敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女
ポケモン
レーダーの画像はひどく乱れている。まるで雨の夜に見るクルマのウィンドウのようだった。ワイパーで拭いても拭いても土砂降りの水が叩きつけ、街の灯りがにじむような……森は画面に眼をこらしつつ、こんなものを見続けたら頭がおかしくなってしまうと考えた。
実際、警告も受けている。作戦前に新見に言われた。「〈ポケモン事件〉って知ってますか?」
「は? なんのこと?」
と聞くと、
「知らないのが当たり前ですけどね。二百年前の話ですから――けれども『アニメはテレビから離れて見ろ』って言うでしょう。その元になった出来事です。昔、テレビの人気アニメのある回で画面が激しく明滅する演出がされていて、それ見た子供が何百人も昏倒する事件が起きちゃったんですね。日本中の病院に子供が担ぎ込まれちゃった」
「それがなんなの?」
「冥王星の宙域は、ガミラスのレーダー妨害がかなり激しくかかっていると考えられます。レーダー画像は花火大会みたいになって、見続けると眼がおかしくなるかもしれない……」
「ヘタすりゃ昏倒?」
「あるいは」
と言う。横で真田が難しい顔をして、
「それでも君に、レーダー画像を見てもらわなければならん」と言った。「敵は必ず、〈ヤマト〉めがけて対艦ビームを撃ってくる。その瞬間に砲の位置が強い光を放つはずだ。その輝きが見えたなら、すかさず君は船の制動レバーを引く」
超光速レーダーは、亜光速の対艦ビームを敵が撃った瞬間に探知し画面に映し出す。だからそのとき間髪入れずに船を加速か減速させれば、前か後ろにビームをそらすことができる。一応、理屈ではそうだ――とは言ってもこの作戦では敵に正面を向けるため、この方法で躱すと言っても難しそうに思えるが、
「直撃さえ防げればいいんだ」真田は言った。「敵のビームがどれだけ強力だとしても、まともにさえ喰らわなければ船の装甲が耐えられるはずの位置に〈ヤマト〉を置く。そこで星に正対し、波動砲を撃つように見せかけてやれば敵はビームを撃たねばならん。たとえギリギリだとわかっていてもな」
「その一発さえ躱せればいい」と新見。「敵が撃てば、砲台の位置も自(おの)ずとわかるでしょう。二発目からはグッと避けやすくもなります。後は〈ヤマト〉を星の向こうにまわり込ませ、ビーム砲台の死角から冥王星に取り付けばいい」
「〈肉を斬らせて骨を断つ〉か」と、横で聞いていた島が言った。「おそらく、ビームを完全に躱すことはできないでしょうが……」
「そうだ。しかし、それでいいのだ。そう考えるしかない」
と真田は応え、それから森に向かって言った。
「避けられなくても君のせいではないよ」
「はい」
と応えるしかなかった。しかし、腕の古傷が疼くのを感じた。肉を斬らせて骨を断つ――無論、戦闘と言うものは、常にそういうものでもあろう。けれども今、敵のビームを躱せるか否かは、この自分の手にかかっていると言うのだ。
森は気が遠くなりそうだった。あらためて自分の右腕に眼をやった。戦闘服の袖に包まれた肘には大きな傷痕がある。三浦半島に遊星が落ちたあの日に母につけられた傷。包丁で肉を斬られるあの痛み。
あのとき母は、娘である自分に向かって『悪魔』と叫んだ。本気で殺そうと刃(やいば)を振るい、体めがけて突き掛かってきた。この右腕で防いだからこそいま生きてもいるのだし、あるいは顔を斬られたりすることもなかったわけだが、しかし――。
タイタンで死なせてしまったふたりのクルー。誰もわたしを責めはしないが、それでもあれはわたしのせいだ。その責任を森は感じずいられなかった。今度は数十、数百の命が自分の失敗で失われる。たとえそうなったとしてもこのわたしのせいではないと真田副長は言う。理屈で言えばそうなのかもしれないが……。
古傷が疼く。今、遂に戦場に来てレバーを掴み画面を見据え、森は慄然とするのを感じた。画面には冥王星とカロンがあり、その間の宇宙空間が映し出されている。しかしレーダーが映すのは、ほんの少し見ただけでも眼がおかしくなりそうな乱れ切った画像だった。まるで雨の夜のクルマの窓。あるいは蛍が飛び交うさまを歪んだレンズで見るかのような。
チカチカと無数の点が瞬いている。森は頭がクラクラしてくるのを覚えた。こんなものを集中して見続けて、たったひとつの点を見分けろと言うのか。冥王星とカロンのどちらにそれがあるかもわからないのに。
「エンジン停止」
徳川が言った。島が応えて、
「エンジン停止了解。慣性航行に移ります」
冥王星に艦首をまっすぐに向けたまま〈ヤマト〉はエンジンの推進を止めた。
だがそこで速度を失うわけではない。空気抵抗のない宇宙では船はそれまでの速度を維持し続ける。それどころか、冥王星に先を向けているために、引力で〈ヤマト〉はわずかに加速までしていた。真田がマイクを掴んで言う。
「総員、制動に備えよ」
いよいよだ、と森は思った。〈ジャヤ作戦〉の第一段階。まずは〈ヤマト〉が冥王星にまっすぐ艦首の砲口を向ける。その瞬間が訪れたのだ。
艦橋内の誰もが固唾(かたず)を飲む顔で、〈スタンレー〉と呼んできた星を見つめているはずだった。窓の真正面にそれが見えると言うことは、〈ヤマト〉の艦首波動砲がそこに狙いをつけたのを意味する。これが撃てるものならば星を一撃に粉砕し、ガミラス基地をひと息になんの苦もなく消滅させてしまえることを意味する。
波動砲。それは本来がそのために、そのためだけに〈ヤマト〉に積まれたものなのだから――そして今、その砲口がまさにその星を向いている。
そうだ。ここは真田副長の考え通りに違いないと森は思った。敵も当然、この砲は星を丸ごと吹き飛ばすためのものと知っている。ならばこの状況は、『親の仇、覚悟!』と叫ぶ蟹の子に銃を突きつけられた猿と同じこと。空砲だろうと思っていても両手を挙げて降参するか柿の実もいで投げつけるか、どちらか選ぶ他にない。
そしてもちろん、答は〈柿の実〉に決まっている。ガミラスに対艦ビームがあるなら、〈ヤマト〉めがけていま撃つ以外にないのだ。
〈ジャヤ作戦〉、第一段階。遂にそのときが来た。操舵席の島が操縦桿を離して言った。
「いったん操艦を預けます。角度を南部へ。制動を森へ」
「預かります」
と南部の声。同時に森は手元のレバーのランプが光るのを見た。同じく言う。
「預かります」
「照準を合わせます。ターゲットスコープ、オープン」南部がピストル型の微調整棹を握って言った。「波動砲の砲門を開け」
『砲門を開きます』
復唱の声がして、艦首の重い虹彩絞りの火蓋が開く振動が伝わってきた。今、〈ヤマト〉の前に出て、振り向いて砲口を覗くことができたなら、今の〈ヤマト〉は獲物を丸呑みにしようとする大蛇のように見えるかもしれない。本来は冥王星を粉砕すべく造られた船が、その鎌首を持ち上げて身動きできぬ標的を睨み、牙を並べた顎を開けたようでもあろう。敵に果たして砲門が確認できるものかどうかわかぬが、冥王星を撃つと見せかける作戦であれば、すべてをそのように装わねばならない。後は敵が誘いに乗ってくるかどうか……。
作品名:敵中横断二九六千光年3 スタンレーの魔女 作家名:島田信之