Green Hills 第1幕
Green Hills 第1幕
*** Prologue ***
――セイバー、剣を借りてもいいか?
彼は言った。
まるで、お茶でも飲もう、とでも言うように、とても自然に、とても普通に。
琥珀色の瞳は、どこまでも澄みわたっていて、まるで驟雨の後の青空のようだった。
苦しい息のもと、彼は笑って、少し困ったように眉を下げ“願ってしまったんだ”と告白した。
まさか、と、信じ難い、と、焦燥が湧いた。
「俺、あいつに教えてやりたいんだ、正義の味方になった、って。あんたとは違う道を全うした、ってさ……」
「シロウ……」
彼の言う“あいつ”とは、あの赤い弓兵のことだ。
彼の理想だった、自分自身。エミヤシロウのなれの果て。エミヤシロウの未来の一つの可能性。
「後悔、しなかったって、伝えたい……」
そう言って少年のように笑う。
(嗚呼、私はあなたの剣だ……)
彼の剣であり盾であると誓った日は、ずいぶんと遠い昔のように思える。今ここにはいない主である凛に、彼を守ってほしいと頼まれ、彼とともに私は駆けてきた。
(だというのに、どうして……)
とうに失った生を彼の剣として、などと誓いを立てたとて、私にはその命が尽きようとするのを止める術がない。
戦い続けた彼の剣として、その最後の願い、聞き入れたいと思う。
思うが、私は聖杯というものの真実を知っている。願望機などではない、あの、禍々しいものを。
そして、彼も知っているはずだ。あの聖杯が、願いを叶えるものでなど、ないことを。
「セイバー……、俺は伝えたいだけだ。聖杯に願おうなんて、思っていない。あいつに、ただ、伝え……たい……」
息が続かなくなってきたのか、声が掠れている。それでも私の思ったことを知っているかのように彼は否定する。
「シロウ、私は……、反対です。サーヴァントになるなど、馬鹿げている。あなたもよく知っているでしょう? サーヴァントが、どれほどに悲しい存在かを……」
ん、と顎を引いて頷く彼は、柔らかい笑みを浮かべたまま。
「シロウ……」
彼は決めたのだとわかっている。もうその決心は、揺らぐことはない。
私はそれをずっと見てきた。彼の生き方を、ずっと……。
「シロウ……、一度、だけです」
彼の想いを知るからこそ、頷かずにはいられない私自身に憤る。
彼の――衛宮士郎の手を取り、私は真っ直ぐにその琥珀を見つめた。
「私の……剣を……、一度の召喚にだけ、貸します。その一度きりで、きっと、アーチャーに伝えてください!」
ありがとう、とシロウは笑った。その笑顔は温かく、優しい。
シロウの手に私の剣を握らせ、その上から両手で包んだ。血に濡れた手はもう、柄を握ることができない。
その身に埋めこまれた私の鞘とこの剣によって、シロウはおそらくセイバーのサーヴァントとなるだろう。
瓦礫にもたれたままで、細くなっていく呼吸に、もう時間がないとわかる。シロウ、と呼ぶと落ちそうな瞼を上げようとしてくれる。
「シロウ! 勝ってください! 勝って……、そして、二度とサーヴァントに、ならないでください!」
小さく頷くシロウは、ゆっくりと目を閉じる。
叶わないとわかっていても、そう言わずにはいられなかった。
サーヴァントになど、シロウにはなってほしくない。
けれど、一度サーヴァントとして登録されてしまった魂は、二度三度と召喚される可能性がある。この先に続くシロウの魂の行く末を、私は嘆かずにはいられない。
だから私は二度となるな、と告げた。わかっていても、そう言った。
そして、シロウも頷いた。わかっていて、全てをわかっていて彼も……。
安心したような笑顔で、シロウは眠るように息を引きとった。
「シロウ……」
涙があふれた。
埃にまみれた風の中、シロウの温もりが消えていくまで、その手を握っていた。
遠く、青いであろう空を見上げ、涙を堪えることもなく、私は大切な人を喪ったことを、ただただ思い知るだけだった。
こうして私の守るべき人は永遠に続く道へと旅立ったのだ……。
*** 夜がはじまる ***
月の輝く夜。
青白い発光とともに現れた青年。
青藍の衣に細身の身体は包まれ、鈍く光る銀の鎧が胸にある。
その色合いは、青年にしっくりと合っていた。
アーモンド形の目をやや細めたのは、微笑みを浮かべたからのようだ。
「ぇ……、あ……っ……」
少年は尻餅をついた状態で、突如として現れた青年をただ見上げ、言葉すら浮かばない。
「問おう……、君が、私のマスターか」
青年は記憶にある、最初の言葉を口にする。
土蔵の暗がりで、驚愕に見開かれる琥珀色。少年は答える術もなく、ただ喘ぐように呼吸を繰り返しているだけ。
(ああ、懐かしいな……)
やや感慨に耽った自身を笑い、青年は土蔵の戸口に立つ青い騎士に目を向け、左手で目元を覆う。“トレースオン”唇がそう動いたように少年には見えた。
す、と青年が手を下ろすと、そこには銀の額当がある。冑のように頭部全てを覆うわけではなく、前頭部から鼻頭までを覆うだけの物だ。
「てめぇは……」
赤い槍を構えたまま呟くサーヴァント・ランサーは、不可解さに、内心、首を捻っていた。
殺気というものが感じられないのだ。ランサーは警戒しながら様子を窺う。
突如として現れた青年がサーヴァントだとわかっている。追っていた少年が召喚を果たした瞬間に居合わせたのだ、間違いない。
通常、サーヴァント同士が鉢合わせれば、即、戦いになるはずなのだが、その青年はマスターである少年を追い詰めたランサーに目を向けただけ。ただそちらを見た、というそれだけだった。
「どういう――」
状況が飲み込めず、ランサーが問いかけようとした瞬間、とん、と床を蹴って、一瞬で青年はランサーの懐に飛び込んできた。
気を緩めかけていたランサーは土蔵の戸口から跳び退って外へ出る。
間合いを取りながら、ランサーはまたしても疑問を浮かべる。襲いかかってきた青年は武器を持っていないのだ。
丸腰なのか? とランサーは青年の手元に目を向けるが、いや、と口を引き結んだ。
何かを持っている。
目には見えない得物がある、とわかった。
青年の手には、何かが握られている。
そうとわかれば打ち合えばいい、とランサーはすぐに体勢を整え、攻撃に転ずる。
打ち合うこと数合。
初見は相打ちで逃れろ、と命を受けているランサーだが、退く隙がない。埒があかない、とランサーは宝具で決着をつけることにした。
ランサーの構える赤い槍。一度あれに貫かれた、と青年は思わず胸に手を当てる。
記憶にある一撃必殺の槍を前に、どうするか、と青年は迷った。構えていた剣をやや下げる。
「試しておく必要は、ある……」
呟いて青年は剣を構え直す。ランサーの宝具を受けて立つことにした。
彼は自身の持つ、絶大な力を秘めた剣を疑うわけではないが、自分ごときが扱える代物なのか、はたして全開の威力を引き出せるのかが半信半疑だった。何しろその手に持つ剣は借り物なのだ。
「耐えろよ、俺」
呟いて剣の魔力を感じ、呼吸を整える。
*** Prologue ***
――セイバー、剣を借りてもいいか?
彼は言った。
まるで、お茶でも飲もう、とでも言うように、とても自然に、とても普通に。
琥珀色の瞳は、どこまでも澄みわたっていて、まるで驟雨の後の青空のようだった。
苦しい息のもと、彼は笑って、少し困ったように眉を下げ“願ってしまったんだ”と告白した。
まさか、と、信じ難い、と、焦燥が湧いた。
「俺、あいつに教えてやりたいんだ、正義の味方になった、って。あんたとは違う道を全うした、ってさ……」
「シロウ……」
彼の言う“あいつ”とは、あの赤い弓兵のことだ。
彼の理想だった、自分自身。エミヤシロウのなれの果て。エミヤシロウの未来の一つの可能性。
「後悔、しなかったって、伝えたい……」
そう言って少年のように笑う。
(嗚呼、私はあなたの剣だ……)
彼の剣であり盾であると誓った日は、ずいぶんと遠い昔のように思える。今ここにはいない主である凛に、彼を守ってほしいと頼まれ、彼とともに私は駆けてきた。
(だというのに、どうして……)
とうに失った生を彼の剣として、などと誓いを立てたとて、私にはその命が尽きようとするのを止める術がない。
戦い続けた彼の剣として、その最後の願い、聞き入れたいと思う。
思うが、私は聖杯というものの真実を知っている。願望機などではない、あの、禍々しいものを。
そして、彼も知っているはずだ。あの聖杯が、願いを叶えるものでなど、ないことを。
「セイバー……、俺は伝えたいだけだ。聖杯に願おうなんて、思っていない。あいつに、ただ、伝え……たい……」
息が続かなくなってきたのか、声が掠れている。それでも私の思ったことを知っているかのように彼は否定する。
「シロウ、私は……、反対です。サーヴァントになるなど、馬鹿げている。あなたもよく知っているでしょう? サーヴァントが、どれほどに悲しい存在かを……」
ん、と顎を引いて頷く彼は、柔らかい笑みを浮かべたまま。
「シロウ……」
彼は決めたのだとわかっている。もうその決心は、揺らぐことはない。
私はそれをずっと見てきた。彼の生き方を、ずっと……。
「シロウ……、一度、だけです」
彼の想いを知るからこそ、頷かずにはいられない私自身に憤る。
彼の――衛宮士郎の手を取り、私は真っ直ぐにその琥珀を見つめた。
「私の……剣を……、一度の召喚にだけ、貸します。その一度きりで、きっと、アーチャーに伝えてください!」
ありがとう、とシロウは笑った。その笑顔は温かく、優しい。
シロウの手に私の剣を握らせ、その上から両手で包んだ。血に濡れた手はもう、柄を握ることができない。
その身に埋めこまれた私の鞘とこの剣によって、シロウはおそらくセイバーのサーヴァントとなるだろう。
瓦礫にもたれたままで、細くなっていく呼吸に、もう時間がないとわかる。シロウ、と呼ぶと落ちそうな瞼を上げようとしてくれる。
「シロウ! 勝ってください! 勝って……、そして、二度とサーヴァントに、ならないでください!」
小さく頷くシロウは、ゆっくりと目を閉じる。
叶わないとわかっていても、そう言わずにはいられなかった。
サーヴァントになど、シロウにはなってほしくない。
けれど、一度サーヴァントとして登録されてしまった魂は、二度三度と召喚される可能性がある。この先に続くシロウの魂の行く末を、私は嘆かずにはいられない。
だから私は二度となるな、と告げた。わかっていても、そう言った。
そして、シロウも頷いた。わかっていて、全てをわかっていて彼も……。
安心したような笑顔で、シロウは眠るように息を引きとった。
「シロウ……」
涙があふれた。
埃にまみれた風の中、シロウの温もりが消えていくまで、その手を握っていた。
遠く、青いであろう空を見上げ、涙を堪えることもなく、私は大切な人を喪ったことを、ただただ思い知るだけだった。
こうして私の守るべき人は永遠に続く道へと旅立ったのだ……。
*** 夜がはじまる ***
月の輝く夜。
青白い発光とともに現れた青年。
青藍の衣に細身の身体は包まれ、鈍く光る銀の鎧が胸にある。
その色合いは、青年にしっくりと合っていた。
アーモンド形の目をやや細めたのは、微笑みを浮かべたからのようだ。
「ぇ……、あ……っ……」
少年は尻餅をついた状態で、突如として現れた青年をただ見上げ、言葉すら浮かばない。
「問おう……、君が、私のマスターか」
青年は記憶にある、最初の言葉を口にする。
土蔵の暗がりで、驚愕に見開かれる琥珀色。少年は答える術もなく、ただ喘ぐように呼吸を繰り返しているだけ。
(ああ、懐かしいな……)
やや感慨に耽った自身を笑い、青年は土蔵の戸口に立つ青い騎士に目を向け、左手で目元を覆う。“トレースオン”唇がそう動いたように少年には見えた。
す、と青年が手を下ろすと、そこには銀の額当がある。冑のように頭部全てを覆うわけではなく、前頭部から鼻頭までを覆うだけの物だ。
「てめぇは……」
赤い槍を構えたまま呟くサーヴァント・ランサーは、不可解さに、内心、首を捻っていた。
殺気というものが感じられないのだ。ランサーは警戒しながら様子を窺う。
突如として現れた青年がサーヴァントだとわかっている。追っていた少年が召喚を果たした瞬間に居合わせたのだ、間違いない。
通常、サーヴァント同士が鉢合わせれば、即、戦いになるはずなのだが、その青年はマスターである少年を追い詰めたランサーに目を向けただけ。ただそちらを見た、というそれだけだった。
「どういう――」
状況が飲み込めず、ランサーが問いかけようとした瞬間、とん、と床を蹴って、一瞬で青年はランサーの懐に飛び込んできた。
気を緩めかけていたランサーは土蔵の戸口から跳び退って外へ出る。
間合いを取りながら、ランサーはまたしても疑問を浮かべる。襲いかかってきた青年は武器を持っていないのだ。
丸腰なのか? とランサーは青年の手元に目を向けるが、いや、と口を引き結んだ。
何かを持っている。
目には見えない得物がある、とわかった。
青年の手には、何かが握られている。
そうとわかれば打ち合えばいい、とランサーはすぐに体勢を整え、攻撃に転ずる。
打ち合うこと数合。
初見は相打ちで逃れろ、と命を受けているランサーだが、退く隙がない。埒があかない、とランサーは宝具で決着をつけることにした。
ランサーの構える赤い槍。一度あれに貫かれた、と青年は思わず胸に手を当てる。
記憶にある一撃必殺の槍を前に、どうするか、と青年は迷った。構えていた剣をやや下げる。
「試しておく必要は、ある……」
呟いて青年は剣を構え直す。ランサーの宝具を受けて立つことにした。
彼は自身の持つ、絶大な力を秘めた剣を疑うわけではないが、自分ごときが扱える代物なのか、はたして全開の威力を引き出せるのかが半信半疑だった。何しろその手に持つ剣は借り物なのだ。
「耐えろよ、俺」
呟いて剣の魔力を感じ、呼吸を整える。
作品名:Green Hills 第1幕 作家名:さやけ