言えない。
ある晴れた日の午後、女王候補アンジェリークはふわふわの金の髪を揺らしながら、最近恋仲となったばかりの地の守護聖、ルヴァを探していた。
執務室はもぬけの殻、一体彼はどこへ行ったのか……と思った矢先、遠目に聖殿の中庭でお茶会が開かれているのを見かけた。
その面子の中に見慣れたターバンが見え隠れしているのを確認し、アンジェリークはそちらへと足を向けた。
「こんにちはー。お茶会ですか?」
にこにこと屈託のない笑顔で挨拶をすると、その場にいた守護聖たち──ルヴァの他にはリュミエール、オリヴィエ、オスカーがそれぞれ微笑んだ。
ルヴァは丁度ティーポットにお湯を注ぎ入れているところで、アンジェリークと目が合うと僅かに眉を上げてからにっこりと笑みを浮かべた。
「よう、お嬢ちゃん。もしかして俺を探して来たのかな」
オスカーのいつも通りの様式美とすら言える言葉とウインクも、今のアンジェリークには通じない。
「あ、いえ。ルヴァ様を探してたんです。ちょっとお聞きしたいことがあったので……」
サラリとかわされて若干しょげるオスカーの背を、オリヴィエが慰めるようにポンと叩いた。
ふいに自分の名を呼ばれて、お茶を淹れる手を止め顔を上げるルヴァ。
「あー、アンジェ。私に聞きたいこと、ですか。どのようなことですかー」
待ってましたといわんばかりにアンジェリークの翠の瞳が輝く。この表情はとても愛らしいものだと守護聖たちの目尻が下がる。
「えっと、わたし昨日、公園で綺麗なお花を見つけたんです。青くて、ちっちゃくて、それが片隅にぶわーっと咲いてたんです」
花の名前のことか、とルヴァはすぐに理解した。勿論その花は良く知っている。
「ああ、それはオオイヌノフグリという花ですねー。小さいけれどとても綺麗な花ですよね」
うんうん、と一人納得するように頷くルヴァに、アンジェリークが首を振る。
「そう、そうなんです。そこまではわたしも知ってるんですけど……あの、フグリって、なんですか」
辺りを静寂が包んだ。場が凍りつくとはまさにこのことだ。炎の守護聖は口の端が歪んでいるのを隠そうともしていない。
(……知っているなら言って下さるとありがたいんですけどねー……はぁ)
途端にルヴァの視線が宙を彷徨いだす。言いづらい。とても言いづらい。たった四文字なのに言いづらい。
「あー、ええと。……犬のね、陰嚢のことです」
ここまではなんとか平常心で言えた、と胸を撫で下ろした。だが次の瞬間、更に追い討ちをかけるようなアンジェリークの言葉に打ちのめされる。
「ルヴァ様、いんのう……って何ですか」
堪え切れなかったらしいオスカーが、ここへきてとうとうぶはっと吹き出した。
「なんだお嬢ちゃん、新手の言葉責めか。見かけによらず随分とサディストだな」
「ルヴァ様を責めてなんかいませんよー、人聞きの悪いこと言わないで下さい。でも誰に訊いても答えて下さらないし……」
ぷんすかと頬を膨らませるも、答えが若干ズレている。しかも他にも質問された守護聖がいるらしい。それを聞いて今度はオリヴィエが肩を震わせた。
「それはそうだろうね……ちなみに誰に聞いたのさ」
至極普通に聞こえるようにオリヴィエが問いかける。
「えっと……最初はクラヴィス様と公園でお散歩してて見つけたんで、クラヴィス様に訊いたんです」
アンジェリークの口から出た闇の守護聖の名前に、リュミエールとルヴァがついと顔を上げた。
「そしたら、急に眉間の皺がきゅってなって、口元を押さえて『ルヴァに訊くといい』って仰って……」
「……」
二人は気付いた。クラヴィスが咄嗟に笑いを堪えたのだということに。
「それは……あの方は口数こそ少ないですが、ルヴァ様を頼りにしていらっしゃいますからね」
リュミエールのそんなフォローに、頼りと言えば聞こえはいいが要は丸投げだよな、とオスカーは内心思う。口には出さないが。
「次にランディ様とマルセル様にお会いしたんで、訊いてみたんですけど……マルセル様が凄く困ったような顔をなさって、結局わからずじまいでした」
緑の守護聖も答えを知っていたがやはり逃げたようだ。ランディは純粋に分からなかったのだろうとルヴァは推察した。
「ジュリアス様とゼフェル様はいらっしゃらなかったんで、まだ聞けていません。だから、頼みの綱のルヴァ様に訊いてみようと思って」
もう他に頼れるひとがいません、と涙目で言われてはかなわない。
だが陰嚢を更に分かりやすく言うとすると、この場にはおよそ不釣り合いな下品さを伴うことだろう。
オスカーとオリヴィエのからかうような視線が突き刺さる。リュミエールは目を伏せてしまったが「ご愁傷様です」と幻聴が聞こえてくるようだ。
「うーん……それはですね、アンジェ。あのー……」
ルヴァは愛しい恋人のためと勇気を振り絞って口を開いてみるものの、どうしても気恥ずかしくて言えない。
ぱくぱくと言いかけてはやめるのを数回繰り返して、長く息を吐いた。その顔はついに耳まで朱に染まってしまっていた。
「……執務室の書架に図鑑がありますから、そちらでお教えします。では皆さん、ちょっと失礼しますねー」
ティーセットをそのままに、ルヴァは足早にその場を後にした。アンジェリークがぺこりとお辞儀をし、慌ててルヴァの後を追う。
残された三人の守護聖は、二人の姿が見えなくなった頃に一斉に吹き出した。
オリヴィエがカップに残っていた紅茶を飲み干して話し始める。
「オスカーの言う通り、あれは新手の言葉責めだわー。公開処刑もいいとこ。ね、リュミちゃん」
「そうですね……少し不憫に思いますが面白いものを拝見いたしました」
そう言って片付けをしながらにこりと微笑むリュミエール。──またしても場が凍りついた。
執務室はもぬけの殻、一体彼はどこへ行ったのか……と思った矢先、遠目に聖殿の中庭でお茶会が開かれているのを見かけた。
その面子の中に見慣れたターバンが見え隠れしているのを確認し、アンジェリークはそちらへと足を向けた。
「こんにちはー。お茶会ですか?」
にこにこと屈託のない笑顔で挨拶をすると、その場にいた守護聖たち──ルヴァの他にはリュミエール、オリヴィエ、オスカーがそれぞれ微笑んだ。
ルヴァは丁度ティーポットにお湯を注ぎ入れているところで、アンジェリークと目が合うと僅かに眉を上げてからにっこりと笑みを浮かべた。
「よう、お嬢ちゃん。もしかして俺を探して来たのかな」
オスカーのいつも通りの様式美とすら言える言葉とウインクも、今のアンジェリークには通じない。
「あ、いえ。ルヴァ様を探してたんです。ちょっとお聞きしたいことがあったので……」
サラリとかわされて若干しょげるオスカーの背を、オリヴィエが慰めるようにポンと叩いた。
ふいに自分の名を呼ばれて、お茶を淹れる手を止め顔を上げるルヴァ。
「あー、アンジェ。私に聞きたいこと、ですか。どのようなことですかー」
待ってましたといわんばかりにアンジェリークの翠の瞳が輝く。この表情はとても愛らしいものだと守護聖たちの目尻が下がる。
「えっと、わたし昨日、公園で綺麗なお花を見つけたんです。青くて、ちっちゃくて、それが片隅にぶわーっと咲いてたんです」
花の名前のことか、とルヴァはすぐに理解した。勿論その花は良く知っている。
「ああ、それはオオイヌノフグリという花ですねー。小さいけれどとても綺麗な花ですよね」
うんうん、と一人納得するように頷くルヴァに、アンジェリークが首を振る。
「そう、そうなんです。そこまではわたしも知ってるんですけど……あの、フグリって、なんですか」
辺りを静寂が包んだ。場が凍りつくとはまさにこのことだ。炎の守護聖は口の端が歪んでいるのを隠そうともしていない。
(……知っているなら言って下さるとありがたいんですけどねー……はぁ)
途端にルヴァの視線が宙を彷徨いだす。言いづらい。とても言いづらい。たった四文字なのに言いづらい。
「あー、ええと。……犬のね、陰嚢のことです」
ここまではなんとか平常心で言えた、と胸を撫で下ろした。だが次の瞬間、更に追い討ちをかけるようなアンジェリークの言葉に打ちのめされる。
「ルヴァ様、いんのう……って何ですか」
堪え切れなかったらしいオスカーが、ここへきてとうとうぶはっと吹き出した。
「なんだお嬢ちゃん、新手の言葉責めか。見かけによらず随分とサディストだな」
「ルヴァ様を責めてなんかいませんよー、人聞きの悪いこと言わないで下さい。でも誰に訊いても答えて下さらないし……」
ぷんすかと頬を膨らませるも、答えが若干ズレている。しかも他にも質問された守護聖がいるらしい。それを聞いて今度はオリヴィエが肩を震わせた。
「それはそうだろうね……ちなみに誰に聞いたのさ」
至極普通に聞こえるようにオリヴィエが問いかける。
「えっと……最初はクラヴィス様と公園でお散歩してて見つけたんで、クラヴィス様に訊いたんです」
アンジェリークの口から出た闇の守護聖の名前に、リュミエールとルヴァがついと顔を上げた。
「そしたら、急に眉間の皺がきゅってなって、口元を押さえて『ルヴァに訊くといい』って仰って……」
「……」
二人は気付いた。クラヴィスが咄嗟に笑いを堪えたのだということに。
「それは……あの方は口数こそ少ないですが、ルヴァ様を頼りにしていらっしゃいますからね」
リュミエールのそんなフォローに、頼りと言えば聞こえはいいが要は丸投げだよな、とオスカーは内心思う。口には出さないが。
「次にランディ様とマルセル様にお会いしたんで、訊いてみたんですけど……マルセル様が凄く困ったような顔をなさって、結局わからずじまいでした」
緑の守護聖も答えを知っていたがやはり逃げたようだ。ランディは純粋に分からなかったのだろうとルヴァは推察した。
「ジュリアス様とゼフェル様はいらっしゃらなかったんで、まだ聞けていません。だから、頼みの綱のルヴァ様に訊いてみようと思って」
もう他に頼れるひとがいません、と涙目で言われてはかなわない。
だが陰嚢を更に分かりやすく言うとすると、この場にはおよそ不釣り合いな下品さを伴うことだろう。
オスカーとオリヴィエのからかうような視線が突き刺さる。リュミエールは目を伏せてしまったが「ご愁傷様です」と幻聴が聞こえてくるようだ。
「うーん……それはですね、アンジェ。あのー……」
ルヴァは愛しい恋人のためと勇気を振り絞って口を開いてみるものの、どうしても気恥ずかしくて言えない。
ぱくぱくと言いかけてはやめるのを数回繰り返して、長く息を吐いた。その顔はついに耳まで朱に染まってしまっていた。
「……執務室の書架に図鑑がありますから、そちらでお教えします。では皆さん、ちょっと失礼しますねー」
ティーセットをそのままに、ルヴァは足早にその場を後にした。アンジェリークがぺこりとお辞儀をし、慌ててルヴァの後を追う。
残された三人の守護聖は、二人の姿が見えなくなった頃に一斉に吹き出した。
オリヴィエがカップに残っていた紅茶を飲み干して話し始める。
「オスカーの言う通り、あれは新手の言葉責めだわー。公開処刑もいいとこ。ね、リュミちゃん」
「そうですね……少し不憫に思いますが面白いものを拝見いたしました」
そう言って片付けをしながらにこりと微笑むリュミエール。──またしても場が凍りついた。