冒険の書をあなたに
「ねえ、そういえばあの本どうなったかしら」
丁度同じことを考えていたルヴァがにっこりと笑う。
「向こうに行ったときの本ですよね。私もどうなったかなあって気になっていたところです」
床に転がったトランクの上に、それはぽつりと置かれていた。
二人はすぐに気がついて歩み寄り、ルヴァが手に取って表紙を眺めた。
どうやら読めているようでそのままめくって中をどんどん読み進めていく。
アンジェリークは横からひょっこりと覗き込んで、片眉を上げたまま頬を掻く。
「やっぱりわたしには読めないわね、夕方また来るわ。トランクは預かっていってもいい? ドレスとタキシードしまっちゃわないと」
「ええ、お好きにして下さい。あ、赤い瓶は置いといて頂けますか」
「ポピーちゃんがくれた、ええと、ファイト一発でしたっけ。丁度いいわ、今飲んじゃったら?」
ガチャリとトランクを開けて、細々と詰め込まれたものを出していく。
「んー、成分の分析もしてみたいんですよねぇ。どういう薬効があるのか調べてみたくて……」
ほら始まった、とアンジェリークが笑みを浮かべていることに、本に夢中のルヴァは気付かない。
「一口分もあれば分析には充分なんじゃないの? とりあえず瓶はここに出しておきますね」
リュカのターバンは汚れ具合を見れば洗っておくほうが虫がつかずに済むけれど、どうしようか。
思い出の品としてそのまま保存しておいたほうがいいような気もする────アンジェリークは少し悩んで、赤いフラスコ瓶と共にそっと執務机の上に置いた。
(どうするかはルヴァが決めればいいんだわ。わたしが手出しすることでもないわね)
机に並んだのは紫色のくたびれたターバンと、赤いフラスコ瓶、そして砂漠の薔薇。
アンジェリークは既に話半分で本に没頭し始めたルヴァのために、緑茶を淹れてからそうっと退出していった。
改めて本を読むと、アンジェリークとルヴァがグランバニアに来てから聖地へ戻るまでの冒険の話が丁寧に書かれていた。
その著者はポピレア・エル・シ・グランバニア────ポピーだ。
驚きながら読み進めると、あとがきの中でポピーがその後ベネット爺さんの後を継ぎ、マーリンと共に発見した古代魔法をアレンジしてこの本にかけてあることや、パオームのインクを使って印刷されているために時を超えても色褪せないことなどが記されていた。
本によるとポピーは十五歳になったのだという。
アンジェリークのお陰で詩篇集の中に幾つも古代の情報が入っていることを知り、ベネット爺さんとマーリンの力を借りながら解読を試みた結果、相手を遠くへと飛ばしてしまう魔法、バシルーラを発見したらしい。
そのバシルーラを強化すると対象を異世界へも飛ばせるため、それにルーラを掛け合わせることで時空を超え移動先の固定に成功した、と書かれている。
ただいま召喚魔法として使えないか研究中で、その実験も兼ねてターバンの刺繍から書き起こした神鳥の紋章と、二人の名前が書かれた頁に呪文をかけておいたのだそうだ。
つまりは二人が同時にこの本の中の紋章を見ない限り、呪文が発動することはなかったということのようだ。
そして最後の頁に挟まっていた手紙には、あれからミルドラースを倒して平和になったこと、アンジェリークが呼び出した神鳥は魔王のいるエビルマウンテンまでついてきて大活躍だったこと、祖母マーサの救出は直前で叶わなかったものの少しだけ会話ができたこと、それで兄が泣いてしまったけれど、あのとき一番泣きたかったのは父だったと思う────と、綺麗な字で綴られていた。
サンタローズはリュカ一家が魔界へ行っている間にヘンリーが指揮を執り見事に復興し、ドングリから芽吹いた若木がすくすくと育っているそうだ。
手紙をそっと封筒に戻して先程アンジェリークが淹れてくれた緑茶を飲みながら、ルヴァは人知れず笑みを浮かべていた。
(いやはや、これは鶏が先か卵が先か。どちらにせよ凄い話ですねえ……)
本の中表紙にはっきりと印刷された神鳥の紋章の下にあった一行には、こう書かれている。
「この冒険の書を敬愛するアンジェリーク様とルヴァ様に捧げます」