敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
練炭心中
「〈ヤマト〉はどうした! 冥王星に向けてワープはしたんだろう。まだ星を撃たんのか!」
卓を叩いて叫んでいる者がいる。地球防衛軍司令部。地下都市よりもさらに地下深くにあるその中枢の会議室だ。ここには電気も空気もあった。内戦の火も入り込んではいない。
けれども、別の種類の〈火〉が燃えている。怒号の飛び交う会議室で、藤堂はひとり黙り込んでいた。これでは、と思う。もし仮にここで〈ヤマト〉が勝ったとしても、もう人は……。
「なぜはっきり〈ヤマト〉に命令しなかったのだ! 『何がなんでも波動砲で冥王星を撃て』と命じるべきだったのだ! そうでなく市民に発表などという形を取るからこんなことになってしまった!」
男は叫ぶ。徹底抗戦派の幕僚だ。それに対して応える者が、
「やめろ! 今更言ってどうする! そんな命令したところでどうせ沖田は聞かなかったと何度言えばわかるのだ!」
「何を! そもそも沖田を艦長にするのをわたしは反対していたのだ! わたしが言う通りにちゃんと冥王星を撃つ男を艦長にしてさえいたら!」
「だからそういう問題じゃなくて……」
「ならどういう問題なのだ! そんなにこの地球より冥王星が大切なのか!」
「だからそういう話じゃないと言ってるだろうが。冷静になれ! 沖田の考えがわからんのか!」
「何が『沖田の考え』だ! 敵は逃げてくれたのだぞ! 今こそ波動砲を撃つチャンスだろうが!」
「だからそれはだな……」
「ああうるさい! 貴様の言うことなど聞く耳持たんわ!」
「何を! だいたい、ここでいがみ合ったところで何がどうなると思っているのだ!」
「うぬう……」
と、ギリギリ歯を食いしばる徹底抗戦派の幕僚。しかし、まったく、これは相手の言葉の方が正しかった。会議は不毛極まりない。宇宙のことでここで何を言おうとも、〈ヤマト〉に伝わることはなく事態は何も変わらないのだ。
しかし十秒も置かずにこの男はまた吠えるだろう。波動砲で冥王星を撃ちさえすればこの戦争はすべてカタがつくものと信じてそこから先を決して考えはしないのだから。ここで怒鳴れば信念が星でも砕くとたぶん思っているのだろうから。この幕僚が卓を叩いて叫ぶたびに、まわりで『ウムウムそうだそうだ』と頷く愚かな取り巻きがいて、〈ヤマト〉がいま宇宙で玉砕してくれるのを望んでいる。
〈ヤマト〉が宇宙に散る光がキラリと画(え)に見えたとき、この者達は泣くだろう。さらば宇宙戦艦〈ヤマト〉、愛の戦士達よ。我々は君達の死を忘れずに、靖国神社に軍神として永遠(とわ)に祀(まつ)ることであろう、と……。
『それじゃダメだ、地球は救われないのだ』と言っても聞きはしないのだから。沖田が何をやる気だろうと、自分達には結果を待つ他、何もできることはない。いま我々がやるべきなのは、今日という日に人類を生き延びさせることなのに……。
マルチスクリーンに街のようすが映っている。あちらこちらでまだ火が燃えている。全市が停電しているために、見える明かりは炎だけだ。だが……と思う。
「火が火として見えてるうちはまだいいのです」情報局の分析官が説明する。「完全燃焼している――つまり酸素が二酸化炭素に変わっているということですから。ですが次第にくすぶった不完全燃焼ばかりになっていくでしょう。そのとき出るのは一酸化炭素。地下都市全体にそれが充満するとなれば……」
藤堂は言った。「全市民が揃って〈練炭心中〉か。あとどのくらいでそうなるのかね」
「今日のうち、としか言えません。早ければほんの数時間のうちに……」
そうだ。今日、この日のうちに、この地下東京の誰もが死ぬのだ。空気が吸えずに窒息死するのが先か、一酸化炭素その他の有毒ガスにやられて死ぬのが先か、ふたつにひとつ。
「他の街との連絡は」
「途絶えたままです」
たとえこの街が全滅しても、他の地下都市で人が生き続けるならば――そうだ。いくらなんでも今日、全世界の全地下都市で全市民が死ぬということはあるまいと藤堂は思った。人は火星や、木星の衛星にもいるのだし……。
だがこのままでは今日中に現在十億の人類のうち、数千万……ことによると一、二億もが死ぬことになるのは疑いない。そしてもう、その後は――。
「わからんのか! こうなったら、もう〈ヤマト〉が波動砲を撃ったところでなんにもならんのだ!」
「そんなことはない! そんなことがあるわけがない!」
会議室内は掴み合いが起こらんばかりになっている。愚かな政治家や役人が怒鳴り合うさまを、藤堂は苦々しい思いで眺めた。この期に及んで、なんと見苦しい光景なのか。このバカどもが責任をなすり付け合ってそれで何がどうなると言うのか。
「今は空気の循環を復帰させるのを第一に考えなければならないのがわからんのか!」
「だからそれも〈ヤマト〉が波動砲を撃てば元に戻ると言っとるだろうが!」
「なんでそうなる! 波動砲と地下の空気に一体なんの関係があるんだ」
「黙れ! 黙れ! そもそもサーシャが〈コア〉を一個しかくれなかったのが悪いのだ!」
「ハア? なんだ? そんな話を今ここで蒸し返してどうするんだ」
「やかましい! 話をすり替えようとするな!」
「あのなあ……」
「そうだろう! すべてサーシャだ! あの〈女〉のせいなのだ! あの〈女〉が〈コア〉を一個しか寄越さんから……」
「貴様な。地球の恩人に向かってそんな……」
「何が『恩人』だ! 善意の者があんな選択を迫ると思うか!」
「だからその考え方が間違いなのだ。まだそれがわからんのか」
「何おうっ! 貴様あ、すべては民を救うため苦渋の末に選んだ道に……」
「何が『苦渋』だ。普通に考えればあんなもの」
「言うな! その先を言ったら殺す! 今すぐ貴様を殺すぞ!」
「ハン、結構だ。殺してみろ。あのとき貴様らがバカな決断をしたせいで――」
BANG! 銃声が鳴り響いた。それまで言葉を発していた男が椅子から転げ落ちる。これには誰もがギョッとして、拳銃を撃った人物を見た。
もちろんそれは、『殺す殺す』と相手に向かって喚き立てていた幕僚だ。呆然とした表情で拳銃を構えたまま手を振った。その筒先にいる者達が慌てて首を引っ込める。
幕僚はそのまましばらくの間、『オレに向かって他にも文句がある者がいたらこいつをお見舞いしてやるゾ』、という顔をして銃口を周囲に振り向けていた。けれどもすぐに、
「おおおおうっ!」
叫んで銃を自分の口に突っ込み引き金を引いた。頭が吹き飛び、血しぶきが散る。脳天から麻婆豆腐のようなものをブチ撒けながら彼は倒れた。
会議室が静まり返った。皆、ア然としてふたつの転がる死体を見る。
しばらくして誰かが言った。「なんでここに銃なんか持ち込んでるやつがいるんだ……」
そうだ、と藤堂も思った。ボディチェックは厳重に行われているはずだろうに……しかし、もはやそんなもの、今日という日に遂におざなりになっていたのか。それとも前からこの男はどうにかして銃を持ち込んでいたのだろうか。
床に広がるふたつの血溜り。いずれにしてもその口からもう真相は聞き出せない。
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之