Quantum
「アイオロスはさすがに動じませんでしたね」
素直な感想に何故だかシオンは白けたような顔をしたのでシャカは意外に思った。
「ふん。まぁ、あやつは取り澄ました顔で結構なタラシだからな」
「はい?」
「正義の青年の仮面を被ったエロスとでも云えばよいか。いまだお手付きでなかったおまえにわしは驚いたくらいだが」
「な……一体なんですか、それは」
「ほう、知らなかったと?あやつ、相当なスキモノだぞ。陰ではあの黄金の矢は狙った獲物は外さないためのモノだと囁かれる始末。付いたあだ名が『絶倫座』だ」
何それ、厭すぎる呼び名……とシャカは眩暈さえ起こしかける。
清廉なイメージな射手座の黄金聖闘士アイオロス、実はとんでもな人物だったようである。そんな情報知りたくもなかった――思わず、ぞわぞわと背筋を寒くするシャカだ。僅かに顔を蒼褪めていたが、教皇シオンは興味を欠いたようにさっさと話を進めていく。
「それはいいとして。シャカ、あの時のサガをどうみる?」
いいのか?そんなユルユル倫理で……とシャカの疑問を置いていくように教皇シオンは肘をつきながら、吐息のごとく質問を向けた。先程までとは打って変わって、どこか憂えてさえ見える。シオンの中での懸念なのだろうかとシャカは考えながら、急な話題転換に追いつくのに必死だ。
「ええと……サガはどこか危うく、安定さを欠いているように思えますが」
「さようか。どうもサガは柔軟性に欠けるところがあってな。アイオロスのように乱れ過ぎもどうかと思うが、潔癖すぎるのは諸刃の剣だとわしは思う。以前もそうだったが蘇り後、しばらくの間は僅かに緩和したかのように見えたのだがな。ここ一年ほど、またその傾向が顕著になっておる。なぜであろうな?一度はこの座に就いた者でありながら……煤けたこの世界をとても上手く渡ってきたはず……いや、不器用にふらつきながらか、あやつの場合は」
憂えるような眼差しでシャカを眺めながら、シオンは告げた。
サガに実権を、命すら奪われたこともあったというのに、この人はサガを次期教皇の候補から外すことは考えていないのだろうか。そう思いつつも、内心に浮かんだ思いは伏せたまま、シャカは問いかける。
「真っ直ぐであることが間違いだとは思えませんし、不安定に迷いつつ進むこともまた間違いではないはず。しかし、確かに教皇のおっしゃることもわかります。正義も悪も表裏一体……いや、混沌であることを受け入れるべき。ですが……清濁合わせ呑むことは思いのほか難しいものでしょう。教皇、貴方ほどに長く生きていればこそ達観することもできましょうが」
「そうか?おまえとてわしほどに長生きせずとも、すでに達観しているのではないか」
「私はまぁ、他の者のたちとは違い、ひなびた考えを持っていますから」
小さくシャカが頭を傾げると、フッとシオンは笑い、シャカの真っ直ぐに伸びた髪を一房摘まみ上げた。そのまま、くりくりと指先で弄ぶ。
「ひなびた?……まぁ、良いが。要するに、ただ……危ういのだな、サガは。ほんの少しの狂いが大きな狂いを生じさせる要因となりかねない。わしにはそれが非常に危険だと思えるのだ。傍で支える者がいれば、また違うのであろうがな。あやつにしても蘇りにより齎された今の事態に対して、どう折り合いをつけるべきか複雑な感情を生みながら、いまだに悩んでおるのだろう……しかし、それもちょっとしたきっかけや条件次第で変わるはず」
含みのある言い方をしながら、「しばらく思案に耽る」というシオンからようやく解放された。
まだ寝付くには惜しい時間。なので最近になって緩和されたことをシャカは実践することにした。それは人々が勤めを終えて閑散となった教皇宮から、そろりとお忍び散歩に出かけることだった。