行軍また行軍
「……相変わらず細ぇな、お前。ちゃんと喰ってんのか?」
カンテラの明かりに照らされたヒル魔の痩身を見ながらどぶろくは言った。
ヒル魔とどぶろく以外はみな、寝静まっている。ワイルドガンマンズから間借りした馬小屋にザコ寝だが、誰も文句は言わなかった。
さすがに紅一点のまもりは、どぶろくのデコトラで就寝している。
「言われたとおりにやってるぜ。起きて、走って、喰う」
ヒル魔はそう、静かに答えた。皆を起こさないように、声のトーンを落としている。
「……ふん」
どぶろくは、つい、と手を伸ばしてヒル魔の胸に手を置いた。
その手が、胸から肩、肩から二の腕、背中と回る。
どぶろくが視線をあげると、ヒル魔のそれとぶつかった。
笑みの浮かんだ顔。揺るがない瞳。……それが彼のこの3年を、証明している。
どうだ? と視線が聞いてきた。
どぶろくは手を離すと、わざと難しい顔で「悪かねぇ」とつぶやき、次に、にやりと破顔した。
本当に、悪くない。もうあと一年あれば、今のペースのままでも十分だろう。
ヒル魔はどぶろくのその返答に、満足げな顔を見せた。だからどぶろくは、少し次の言葉を躊躇する。
「……どうしてもやんのか、死の行軍」
「たりめーだ。テメーにも付き合ってもらうぜ。3年もすっぽかしやがったんだ」
「ああ。悪いと思ってるよ。まあ、俺や栗田やテメーはともかく、他のヤツはどうする」
「……」
「ムリヤリつき合わせんのか?」
「……」
「テメーはわかってるだろうから言うがな。たかが、高校の部活動だぞ。プロになるわけでもねえ。テメーと栗田はアメフトバカだし、意地もあんだろうが、こいつらは違う」
ぐっすりと寝息を立てている一年生たちを指し示す。
「つきあう義理は、ねぇ」
現実問題として、ヒル魔と栗田だけが死の行軍をやりとげられたとしても、クリスマスボウルは遠い。全員参加して初めて可能性が見えてくる、ぐらいの状態なのだ。
だから、敢えて、訊いた。
ヒル魔は黙っている。
ヒル魔にも、現状把握はできているはずだ。夢を見るあまり力量を取り違えるような男ではなかった。いっそ、気の毒なほどに。
「先に言っとくが。無理についてこさせたところで、続きゃしねぇぞ。そんな甘いもんじゃねぇ。ヒル魔、テメー自身もトレーニングやりながら、他のヤツも監視して……40日間ずっと、なんて、到底できるわけねぇからな」
「……」
「明日、俺がみんなに訊く。死の行軍に参加するかどうか。それでダメなら、あきらめろ」
ヒル魔は応えない。応えない事が、答え。納得はできないが、理解はしている。
「……ま、そんときゃ俺が、お前に引導渡してやるよ」
どぶろくは軽く言ったが、身を切られるようにつらかった。
ヒル魔は視線を落とし、険しく眉根をよせて、なおもしばらく言葉を発しなかったが
「……ダメだ」
としぼりだすように言った。
「なにが」
「テメーじゃ、駄目だ。俺が訊く」
「……」
「俺たちと、残るか、どうか」
どぶろくはすんでのところで溜息をつくのをこらえた。
その選択をヒル魔自身にさせたくなかったから、わざとまわりくどく会話を運んだというのに……。
「昨日今日会ったテメーが訊くより、俺が訊いた方がいい」
「ヒル魔……」
それで断られたら、誰よりも傷つくのはお前だ。
どうしてこいつは、よりによって、自分が一番苦しむ選択をするのか。
「糞アル中。話は終わりか? もう寝るぞ」
ヒル魔はもたれていた柱から身体を起こし、積まれた干草の上に横たわった。