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しょうきち
しょうきち
novelistID. 58099
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冒険の書をあなたに

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「……無知とは本当に恐ろしいものですな」
 ぽつりと呟いたマーリンの伏せたままの短い睫毛が、微かに震えていた。
「我が民もかつては迫害を受け、その数を大きく減らしましてな……わしは元々その生き残りの末裔なのです」
「そうでしたか……」
 そのときルヴァはポピーの態度を厳しく諌めていたマーリンの姿を思い返した。かつて言われ無き差別によって苦しめられた記憶があるのかも知れない、と僅かに胸を痛める。
「先日賢者様は仰いましたな。『なぜ自分が賢者と呼ばれるのか』と」
「ええ……」
「我らの教えの一つに、こんな格言があるのです。『出逢った人全てから、何かを学べる人が最も賢き者』だと。それはまさしくあなただと言えるでしょう。人が生きている限り決して奪うことが出来ないもの、それは知識ですからな」
「その教えは……! あっあの、さっきから気になっているんですけど、もしかしてあなたは────」
 聞き覚えのある教えの数々、そして迫害を受けた民族。ある辺境の惑星で繁栄した民がいたことを、ルヴァはずっと以前に書物で調べた記憶があった。
「わしらは知恵の民────と、そう呼ばれておりましたな。もうずっと遠い昔の話ですが」
 マーリンはそう言って懐かしむように目を細め、ごく僅かに口角を上げた。
 神鳥の宇宙と共通する植生、生活様式────そして人。二つの世界の繋がりが確かにあったのだ。
「あの教えは……タルムード学は、守護聖になったばかりで心細かった私を支えてくれたものの一つです。まさかその教えを説いた民の一人と、こうしてお話できる日が来るなんて……!」
 迷いが生まれたときに頁を開けば、心の在り方を静かに問い掛ける教え。
 内容に多少の偏りはあるものの、それはいつだって落ち込んで丸くなりがちな彼の背を正し、あるときはそっと押してくれた。
 ルヴァの耳にふ、と笑う息遣いが聞こえ、マーリンの瞼に深い哀愁がこもった。
「生きてきた甲斐があったと、言うべきですかな……。わしがまだ人として生きていた時分には、学者として常に心に矜持を持ち、ただひたむきに学問の道を究めた────ですがわしの家族に訪れたのは、避けられぬ暴力でした」
 彼の民族に言葉にするのもおぞましいほどの惨い仕打ちがなされたという恐ろしい記録を、ルヴァは記憶の片隅から思い起こして僅かに眉根を寄せた。
「妻と息子が、目の前で命を落としましてな……そしてわしは心の底から呪ったのです。この世を。悪を────力無き自分、即ち……人、を」
 大きな力の前にあっけなく捻じ伏せられる命の儚さを彼は嫌と言うほど思い知り、絶望の中で全てを呪ってしまったのだ。無理もない話だ────もし目の前でアンジェリークの命を奪われたなら、悲しみが深すぎて自分もきっと呪ってしまうのだろう。気が触れてしまうかも知れない。
「そうしてふと気付けば、こうして魔物としてこの世界に生を受けていたのです。……わしが今リュカと共にいるのは、もうこれ以上、あんな思いを誰にも味わって欲しくは無いからなのです。祈るだけで変えられる世界など、何処にもないと……知ってしまいましたからな」
 ルヴァはいつもの温和な顔を一層曇らせて、ゆっくりと瞼を閉じた。
「……そうですね。私は……いかなる理由があっても暴力など決して行使してはいけない、と思っていた時期が確かにありました。でも────果たしてそれでいいのかと、迷うようになりましてね。机上の空論ではないのかと」
 ニイ、とまたしても魔法使いらしい皮肉な笑みを浮かべて、マーリンが告げる。
「善と悪を区別できるだけではまだ賢者とは言えないのです。二つの悪の中からより小さい方の悪を選ぶことができる者が、賢者である────」
 何か割り切れないままずっと心の中に燻っていた惑いを全て見透かしたような、マーリンの深みのある声が沁み渡った。渇いた喉を潤す水のように、じんわりと、優しく。
「それでいいのです。犠牲無き勝利が得られるならば、それに越したことは無い。ですが大きな暴力の前には、時として犠牲に目を瞑り堪える必要もおありでしょう。本当に守りたいものは何か、守り通すためには何が必要か。何をすべきなのか。あなたは既にこの数日でそれを経験しておいでだ────ですから、賢者と呼ばれるのです」

 酒場は徐々に賑わいを見せ始めた。兵士の交代の時間がやって来たようだ。
「だが重々気をつけなされよ。人の心はほんの一歩間違えばあっけなく闇に呑まれるもの……くれぐれもわしのようにはならんで欲しいのです」
 深い皺の奥からじっとこちらを見据えるまなざしに、ルヴァはどこか懐かしい父の面影を見た。
 それは以前リュカを見ていたときのあの慈しむようなまなざしそのもので、ルヴァはこのとき初めて、息子を失ったマーリンの視線が今もなお……リュカやルヴァの中に亡き息子の面影を探しているのだと気がついた。
 そして同時に、大人になった自分が永遠に果たし得ぬ夢を────父との対話を夢見てマーリンの中に少しだけ父の面影を重ね見ていたことにも気がつき、何一つ言葉が出なかった。
 古いかさぶたを思い切り剥がす直前のような、痛みを覚悟する時間が必要だったからだ。

 お互いに父と息子の面影を重ね合わせた、二人の物悲しくも静かな時間が幕を閉じる。
「人が増えてきましたな……食事を摂る兵士たちに場所を空けてやりましょうぞ。天使様もきっとお疲れでしょうしの」
 ルヴァが寂しげに小さく微笑んで言葉を連ねた。
「ええ……もう少し、お話したかったですが……なんだかこの世界は本当に不思議ですね。ティミーは生き別れた弟のようだし、あなたは、どこか、父のようでっ……」
 マーリンが小さく何度も頷いて、声を詰まらせたっきりのルヴァの背を微笑みながらとんとんと優しく叩き、静かな足取りで魔物たちの控える部屋へと戻って行った。

 やがてアンジェリークの耳にざわめきが戻ってきて、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
 穏やかにこちらを見つめるルヴァが視界に入ってくる。彼の目尻が僅かに赤く滲んでいた。
「お疲れ様でしたね、アンジェ……ありがとうございました」
 会話の内容はアンジェリークの耳にも届いていたが、集中していて余り聞こえていなかったことにしておいた。
 すっと席を立ったルヴァが柔らかく微笑んで、アンジェリークへ手を差し出す。そのまま手を重ねると彼の唇が手の甲に宛がわれた────いつもよりも強く。

 それから二人は言葉を交わさないまま、ルイーダの酒場を後にした。

作品名:冒険の書をあなたに 作家名:しょうきち