ローリンガール
中三の夏。
皆受験やら志望校やら、将来の夢など様々なことで忙しくなってくる時期だった。
勿論、私も例外ではない。
外で鳴く蝉の声が、あちこちで乱反射してやけにうるさい。
私は軽く両耳に軽く手のひらを置く。
外の世界の音が僅かに静まった。
真っ青な空に浮かぶ入道雲がもくもくと生き物のように、私の視界に入ってくる。
夏なんだな、と実感させられた。
先生はいつも同じ事言ってる。
進路、将来の事、そして勉強のこと。
何で、そんな毎回同じ事を繰り返すのだろう。
教室に籠った熱で頭が火照って、上手く頭が働かない。
そんなどうでもいい、洗濯機で回しているようなぐるぐるした思考は、授業終了のタイムと一緒に、動きを止めた。
昼休みだ。
「ねぇ、未来(みく)―。」
「ん~?」
私の友達が机を動かして私の正面に机をくっつける。
そして数人友達の隣に机を移動させ、くっつけた。
「進路とか、決まってる?」
「ん~、まぁまぁかな。」
ふにゃりとアイスが溶けたような笑顔で、曖昧な返事をする。
お母さんの作ってくれた弁当の風呂敷を開け、ご飯を口に運ぶ。
「私、H高校行こうと思ってるんだ。
今、将来とか、そういうのにも関係してくる時期でしょ?
私、勉強、中の下だからさ~。
夏休み、猛勉強しようかな、って思ってるんだ。」
思ってるだけで出来るか分からないけど、と彼女は苦笑気味に笑った。
「へー、咲(さき)は、もうそこまで考えてるんだ。
だよなー、私も勉強しなきゃなー。」
私の左斜め、咲の左側で机をくっつけていた詩織が、口を尖らせながら、愚痴を零すように言った。
何か、皆言っている事がパターン化している気がする。
なんだろう。
周りの子は、“将来”の事をしっかり考えているのに、私だけ何も考えてない。
首を動かさず、目だけ動かして辺りを見渡すと「勉強」「将来」「進路」など、聞き飽きた言葉を何度も耳が拾う。
顔は笑顔だが馬鹿みたいに笑ってないし、皆真剣なのだろう。
「私も、夏休みは勉強しなきゃな――」
私の作り笑顔と共に無意識に出た言葉は、夏の暑さに同化して溶けた。
*
蝉の鳴き声がうるさい。
私は、指でシャーペンを回しながら部屋の勉強机で項垂れる。
「はぁ…。」
勉強、ねぇ。
本屋に行けば、高校の受験勉強の本は沢山売ってる。
けどどれを見てもイマイチ実感がわかなくて、中をぱらぱらと見た後直ぐに本棚に戻してしまう。
けど、周りの見知らぬ子は皆真剣な表情で参考書を読んでいる。
私だけ――
私だけ、取り残されてる?
そう考えていると、焦る気持ちが溢れてきて何かをしなくてはと、机の棚に収まっている辞書を取りだす。
マーカーなど、何も引かれていない綺麗な辞書。
いかに自分が本気で勉強に取り組んでいないかが分かった。
バッ、と辞書の真ん中あたりを開いて、一ページずつページをめくってみる。
文字の羅列だけが目に飛び込んできて、ページをめくるごとに目眩を覚えるような錯覚に陥る。
…皆、こんな事、学校から帰ってから、深夜まで、ずっとやってるのかな?
そう思うと、今度を焦りを越えて哀しくなってくる。
「私だけ――」
私だけ。
出来ない。
皆が普通に出来ている事が。
私だけが出来ない。
そこまで思考が至った時には、頭を抱えて込んで、両耳を塞いでいた。
息が苦しい。
皆の声が、言葉が苦しい。
嘘をつくのが苦しい。
息を止めれば、楽になれるかな?
「……。」
頭が朦朧とする。
将来、未来、就職、進学。
今だけでもこんなに精一杯なのに。
これ以上、何を頑張ればいいと言うの?
毎日学校行って、授業受けて、他愛もない話を友達として。
そんな毎日を続けて行くうちに、毎日は同じことの繰り返し何だと、思うようになっていった。
毎日が同じ。
くるくる回る。
世界が、くるくる回る。
私は今、先の見えない急な坂道の前にいた。
「おはよー、うわぁ、未来、目の下のクマ凄いよ!?
大丈夫!?」
「おはよぅー…。
うん…ちょっと寝不足で。」
欠伸混じりにそう言うと、咲が参考書を読んでいるのが目についた。
参考書の隣には、ノートにびっしりと書かれた綺麗な文字。
いかに真剣に勉強に取り組んでいるかが分かった。
「そう言う咲は?
寝不足じゃない?」
「はは…私も寝不足。
未来も、夜遅くまで勉強?」
一瞬言葉に詰まる。
だが、私は嘘は顔に表さずに出来るタイプのようで「そうなんだよね。」とふにゃりとした笑顔を見せる事が出来た。
ズキリ、を胸が痛んだ。
この胸の痛みは何の痛みだろう?
嘘をついたことへの罪悪感?
それとも…、重く圧し掛かるプレッシャーに耐えきれなくなったのか。
ふと空を見上げる。
綺麗に晴れているのに私は濁って見えた。
どこまで転がればこの世界に色彩は戻るの?
誰か。
誰でもいい、私を転がして。
「―――」
呟かれたような声にならない言葉に意味を奏でて欲しい。
私にはもう、そんな力さえないから。
様子のおかしい私に気付いた咲が心配そうに顔を覗き込む。
「…未来、大丈夫?顔色悪いよ?」
「……大丈夫、なんでもないよ」
友達の言葉にも曖昧に笑って誤魔化すしかなかった。
『ローリン・ガールはいつまでも届かない夢見て』
今日もまた同じ毎日が始まる。
私はこの『同じ毎日』という籠から抜け出したい。
それは私が変わらない限り届かぬ夢。
変わる…。
変わるって、何?
そもそも、夢って何だっけ。
「―――」
「未来? 未来、大丈夫!?」
私も流石にボーッとしていたようで、詩織が私の肩を掴んで揺らす。
何だろう、ここにあるはずなのに朦朧とする意識。
「…大丈夫だよ。」
私、ちゃんと笑えていたかな。
詩織と咲は、心配そうに顔を見合すのだった。
*
「はぁ…」
自然と零れる溜息に、私は口を押さえた。
私は自室のベッドで大の字になって寝転がっていた。
あの後、私は咲と詩織に保健室に連れて行かれた。
保健室の先生が言うに、ちょっとした夏バテだと言う。
私の悩みとかごちゃごちゃした頭の中は、全て夏バテだったのか。
…その程度で済んでくれればいいのに。
「お前、夏バテ起こしたんだってなー。
大丈夫かよ?」
「煩いなぁ…。 と言うか、何であんたがここにいるの。」
「お前の部屋、風通りが良くて涼しいじゃん。
俺の部屋来てみ? サウナだから、マジで死ねるから。」
私の部屋の中心に置いてある丸テーブルに肘をつき、ゲームをしている男。
私の幼馴染である、明人(あきと)だ。
夏になると、よく部屋に来る。
アポも何もなしに。
正直言って、迷惑極まりない。
来る理由として、私の部屋は涼しいから、と言う事らしい。
学校から帰ったら、当たり前のように部屋にいた。
もはや、部屋を通した母親を恨むしかない。
ちなみに私より1個上なので勉強を教えて貰う事も可能である。
「で、いつまでお前寝てるの。
お前受験生だろ? 勉強しろよ。」
「…煩い。」
腕で目を覆うようにしながら、私は若干強く言う。
学校で疲れているのに、何で暇人の相手をしてなくちゃいけないんだ。
自然と苛々が積もる。