子はかすがい
霞は怒っていた。
怒りながら鎮守府の廊下を歩いていた。その足音に擬音を付けるならズンズンか、あるいはドスドスか。誰がどう見ても一目瞭然なほど怒っていた。すれ違った艦娘たちは皆、道を塞がないように避けるか、とばっちりをくらわないように遠巻きに眺めるかのどちらかで、話しかけようとする者はいなかった。下手に話しかけたらにらまれるか怒鳴られるか、いったいどうなるかわからない。
しかし世の中にはそんな無謀な挑戦をする者もいるのだ。
「どうしたの、霞。そんなにプリプリしちゃって」
挑戦者の名は足柄。霞とは正反対なテンションの艦娘である。
「うるさい! ほっといてよ!」
霞は当然にべもない反応であるが。
「つれないわねえ。可愛い顔が台無しよ?」
足柄はそんなこと気にしないどころか、霞の頬を人差し指でぷにっと押したのであった。やわらかい。
「ちょっと、やめなさいよ!」
霞は足柄の手を乱暴に払った。バチンと痛そうな音がした。無意識にかなり勢いを付けてしまったようだ。
「あっ……」
ばつが悪い顔をする霞に対して、足柄は。
「なかなかやるわね……でもこれならどうかしら! 奥義、百裂ぷにぷに!」
説明しよう! 百裂ぷにぷにとは、足柄が霞の柔らかい頬をひたすら突っつきまくる、残虐非道な技である!
「な、ちょ、アンタ、やめっ!」
「ほーれほれ、抵抗しないとずっとぷにぷにし続けるわよ!」
「あーもー! やったろうじゃないの!」
こうしてじゃれ合いという名の熱い攻防が始まった。交わされる二人の拳、言葉を使わない語り合い。
しかしそれも長くは続かなかった。二人とも疲れたのだ。少し息も上がっている。
「ふう……これでちょっとは気が晴れた?」
と問うたのは足柄だ。
「なおさら不愉快になったわよ」
口ではそう言いつつも、霞の表情には先ほどよりも余裕があった。足柄の戦略的勝利である。
足柄はさらに問う。
「んで、何があったの?」
怒りを露わにしていたときの霞だったらこう問われても素直に答えることはなかっただろう。しかし今は足柄になら話してもいい気分だった。
「実は……」
朝霜は怒っていた。
怒りながら鎮守府の廊下を歩いていた。その足音に擬音を付けるならズンズンか、あるいはドスドスか。誰がどう見ても一目瞭然なほど怒っていた。すれ違った艦娘たちは皆、道を塞がないように避けるか、とばっちりをくらわないように遠巻きに眺めるかのどちらかで、話しかけようとする者はいなかった。下手に話しかけたらにらまれるか怒鳴られるか、いったいどうなるかわからない。
しかし世の中にはそんな無謀な挑戦をする者もいるのだ。
「どうかしましたか、朝霜さん。なんだかプリプリしてますね」
挑戦者の名は大淀。朝霜とは正反対に朗らかな艦娘である。
「大淀先輩……いえ、なんでもありません」
「なんでもないようには見えませんけど?」
「……そう思うならほっといてくださいよ。今は大淀先輩の相手してる気分じゃねえんだ」
言うだけ言ってその場を立ち去ろうとする朝霜だったが。
「霞さんとケンカですか」
その足がピタリと止まってしまった。図星だった。もしかしてあの場にいたのか?
「見てたのかよ。趣味悪いな」
「いえ、見ていたわけではありませんよ。ただ朝霜さんが怒りそうな理由はそれくらいというだけで」
さらに言えば、と大淀は続ける。
「原因は清霜さんではありませんか?」
ハァー……と長い溜め息を吐く朝霜。またしても図星であった。
「なんでそんなにわかるんですか?」
「この鎮守府にいるのも、朝霜さんたちとの付き合いも長いですから」
大淀は得意げにメガネをクイッと直した。
「良かったら私に何があったのか話してくれませんか? 話せば少しは楽になるかもしれませんよ」
かなわねえなあ、大淀先輩には……朝霜は観念してすべてを話すことにした。
「実は……」
それは食堂での出来事だった。
「なんでこんなにピーマンだらけなんだ?」
目の前の昼食を見て朝霜がそう言うのも無理はない。
ご飯はいいとして、おかずがピーマンの塩昆布和え、ピーマンとニンジンのきんぴら、ピーマンの肉詰め。さらには味噌汁にまでピーマンが入っている。怒濤のピーマン攻勢である。
「ピーマンが豊作だったから間宮さんが張り切ったみたいね」
朝霜から見て右ななめ前の席に座っている霞が答えた。
戦況は一進一退を続けている。物資輸送ルートは優先的に人員が配置されて堅く守られてはいるものの、永遠に絶対安全とは限らない。昨日は手に入った物が今日は手に入らないことなどざらにある。そのためいざというときの備えとしてこの鎮守府でも今年から敷地の一部を畑として利用し、ある程度の自給自足が出来るようにしてあった。
自家栽培を始めた頃は、艦娘なのに陸で働くなんて、などと言う者もいたが、今では日々少しずつ実っていく作物を見ることが多くの艦娘にとって癒やしとなっている。
「それにしたって多すぎだろ、こりゃあ」
「文句言わない。痛まないうちに食べなきゃもったいないでしょ? それとも朝霜、もしかしてピーマン嫌いなの?」
「あたいは嫌いじゃないさ……あたいはな」
朝霜は正面の席を見た。つられて霞も右隣の席を見た。そこにはピーマンをにらみつける清霜がいた。
「清霜、アンタまさか……」
嘘だと、冗談だと、霞は言ってほしかった。だが現実は非情である。
「だって、苦いんだもん!」
涙目で訴える清霜を見て、霞は思わず天を仰いでしまった。子供っぽいとは思っていたが、まさかこれほどとは思っていなかった。
「アンタねえ……ピーマンくらい食べられるようになりなさいよ」
「ううー……でもぉ」
清霜にとってピーマンは天敵なのである。前世でピーマンにいじめられたのではないかと思うくらいに。
「でもじゃない。好き嫌いはダメよ」
しかし隣からは霞が無慈悲にプレッシャーをかけてくる。このまま食べずにいるわけにはいかない。万事休す。
しかし清霜が諦めかけたそのとき、助け船を出す者がいた。
「まあまあ、いいじゃねえかよ霞。誰にだって好き嫌いくらいはあるさ」
朝霜であった。
「ほら清霜、ニンジンなら食えるだろ? 肉詰めからも肉だけ出して食っちまえよ」
助かった……そう思った清霜だったが。
「アンタは甘やかしすぎよ! 清霜、こいつの言うこと聞いちゃダメよ。ちゃんと食べなさい」
「なんだよ、嫌がってるのに無理やり食わせなくたっていいだろ」
「好き嫌い言ってられるような戦況じゃないでしょ! いつ補給が無くなってもおかしくないのよ!?」
「だからって無理やり食わせていいってわけじゃねえだろうが!」
「じゃあアンタは食料が無くなったときにこの子がワガママ言ってもいいって言うの!?」
「そこまで言ってねえだろ! お前はクソ真面目すぎんだよ、クソ石頭!」
「はぁ!? アンタこそ考えが足りないのよ、この能無し!」
あれよあれよという間に霞と朝霜がケンカを始めてしまった。
「あ、あの、二人とも……」
慌てて二人を止めようとする清霜だったが。
「んだとコラァ! やんのか!」
「やるなら相手になってやるわよ!」