Green Hills 終幕
Green Hills 終幕
*** 春の別れ ***
卒業式が終わり、荷造りに追われる士郎を手伝いながら、うす曇りの空を見上げる。
「さくらが咲いていたらよかったなぁ……」
せっかくなので、最後に花見でもできたらよかった、などと思って、シロウは、いや、と首を振る。
思い出だけがたくさんあっても辛いだけだ。別れる時が辛くなる。離れたくないとみっともなく叫びそうで、怖くなる。
(アーチャー……)
こんなふうに、離れることを辛く思うなど予想していなかった。
シロウは自嘲するしかない。伝えたいことを伝えて、本当ならすぐにでも消えるはずだったのだ。それが、思いもよらずアーチャーと一年近く、ともに過ごすことができた。
(もう、それだけで、いいよな……)
気持ちを切り替えるために、一つ息を吐く。
見上げた空は、スッキリとしないうす曇り。
せめてお別れの時くらい青空が見たいなと、思わずにはいられなかった。
凛とアーチャーが昼過ぎに衛宮邸を訪れ、少し早いおやつにしようということになった。
「どうしたんだ? ケーキなんて」
「うん、ちょっと食べたくなっちゃったの」
シロウに答えて、凛はケーキにナイフを入れる。台所ではアーチャーが紅茶を淹れていた。
「でも、ホールじゃなくても……」
凛が買ってきたのは、小ぶりのホールケーキだった。シロウが困惑するのも無理はない。誰かの誕生日でもないのに、と皿に切り分けていく凛を見る。
「美味しいのよ、ここお店の」
シロウの視線に気づいたのか、自信たっぷりの顔で凛が言う。シロウはホールケーキの理由などどうでもよくなり、期待に目を輝かせる。
「そ、そうなのかっ?」
ついフォークを握って座卓に乗り出すシロウの頭に、ぽん、と手が載せられた。
「邪魔だぞ、セイバー」
優しく言われシロウはおとなしく浮かせた腰を下ろす。
「士郎はまだやっているの?」
「あ、うん、もう来ると思うよ」
シロウが答えているうちに、居間に士郎が入ってくる。
「お! 美味そう!」
士郎が定位置に腰を下ろす。
「よし、揃ったところで、いただきましょー」
凛の音頭でおやつタイムがはじまった。
「アーチャーも食べなさいよー」
六つに切り分けられたケーキを士郎、凛、シロウが一つずついただき、残り三つが残っている。
「私は遠慮しておく」
紅茶だけを飲むアーチャーに、凛はやけにしつこく絡む。
「たまには甘いもの食べないと、脳ミソが働かなくなるわよ」
「あいにくと、脳ミソも偽物なのでな、どうということはない」
「もー! せっかくのケーキなのにー」
ああ言えばこう言う、赤い主従のやり取りは、いつもこの居間にあったものだ。二人とも口が立つなぁ、と士郎とシロウはいつも、ぽかん、として見ているのが常だった。
だんだんと劣勢になっていく凛が、こめかみに青筋をたてはじめ、その様子を見ていたシロウが何を思ったか、フォークに一欠片ケーキを刺し、
「はい、アーチャー、あーん」
と差し出してくる。
赤い主従の口論が、ぴたり、と止む。
「セ、セイバー?」
たじろぐアーチャーに、
「あらー、よかったわねー、セイバーが、あーん、だって、あーん」
悪魔のような声を発する凛。アーチャーは思わず主を睨む。
「セイバー、だから、私は――」
「あーん」
「っく」
一度ならず二度までも、とアーチャーは拳を握る。そんな可愛く勧められて無碍にできるはずがないだろう、とあらぬ方へ言い訳したくなる。
「わかったから……、それは無しだ」
言ってシロウのフォークを手で制する。
「なんで?」
「なん、で、と言われても、だな……」
「いいじゃないアーチャー、甘党のセイバーが、せっかくくれるって言ってるのよ? ありがたくもらっておきなさいよー」
また横からいらんことを、と凛を睨んでおいて、アーチャーはシロウに目を向ける。琥珀色の瞳が、美味しいぞ、と言っている。期待に添わなければ傷つきそうだ。
「……わかった」
ようやくアーチャーは諦めて、シロウの持つフォークをその手ごと掴んで、ケーキの一欠片を口に入れた。
「美味しいだろ?」
「ああ」
頷くアーチャーにシロウは笑った。
「セイバー、冷蔵庫いっぱいなんだ、一切れ分入らないから、これも、食べちゃってくれ」
残ったケーキを冷蔵庫にしまっていた士郎が、台所から戻ってきてシロウに頼む。
「え、いいけど、いいの?」
気に入ったみたいだから、と士郎は笑って、空いた皿と交換するようにケーキの載った皿を置く。
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
「ん。味わって食えよー」
言いながら士郎は荷造りするから、と居間を出ていく。それを目で追い、凛も立ち上がった。
「ちょっと士郎の荷物の確認をしてくるわね」
そう言って主二人は出ていった。
「忙しいな、荷造りとかで……」
ぽつり、と呟くシロウのカップにアーチャーは静かに紅茶を注ぐ。
「あ、ありがとう」
礼を言ってケーキを頬張り、ちら、とアーチャーに目を向けると、向かいに座っていたアーチャーが角を挟んだ隣に移動する。
「美味いか?」
「うん。食べる?」
いただこう、とアーチャーは、今度は素直に頷いた。
「あと残り、僅か……」
秒針が時を刻む音が居間に響く。
傍らで眠るシロウの髪を撫で、座卓に頬杖をついたアーチャーはため息をこぼす。そのまま片腕で頭を抱える。
契約解除の時が迫っている。二人がロンドンに経つ前に、自分たちは座に還ることになる。
「座に還れば、二度と……」
口にしてゾッとする。
二度と会えないのか、と。
二度と触れられないのか、と。
「ならば、いっそのこと……」
連れ去りたい。座に連れ去って、あの荒野に縛り付けて、と益体もないことを考えてしまう。
それはだめだと、そんなことは許されないと、アーチャーは必死に自身を抑える。
幾度となくこぼしたため息は、苦いものばかり。甘いケーキの味など一瞬で消え去ってしまう。
「セイバー……、お前を、離したくない……」
赤銅色の髪を撫で、ただ、そんな叶わない願いを呟くだけの己自身が、アーチャーにはどうしようもなく歯痒くて仕方がなかった。
「雨が降ってる」
「ええ。こっちもセイバーだらけよ」
お互いのサーヴァントの心象風景に、やっぱりか、と頷き合う。
「しようがないわね、まったく……」
「ああ。仕方ない。エミヤシロウなんだから」
「あんた、自分で言って、気が滅入らない?」
「もう慣れたよ」
呆れ顔の凛に、士郎はやはり呆れ顔で返す。
「そう、じゃ、やるわよ」
「ああ」
頷きあって、洗濯物を取りこむために庭に出た二体のサーヴァントに目を向ける。
縁側に立ち、二人は息を吸った。
「「令呪をもって命じる!」」
その声にシロウとアーチャーが振り返る。
「なんで……」
「まさか、今なのか?」
なんの前触れもなく契約を解除するのか、と二人は愕然とした。だが……。
「「セイバーのサーヴァント・シロウをアーチャーのサーヴァント・エミヤの座に送る!」」
声をそろえ、士郎は左手、凛は右手をかざして声高に命じる。
*** 春の別れ ***
卒業式が終わり、荷造りに追われる士郎を手伝いながら、うす曇りの空を見上げる。
「さくらが咲いていたらよかったなぁ……」
せっかくなので、最後に花見でもできたらよかった、などと思って、シロウは、いや、と首を振る。
思い出だけがたくさんあっても辛いだけだ。別れる時が辛くなる。離れたくないとみっともなく叫びそうで、怖くなる。
(アーチャー……)
こんなふうに、離れることを辛く思うなど予想していなかった。
シロウは自嘲するしかない。伝えたいことを伝えて、本当ならすぐにでも消えるはずだったのだ。それが、思いもよらずアーチャーと一年近く、ともに過ごすことができた。
(もう、それだけで、いいよな……)
気持ちを切り替えるために、一つ息を吐く。
見上げた空は、スッキリとしないうす曇り。
せめてお別れの時くらい青空が見たいなと、思わずにはいられなかった。
凛とアーチャーが昼過ぎに衛宮邸を訪れ、少し早いおやつにしようということになった。
「どうしたんだ? ケーキなんて」
「うん、ちょっと食べたくなっちゃったの」
シロウに答えて、凛はケーキにナイフを入れる。台所ではアーチャーが紅茶を淹れていた。
「でも、ホールじゃなくても……」
凛が買ってきたのは、小ぶりのホールケーキだった。シロウが困惑するのも無理はない。誰かの誕生日でもないのに、と皿に切り分けていく凛を見る。
「美味しいのよ、ここお店の」
シロウの視線に気づいたのか、自信たっぷりの顔で凛が言う。シロウはホールケーキの理由などどうでもよくなり、期待に目を輝かせる。
「そ、そうなのかっ?」
ついフォークを握って座卓に乗り出すシロウの頭に、ぽん、と手が載せられた。
「邪魔だぞ、セイバー」
優しく言われシロウはおとなしく浮かせた腰を下ろす。
「士郎はまだやっているの?」
「あ、うん、もう来ると思うよ」
シロウが答えているうちに、居間に士郎が入ってくる。
「お! 美味そう!」
士郎が定位置に腰を下ろす。
「よし、揃ったところで、いただきましょー」
凛の音頭でおやつタイムがはじまった。
「アーチャーも食べなさいよー」
六つに切り分けられたケーキを士郎、凛、シロウが一つずついただき、残り三つが残っている。
「私は遠慮しておく」
紅茶だけを飲むアーチャーに、凛はやけにしつこく絡む。
「たまには甘いもの食べないと、脳ミソが働かなくなるわよ」
「あいにくと、脳ミソも偽物なのでな、どうということはない」
「もー! せっかくのケーキなのにー」
ああ言えばこう言う、赤い主従のやり取りは、いつもこの居間にあったものだ。二人とも口が立つなぁ、と士郎とシロウはいつも、ぽかん、として見ているのが常だった。
だんだんと劣勢になっていく凛が、こめかみに青筋をたてはじめ、その様子を見ていたシロウが何を思ったか、フォークに一欠片ケーキを刺し、
「はい、アーチャー、あーん」
と差し出してくる。
赤い主従の口論が、ぴたり、と止む。
「セ、セイバー?」
たじろぐアーチャーに、
「あらー、よかったわねー、セイバーが、あーん、だって、あーん」
悪魔のような声を発する凛。アーチャーは思わず主を睨む。
「セイバー、だから、私は――」
「あーん」
「っく」
一度ならず二度までも、とアーチャーは拳を握る。そんな可愛く勧められて無碍にできるはずがないだろう、とあらぬ方へ言い訳したくなる。
「わかったから……、それは無しだ」
言ってシロウのフォークを手で制する。
「なんで?」
「なん、で、と言われても、だな……」
「いいじゃないアーチャー、甘党のセイバーが、せっかくくれるって言ってるのよ? ありがたくもらっておきなさいよー」
また横からいらんことを、と凛を睨んでおいて、アーチャーはシロウに目を向ける。琥珀色の瞳が、美味しいぞ、と言っている。期待に添わなければ傷つきそうだ。
「……わかった」
ようやくアーチャーは諦めて、シロウの持つフォークをその手ごと掴んで、ケーキの一欠片を口に入れた。
「美味しいだろ?」
「ああ」
頷くアーチャーにシロウは笑った。
「セイバー、冷蔵庫いっぱいなんだ、一切れ分入らないから、これも、食べちゃってくれ」
残ったケーキを冷蔵庫にしまっていた士郎が、台所から戻ってきてシロウに頼む。
「え、いいけど、いいの?」
気に入ったみたいだから、と士郎は笑って、空いた皿と交換するようにケーキの載った皿を置く。
「じゃあ、遠慮なくいただきます」
「ん。味わって食えよー」
言いながら士郎は荷造りするから、と居間を出ていく。それを目で追い、凛も立ち上がった。
「ちょっと士郎の荷物の確認をしてくるわね」
そう言って主二人は出ていった。
「忙しいな、荷造りとかで……」
ぽつり、と呟くシロウのカップにアーチャーは静かに紅茶を注ぐ。
「あ、ありがとう」
礼を言ってケーキを頬張り、ちら、とアーチャーに目を向けると、向かいに座っていたアーチャーが角を挟んだ隣に移動する。
「美味いか?」
「うん。食べる?」
いただこう、とアーチャーは、今度は素直に頷いた。
「あと残り、僅か……」
秒針が時を刻む音が居間に響く。
傍らで眠るシロウの髪を撫で、座卓に頬杖をついたアーチャーはため息をこぼす。そのまま片腕で頭を抱える。
契約解除の時が迫っている。二人がロンドンに経つ前に、自分たちは座に還ることになる。
「座に還れば、二度と……」
口にしてゾッとする。
二度と会えないのか、と。
二度と触れられないのか、と。
「ならば、いっそのこと……」
連れ去りたい。座に連れ去って、あの荒野に縛り付けて、と益体もないことを考えてしまう。
それはだめだと、そんなことは許されないと、アーチャーは必死に自身を抑える。
幾度となくこぼしたため息は、苦いものばかり。甘いケーキの味など一瞬で消え去ってしまう。
「セイバー……、お前を、離したくない……」
赤銅色の髪を撫で、ただ、そんな叶わない願いを呟くだけの己自身が、アーチャーにはどうしようもなく歯痒くて仕方がなかった。
「雨が降ってる」
「ええ。こっちもセイバーだらけよ」
お互いのサーヴァントの心象風景に、やっぱりか、と頷き合う。
「しようがないわね、まったく……」
「ああ。仕方ない。エミヤシロウなんだから」
「あんた、自分で言って、気が滅入らない?」
「もう慣れたよ」
呆れ顔の凛に、士郎はやはり呆れ顔で返す。
「そう、じゃ、やるわよ」
「ああ」
頷きあって、洗濯物を取りこむために庭に出た二体のサーヴァントに目を向ける。
縁側に立ち、二人は息を吸った。
「「令呪をもって命じる!」」
その声にシロウとアーチャーが振り返る。
「なんで……」
「まさか、今なのか?」
なんの前触れもなく契約を解除するのか、と二人は愕然とした。だが……。
「「セイバーのサーヴァント・シロウをアーチャーのサーヴァント・エミヤの座に送る!」」
声をそろえ、士郎は左手、凛は右手をかざして声高に命じる。
作品名:Green Hills 終幕 作家名:さやけ