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いおの祝言

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 知り合いの医者が住む海辺の漁村へは、気の向くままに年に数回訪ねてゆくが、今回の訪問は異例だった。先方からわざわざ書状で招かれたのだ。
 春の終わり。岸の傍まで迫った山から、白い桜花がちらちらと海へ散るのを追うように、ギンコは山から村へ入った。
 表には「骨休め」の木札が下がっている。医者はまた倉にでも篭って珍奇な蒐集物を愛でているのだろうか。相変わらずだと苦笑を浮かべて、案内も請わずにそのまま庭へ回る。
「おう」
「よう」
 医者はたすきがけで表座敷にいた。昨日会ったばかりのような軽い挨拶を交わすと、ギンコは縁先に荷をおろした。
「どうした、ついに蒐集趣味に見切りをつけたか」
 勝手に煙草盆を引き寄せて一服つける。医者はまさか、と笑ってたすきがけのまま奥へ入ると、普段づかいの茶碗を二つ盆にのせて縁先へ出てきた。
 薄暗い奥は、得体の知れない品物で雑然としている。それをいちいち表に取り出し、塵を払って行李や櫃に片付けているところらしい。
「すまなかったな、呼びつけて」
 茶請けに添えられたうす緑は蕗の砂糖煮。むさくるしい男所帯に珍しい、と思ったのが伝わったか、たすきを解きながら医者は笑った。
「いおが持ってきた」
「そうか。元気か」
「ああ。呼んだのは、いおの事だ」
 友人に煙を吹きかけないよう余所を向きながら、ぽんと煙草の灰を落とす。
「いおと所帯を持ちたいと言ってきた男がいる」
「ほう。めでたいな」
 そう応えながら、ギンコにはまだ話の流れが見えない。身寄りのないいおの体調が整うまで面倒を見た成り行きで、医者がいおの後見のような立場になっているが、親代わりというにはいくらなんでも若すぎるし、仲人をしようにも友人は未婚である。
「それでいおが、診てほしいと言ってきた」
「……何か異状があるのか」
 医者は片眼鏡を外すと、はあ、と溜息のような息を吐きかけて塵を払った。
「いや。健康そのものだ。色もすっかり戻ったし、働き者のいい娘になった」
 表座敷からは海が見える。医者はかざした硝子を透かして沖を見る。
「……子を産んでもいいものかと訊かれた」
 それでようやく合点がいった。ギンコは煙草を深く吸いつけ、溜息を紛らすように煙を吐いた。
「化野先生の診立ては?」
「医者の領分では特段の異状はない。それだけでは安心できないから、ギンコを呼んでくれと頼まれた」
「俺は医者じゃない」
 狼狽するギンコをおもしろがるように、医者は狐目をにやりと細めた。
「……まあとにかく、診るだけは診てみろ。解らないなら解らないでいい」
 それでいおが安心するなら、とギンコは呑みこんだ。ひと片つまんだ蕗は、ほろりと舌に苦味を残した。


「ご無沙汰しています」
 濡れたように黒い束髪の額が畳に付きそうなほどかしこまった挨拶に、ギンコは苦笑を零した。
「おいおい、大袈裟な」
 畳にそろえた指先まで陽に灼けて真っ黒だ。深い山中で出会った、緑の髪の娘とは別人のように笑顔が眩しい。
 いおの隣に、同じように陽灼けした大柄な若者がかしこまっていた。
 緊張のせいか口数は少ないが、おどおどしたところはない。化野の話しぶりを聞いていても、しっかりした男なのだろうと思われる。ギンコの異相にもひるむことなく、まっすぐ眼を見てはにかむように微笑んだ。
「着いてはじめて化野に聞いた。めでたい話だな」
 前もってわかっていれば祝儀を持ってきたのに、と化野を軽く睨んだが、いおはほんの少し頬を緩めただけだった。
「大丈夫とわかるまでは……まだ決まったことじゃないから」
 男がいおの背にそっと手を添える。
「……俺は医者ではないんだがな」
「それでもいいの。診てほしい」
 思いつめた表情できものの襟を開こうとするいおを、ギンコは慌てて押しとどめた。
「だから医者ではないと言ってる。……まずは話を聞こう」
 かしこまる必要はないからと、男にも膝を崩させた。
「名残の花見もいいもんだ」
化野が気をきかせて酒肴を運び出した。縁先に近く、四人が並んだ。
「……何か気にかかるような兆しでもあったのか」
「特別なことは、なにも……でも私は、一度は人でなくなったものだから……」
 男が、またいおの背に触れる。
「ちょっと失礼」
 光を避けていおの茶がかった瞳を覗く。脈をとる。
「蟲の気配は感じないが。……血も見るか」
「お願い」
「それはまた後で。せっかくの酒だ、まず呑もう」
 いおを見初めた男の名は潮(うしお)といった。酒を水のようにさらりと飲んで乱れない。ただ、黒い瞳が眠そうに潤み、いおを見る表情が素面のときよりさらにやわらかくなったように思われた。


 焼いた刃で薄く耳朶を切り、血を一しずく。硝子板にのせて明るい窓際で顕微鏡を覗くギンコを、いおと潮は神妙に膝を揃えて見つめていた。
「……血も粘膜も、これといっておかしなところはないな」
 蟲師仕様の顕微鏡を覗きたくてうずうず落ち着かない医者に場所を譲りながら、ギンコは二人に笑みかけた。
「特に気になる変調でもないのなら、気にすることはない。蟲に付かれて、その後普通に生活している人はいくらもいる」
 潮は表情を緩めて、いおの背にそっと撫でるように触れた。いおは、まだ強張りのとれない表情のまま、自分の膝先の畳を見つめている。
「……何か気になることでもあるか」
「……特に具合が悪いとか、そういうことはないの。でも、なんだか不安で」
「なに、よくあることさ」
 接眼レンズから目を離し、片眼鏡を嵌め直しながら化野は笑った。
「嫁入り前とか、出産前とか、正体の知れないもやもやに悩まされる女は少なくないさ。……もしかして月のものの巡りが悪いか。心当たりは?」
 いおは俯いたままほのかに頬を染める。潮はぶるぶると頭を振った。
「化野」
 医者の無頓着な物言いを短くたしなめ、
「心当たりがあるならそう言うだろうさ。おまえはものの言い方が拙い」
「もってまわっても仕方がなかろう」
「単刀直入ばかりでは片付かんよ、人の心は」
 ギンコは二人に向き直る。
「ともかく、外から見て解る兆しはない。あの蟲の影響は、完全に抜けていると思っていいだろう。これがおれの意見だ」
「俺も同意だ。どうしてもと言うなら、気を鎮める薬湯でも出すが……」
 お願いします、と潮が言った。


 翌日、潮は一人で医者を訪れた。
朝の漁を終えた足でそのまま来たのだろう、髪からも肌からも強い潮の香が漂っていた。
 汚れを憚って畳に上がろうとしないので、縁先で話を聞いた。
「……夢を見ると言います」
 盥の中で、土産の魚がぱたっと跳ねた。
「ここへ辿りつく前の夢だそうです。あの大きな緑の、……蟲に取り込まれていたときのことを思い出すと、言います」
「ほう」
 ギンコは無言で煙草の灰を落とす。
「……夢の中では、蟲と一緒に海に溶けてしまうのだと言います」
 胡坐に頬杖の化野が、ちらりと片目だけでギンコの表情を伺う。
「そんな夢は見たくない、眠るのが怖いと言っています。薬湯のおかげか、このところはよく眠れているようですが……」
 む、と化野が顔を上げる。
「いおと一緒に住んでるのか」
 人さまに言えないようなことはありません、と潮はやや固い声で答えた。
作品名:いおの祝言 作家名:みもり