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「まったく…どうしてあんな無理を」

地下監獄は暗く、陰鬱で、死の臭いが鼻をつく。
そんなところへ、うまそうな生気をぷんぷんと撒き散らす生きた人間が飛び込めば、
たちまちのうちに凶暴な食欲の死者に囲まれてしまうであろうことは、火を見るより明らかだった。
「自分の打たれ弱さは自分で一番わかっているだろう?僕だったら、いくらかでも凌げたのに…」
冷たい石畳の上にぐったりと仰向けに寝転がる、暗い蜂蜜色の髪をしたアサシンは、
傷が障るのかうなずけもせず、まばたきをひとつした。





突然のMHだった。
あっという間に取り込まれ、瞬きをする間も無く乱闘が始まった。
とっさには数え切れないほどの数のモンスターにカタールはすぐに血糊で鈍る。
もともと狩場のレベルもぎりぎりで、状況は劣勢だった。
それでも、背中から絶え間なく降るプリーストからの支援が、両手を怯むことなく力強く振るわせた。
「(大損害だ。)」
きっとこの乱闘が終わるころには、
お互い今日篭もる予定だった3時間分の蓄えを消費し尽くしてしまっているだろう。
まだろくすっぽ稼いでもいないのに、今日は運が悪かった。
「(それに しても)」
今ようやく3体を切り伏せたところだが、ざっともう6、7体は居るのではないか。
仄暗い闇の奥にはもっと潜んでいるかもしれない。
そもそも自分は対複数には向いていないし、殲滅力も高くはない。
危険な状態に陥る前に、ある程度いなしてから逃げたほうが得策かもしれない。
しかし。
「(きりがない。)」
逃げようにも、MHの切れ目が見出せない。
蟻の巣をつついたように、わらわらとどこかから死者が湧いてきた。
切って避けてをさんざ繰り返し、死者どもの肉と血の腐ったむっとするにおいにやられ、
頭がぼうっとしてきた時だった。

「う、ぐっ」
小さいが張り詰めた声が、乱闘の喧騒をぬって鼓膜を掠め、ぼやけた頭に平手打ちを食らわす。
はっと声の上がった方を見やると、背後に庇っていた筈のプリーストの、場違いなほどきれいな髪が、
何体もの化物の固まりのど真ん中にちらりと見えた。
いったい、いつ、どうして、慌てふためき混乱する思考をかなぐり捨てて、その群れに体当たりをかます。
しかし、素早さを重視した軽い身体で何をしようと我先にと飢えた亡者を散らすことはできるはずもなかった。
一体ずつちんたらと切り結んでいたら、終わるころにはプリーストはすっかり死者の腹の中に収まっているだろう。
「ちくしょう!」
カタールも外さずに、アサシンは乱暴に懐をまさぐった。
脇腹に刃が滑り、そこからじわりと鮮血がにじんだが眉をひとつ顰めただけだった。
指先にあたる硬い感触に、アサシンはほっとする。
「(しぬかもしれない)」
知り合いから貰ったものだが、自分にはまだ過ぎたものだった。
しかし、これならばあるいは、プリーストが食われる前に化物どもを蹴散らせる。
取り出した瓶は、血のように赤黒く、禍々しい髑髏が彫りこまれている。
十分に訓練されていない者は途端にコロリと逝ってしまう程の毒薬だ。
「(だけどあのひとがしぬよりかよっぽどいい。)」
迷っている暇はこれっぽっちもなかった。

「ぐっ、…!」
瓶に口をつけた瞬間走る凄まじい激痛。食道が戦慄くのがわかった。
そんなことはお構いなく、ごくりと一息で流し込む。
「うう、う!」
雷を飲み込んだようだった。毒が容赦なく体内を荒らしまわっている。
目の前がちかちかと真っ白にとび、あまりの痛みに痛みがどんなものかもわからなくなる。
見よう見まねでアサシンになった自分が、訓練なんて受けているはずもなく、
この凄まじい毒薬をどう耐えればいいのか皆目見当もつかない。
「(たえろ、あとでしんでもいいから。)」
しかし抵抗むなしく、思わず意識がふっと飛びそうになる。
眼球が真上を向く、その瞬間、

ガツン!

脳天に目の覚めるような衝撃が走った。
はっとすると、今にももう一撃くらわそうとする死者が鈍器を振りかざして目の前に居た。
「(もちこたえた)」
それが逆に幸いした。
視界は鮮明で、痛みもまるでない。意識は冴え渡っている。
目を覚ましてくれた化物に、お礼代わりの鋭い一撃を放つ。
びゅっと、刃が風を切る音がいつもと明らかに違った。腕がもげそうなほど速い。
しっかり腕に力をいれないと、関節をもっていかれそうだ。
返す刀で左の一撃を食らわせると、きれいに胴体が真っ二つになった。
「(いける。これなら。)」
息を大きく吸い込み、止める。
群れは8体。
短く息を吐き出すと、風のように速くカタールが空を切った。




作品名:EDP 作家名:鹿子