行軍また行軍
「なあ、嬢ちゃん……」
デコトラのハンドルを抱え込むようにし、前を向いたままどぶろくは助手席に話し掛けた。
通りがかりのドライブインで食事を済ませたあと、腹ごなしにと、部員たちにはこのあたりをジョギングしてくるように命じてある。これからいよいよ死の行軍に出発する。ウォーミングアップも兼ねている。
今ここにいるのは、どぶろくとまもりの二人だけだった。
「姉崎です。姉崎まもり」
澄んだ声が返ってくる。
「まもりちゃんか」
「……」
「あんたに頼みたいことがある」
「?」
こちらを振り向く気配がするが、どぶろくは視線を向けなかった。
「ヒル魔のことだ。アイツはきっといつも以上に張り切って無茶するだろうから、ちょっと注意して見ていてやってくれ」
「はい」
すぐに、返答があった。どうして、とも訊かない。頭のいい娘だな、と思う。ヒル魔はきっと気に入っているだろう。なら、なおのこと。
「あんたは飛行機の中にいたから知らないだろうが、死の行軍は、ヒル魔が強制参加させたワケでも、言葉巧みに誘ったワケでもねぇ」
「わかってます。上から見てましたから。ヒル魔くんは……わたしが見る限り、ただ、立って……ひとことも話してませんでした」
「ああ。うん。そうか……見てたか」
少しばかりかみ合わない相槌を打ったあと、沈黙が続く。
「俺はな。ヒル魔を見てられなかったよ。怖くてな。アイツが怖いんじゃねぇぞ。アイツが、どうかなっちまうんじゃねぇかと思ったら怖くて見られなかったんだよ」
「……はい」
「一年坊主どもに自覚はねぇだろうが。ありゃあ、あいつらの夢を生かすか殺すかってぐらい重大な決断だったんだ」
「……」
「栗田は泣いて喜んでたが、あいつは努力する事にも意味が見出せるヤツだから。だが、ヒル魔は違う。だから、みんな揃って残るって聞いた時ゃあ、アイツだって嬉しかっただろうよ。身体が震えるぐらい嬉しかったはずだ」
声もなく、頷く気配。
「だからこそ、言える。あいつはめちゃくちゃ張り切ってやるだろう。死の行軍をな。それこそ、しごきか拷問かってぐらい。どうもありがとう、僕も頑張るから、いっしょに感張りましょう、なんて、アイツが言えるはずねぇからな」
「……ええ」
「さあ行くぞ、糞野郎ども!遅れねーようについて来い!……せいぜいこんなトコだ」
くすり、と小さな笑い声。
「ついて来いなんて、簡単に言える台詞じゃねぇんだ。だから……無茶するしかないだろうよ。だから……」
「先生」
どぶろくは、初めてまもりに視線を向ける。
薄く笑みを浮かべたきれいな顔がこちらを向いていた。瞳がきらきらと光っているのは、涙をこらえているせいだ。
「先生。わたし、知ってます。ヒル魔くんが、とってもアメフトが好きで、ずっと努力してることも。二人きりで淋しかったことも。本当は、とても……とても、不器用なことも……」
「……そうか」
そうつぶやいて、どぶろくは再び前を向く。
そしてもう一度、「そうか」とつぶやいた。
「なあ、ヒル魔」
マシンガンと、パソコンと携帯をチェックしているヒル魔に声をかける。ラインとバックスではスピードに差が出るだろうから、そのための準備だ。
「なんだ、糞アル中」
「あのマネージャーはいい娘だな」
ヒル魔が、胡散臭そうに振り返る。
「……いくらなんでも歳が離れすぎてやしねぇか?」
「馬鹿。ああ、そうだ。俺は携帯使えねーからな」
「通話ボタンぐれぇ、覚えろよ!」
受話器の上がった絵のボタンを押すだけだろーがよ、とわめくヒル魔を無視する。
「老眼でわからねー。せいぜい嬢ちゃんと緊密に連絡とってくれや。ヘタすると迷うぞ」
「……一本道だぞ?」
それも無視する。
どぶろくは集まっている部員らの前に出ると、手を打ち鳴らした。
視線が集まったのを確認して、声を張り上げる。
「さー、行くぞ、糞野郎ども!遅れねぇようについて来い!」
オー、と複数の拳が高々と上がる。ヒル魔は苦い顔でどぶろくをにらみつけた。
それをあっさりと受け流し、どぶろくは、してやったり、という顔でまもりを振り返った。
まもりは必死に笑いをかみ殺しているようだった。
了