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美月~mitsuki
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時津風(ときつかぜ) 【一章】

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一章


 
 
 
 身支度を整え終えたところで腕の時計を確認した。時刻は午前九時半を過ぎたところだ。約束の時間には充分間がある。ゆとりを持って着けるだろう。
 これから訪ねる先を思い、赤司征十郎はふと思案気に眉を寄せると机の引き出しに手を掛けた。引いた引き出しから取り出した葛籠(つづら)の文箱の蓋を開く。黒い漆で塗られた葛籠の蓋には赤司家の紋が一つ施され、中には書状をしたためる為の便線や葉書、切手が万年筆や筆と共に収められていた。赤司はその立場上、普段から挨拶状や礼状をしたためる事も多い。いざという時にすぐに取り出してしたためられるよう、必要な物は常にこうして揃えてある。
「征ちゃん、私よ。ちょっといいかしら。」
 文箱の中に手を伸ばしたその時、ふいに寮の自室のドアがノックされた。どうぞと応えると、バスケットボール部のチームメイトであり一年先輩の実渕玲央が顔を覗かせた。
「オフ日なのに朝からごめんなさい・・・って、あら?」
 実渕は僅かに目を見開き、その長い睫毛を瞬かせた。
「── お出掛け?」
 ペールグレーの細身のパンツに真っ白い糊の効いたシャツ、体型に良く添ったベージュの麻のジャケットを身に纏った赤司の姿を目にし、そう問い掛ける。問われた赤司は口元に薄く笑みを浮かべ頷くと、実渕の来訪で止めた手を再び文箱へ伸ばしながら言った。
「ああ。嵯峨の方までちょっとね。」
「嵯峨って・・・」
 さらりと返って来た答えに実渕が困惑した表情を浮かべる。とても高校生には見えない、落ち着いた、そして随分と気を遣った服装だった。全体の色味こそ夏向けのそれだが、まだまだ夏の暑さが残るこの時期に麻とはいえ長袖のジャケットをきっちりと身に纏った赤司の出で立ちはどうしたって気になる。夏の制服でさえ暑苦しく感じる時期だというのに。
「まぁ、もしかしてデート?・・・にしては随分と── 大人びた装いね・・・。」
 驚きを隠しきれないといった様子で思わず呟く。彼が「普通の高校生」ではない事は充分に承知していたが、こうして制服や部活動以外の装いの彼を見ると、改めてその背景にあるものを垣間見た様な気になる。見慣れた寮の部屋に普通に立っているだけでも、纏っている空気が違うのだ。風格、とでも言うのだろうか。学生らしさが残る服装でいる時はまだしも、その要素が消えるとたちまち彼のオーラが際立ってくる。もちろん身に付けているシャツやジャケットも一見控えめながら実は隠れた名品なのだろうが、実渕にはそれがどれだけの品なのかまでは分からない。ただ、彼から醸し出される空気は洋服の力など借りてはいない事は明確だ。彼自身の内面から溢れる一種独特の空気。こうしてそれに触れると、彼が日本有数の大名跡を継ぐ者として育てられた人間なのだと改めて痛感させられる。
 実渕の口から発せられたデートという言葉に、赤司はひょいと肩を竦めて見せた。
「まさか。そんなんじゃないよ。今からご院主(いんしゅ)様の所へ打ち合わせ方々、ご挨拶に伺うんだ。父の名代だから、それなりに身なりには気を配らないとね。」
 院主と聞いて実渕は思い当たったように口を噤む。来週末の二日間、赤司は部活を休む予定になっているのを思い出した。
「あ・・・確か、お母様の七回忌だったわね。でも法要は東京のご実家で行われるんでしょう?どうして嵯峨のお寺へ?」
「うちの菩提寺なんだよ。赤司のルーツは元々こちらだからね。拠点を東京に移した都合上法要もあちらで行うけれど、ご院主様には東京までわざわざ御足労頂く事になっているんだ。代々のお付き合いだし、先方にお手数をお掛けする分こちらに落ち度があってはならないから父も慎重だ。お陰で京都にいる俺がすっかり父の手足代わりさ。」
「跡取りのお役目とはいえ、征ちゃんも大変ねぇ。勉強に部活、生徒会の仕事もあって只でさえ休む暇なんかないのに。」
「仕方ないよ。いずれは全て俺がやるべき事だからね。今のうちに少しでも慣れておくさ。」
 実渕の言葉に軽く笑いながら、赤司は文箱から茶色の数寄屋袋(すきやぶくろ)を取り出した。洋型の封筒のような形をした、本来は女性が懐紙や小物を仕舞うのに使う和装小物である。最近では通帳や健康保険証などをしまっておくのに使われたりもするが、男性が持つ事は少ないかもしれない。僅かに膨らんだその感触を確かめるように赤司の指先がそっと袋の上を滑り、口の留め具を外した。突如茶色の裏から現れた鮮やかな色彩に、思わず実渕の視線が吸い寄せられる。
「まぁ、素敵。中の柄の鮮やかなこと。数寄屋袋にしては随分と凝った設(しつら)えね。」
 女性向けの柄が多い数寄屋袋だが、赤司の手元にあるそれは表側が深い海老茶色に龍の地紋が入った綸子(りんず)だ。一方、開いた内側には滝を昇る鯉の絵が鮮やかに描かれた正絹(しょうけん)が使われていた。赤と金で表現された滝の水しぶきに立ち向かう白い鯉が、水間を跳ね上がるように身を躍らせている。まるでその水音までもが聞こえてくるようだと実渕は思った。鯉は立身出世を願って男子の着物に好んで使われる柄行きだが、これは構図や染めが独特だった。鯉の目にはみなぎる様な力強さがあり、染の色味も深く、特に滝の流れを示す赤は最近めっきりと見られなくなった紅色だ。正絹のしなやかさが手にした時のしっとりとした独特の重さを伝えてきそうだ。隅には作家の銘と印が施されていて、一目で名のある品だと分かる。
「素晴らしいわ。中が鯉で表は龍、登竜門の意匠ね。こういう赤って、今の時代の絹や染料ではもう出せないのよね。うちを懇意にしてくれている歌舞伎役者の方も、衣装の仕立て直しの際には苦労するって溢(こぼ)していたけれど・・・征ちゃん、これは・・・?」
 実渕の言葉に赤司はへぇと感心したようだった。
「さすがの眼識だね、実渕。これは俺が子供の時の晴れ着の裏だよ。曾祖父の代から受け継がれてきたものなんだが、さすがに着用するには生地が弱ってきたので羽裏だけ外して仕立て直させたんだ。実渕の言う通り、羽裏が竜門を昇る鯉の柄だったから表は龍の地紋にした。」
 実渕の実家は老舗の呉服屋だ。先程の彼の言葉のように、歌舞伎や落語、浄瑠璃などといった古典芸能や花柳界の顧客も付いている大店らしい。そのせいか和服だけに留まらず、美術品や工芸品、音楽、一般的なファッションに関する事まで実渕の美に関する知識と審美眼は確かで、感性もまた豊かだった。
「はーっ、なんというか・・・さすがのセンスとしか言いようがないわね。どうりで今時めったにないような豪華な品だと思ったわ。でもそれ、当然一点物でしょう?羽裏とはいえ仕立て直しちゃったのは何だか勿体ない気もするけれど・・・まあ、その潔さも征ちゃんらしいといえばらしいわね。」
「これほど勢いのある鯉を箪笥の奥に眠らせておくのは忍びないだろう?そのうち箪笥の中から水が溢れ出て来そうで、眠っていても夢見が悪い。」
 彼にしては珍しく冗談を言って笑う赤司に、実渕もつい思ったことがそのまま口をつく。
「何か、大事な物でも入っているの?」
「──え?」