。
「…認めない。俺は、認めないっ!」
この戦争に勝つのだ。どんな犠牲を払ってでも。正しかったと証明すれば、あなたは帰ってくる。
「そうだろう?…兄さん」
澱んだ青が嗤う。
どこで、間違えてしまったのだろう?
問えども答えは得られず、忍びよる薄暗い闇が嗤いながら、ドイツの足元を包んでいった。
※プロイセン・クーデター
1933年フランツ・フォン・パーペンのクーデターによりプロイセン州内閣が解散させられ、プロイセン王国の名残りであった州はナチ党政権下で大管区(ガウ)に分割されて有名無実のものと化した。
作品名:無題if 赤と青 Rot und blau 作家名:冬故